第37話 髪の化け物
「なッ!? ど、どういう事だよ兄者!?」
「ヒッヒッヒ。このジジ三兄弟が、標的を前に逃げ出すってかぁ!? 冗談キツイぜアニキぃ! ヒィーっヒッヒッヒ!」
俺より先に、ガスパルとバルタンの方がカグファの言葉に反応した。彼らの間でも、意見は統一されていなかったらしい。
「こういう依頼は非常に危うい。オイラの経験上、端から捨て駒にされている可能性もある。第一、宿に泊まった連中が全員集まって来ねえってのは、流石におかしい。路地裏に寝泊まりするより、宿の方が危ねぇなんて話があるかよ」
そう言われると、たしかにいくつか不審な点に思い当たる。
値切る素振りすら見せず、報酬の前払い。仕事中のかっぱらい自由。討ち漏らしも構わない。報酬の条件と額の割に、緩い依頼内容。話が美味過ぎると言われれば、たしかにその通りだ。
ハリュー姉弟が他者から恨みを買いやすい状況から、そういう事もあるかとあまり気にしていなかったが……。
宿に泊まった連中がほとんど集まっていない点も、カグファの言う通りだ……。全員が酔い潰れて依頼をすっぽかしたと考える方が、無理があるだろう。
「危ない橋からは、早々にケツ捲るのが最善だ。変な意地を張ると、命を対価として支払う事になるぞ?」
「なるほどな。たしかに、命あっての物種だな……」
「グヒヒヒ……。そぉだよなぁ、他人がなんて言ったって、オデたち三人が最優先。世界はオデたち三人と、それ以外しかねえんだからな!」
長兄カグファの言葉に、納得の色を浮かべる弟二人。こんな稼業だからこそ、身の安全は自分たちでまもらなければならない。それは俺も同意見だ。
妹のリュラの顔を見る。決して、美人と呼ばれるような整った顔立ちではない。おまけに、こんな生き方をしているせいで、どこか薄汚れた印象が強い。
だがそれでも、俺にとっては大事な可愛い妹だ。冒険者になっても、必ずこいつは俺が守る。
そうだ。俺たちは冒険者になって、いずれは真っ当に生きる。その為にも、最低限の装備と、もし稼げなくても食つなぐ為に、ある程度十分な貯えが必要なんだ。
「そんなわけで、オイラたちジジ三兄弟は降りる」
「俺たちザバード兄妹も降りだ……。これ以上、こんなヤバそうな町にいられっか」
その他の面々にそう告げて、その場を離れようとしたとき――
「そいつは困るねぇ……」
突然聞こえてきた、静かな女の声。続いて、呻くような男の声。
「――せっかく来たお客さんだ。是非とも饗応させておくれな。なぁに、ちょっとご馳走になってくれればいいだけさね……」
「ぐ、ぐぉおぉ……」
夜の闇に溶けるような女。軽くウェーブのかかった黒髪に、黒いワンピースの女。ただし、月明かりや小さなランタンの明かりを、各種の装飾品や眼鏡が反射している為、黒装束という印象は受けない。ただ、大きな丸眼鏡が反射しているせいで、その顔貌はわからない……。
唯一、彼女の暗いシルエットの中にあって、嗤う口元だけがただただ真っ赤だった。
そして、なによりその美しい黒髪が、夜闇の中をきらりきらりと光りを反射しながら――蠢いているのだ。
まるで、それ単体で生き物であるかのように。一人の男の首に巻き付いた
どう見ても普通じゃねぇ……。
「いやはや、私の先生方は本当に、抜かりがなくて嫌になってしまうよねぇ。せめて、君たち不逞の輩が屋敷に押し入ってくるくらいの隙を見せてくれたなら、何人工房に引きずり込んでも不審に思われなかったってのに……。危機管理が出来過ぎるのも、ちょっと考えものだとは思わないかい、不逞の輩諸君?」
誇らしげに問いかける女だが、明らかにこちらの返答など期待していない口ぶりだ。首を締め上げられていた男が泡を吹いて気絶すると、すぐにゾワゾワと髪が蠢き、まるで髪留めかオーナメントのように取り付けられる。女と背中合わせのような格好で、引き摺られているともいう。
