第42話 最悪の危惧

「へ、へぇー……、あのニスティス大迷宮の……」


 予想外の、そして予想