俺たちは、状況のあまりの異様さにタイミングを見失っていた。だがしかし、そこはやはり経験がものを言った。
ジジ三兄弟の長兄カグファが、ヒュヒュッと短く口笛を吹いた途端、三人は女から遠ざかるように三方へと散った。咄嗟に追いかけようとしても、これでは誰を追えばいいのか迷うだろう。
なによりここには、まだまだ獲物が残っているのだ。
「……――ッ!」
出遅れた事に歯噛みしつつ、俺は後退る。この状況で女から視線を外すような愚は犯さないが、どうしてもリュラの事が気にかかる。彼女も、同じように撤退に動いてくれていればいいのだが……。
「ふふふ。ふふふふふふふふふふふふふふ……」
女は笑う。夜の闇こそ己が棲み処と言わんばかりに。そして、また一人その髪に捕まった哀れな獲物の悲鳴。
「――ッ!!」
それは女の悲鳴だった。
●○●
「いやぁ……、マジでちょっと舐めてたわ。こりゃすげぇ……」
不逞の輩が逃げ去った路地裏に、新たに現れる男の影。いや、この声、シルエット、夜でも頑なに外そうとしない濃紫色のゴーグル。こいつは、ニスティス大迷宮からの使者だ。名前は……、たしかレイブンだか、レヴンだか……。
「レディの食事を盗み見るもんじゃないよ」
「まだ食ってねぇだろ、ソレ」
レイブンが指差す先はアタシの後頭部。そこに、ぐったりと繋がれた三人は、当然このあとダンジョンの
「いやはやしかし……、もう一度言うわ。すげぇよ、ショーン・ハリュー。よもや、地上に人間でダンジョンを築いちまうとは思わなかった。人間社会での工作の巧みさに関しては、素直に兜を脱ぐぜ」
そう言ってケラケラと笑うレイブン。まぁ、その辺りはアタシも勉強中だが、まったくの同感だ。どうやったら、こんな連中のなかにすんなり入り込めるというのか……。
先生たちだって、生まれたのは一年くらい前だっていうのに……。
「人間でダンジョンを築く、か……。なるほど、上手い事を言うね」
「人間の召使を大事にするのも、得心がいった。そりゃあ、こんな壊れやすい
随分ペラペラと喋るもんだ。まぁ、周囲に人の気配はないし、決定的なワードも避けているようだ。『人間でダンジョンを築く』という表現も、比喩だと言い張ればいくらでも誤魔化しが利く。
おまけにここは、夜のハリュー邸前。不意に他者が現れる可能性は、まずない場所といえるだろう。
それにたしか、コイツは気配の察知に特化したモンスターだという話だ。周囲に余人がいないと、コイツなりに自信があるからこその言動なのだろう。
「ただ、良かったのかい? せっかくの獲物が、ほとんど離散しちまっただろ?」
レイブンが夜の暗がりに視線を配ってから、首を傾げて問うてくる。
たしかに、今回の一件でほとんど糧は得られなかった。この三人だけだ。だが、それもこれも先生の指示通り。
「ああ、いいんだよ。今回、メインで迎撃に動くのは人間どもさ。アタシはあくまで、この屋敷と使用人の防御役」
その使用人こそ、レイブンの言う『地上のダンジョン』の要なのだから、過保護なくらいに防御体制を整えるのは、ある意味当然といえる。
なにせ、アタシが討ち漏らしを出しても、後ろでは三人の冒険者が盾になってくれているのだ。
「これ以上、ハリュー邸での死者は出なくていい。際限なく命を貪る事は、やはりどうしてもリスクになるからねぇ」
「なーる。まぁ、たしかにな」
その辺りは、やはり地上での工作要員だけに理解が早いのか、レイブンは大きく頷く。アタシはその辺り、まだ良くわかっていない……。
まだまだ勉強が必要なようだ。
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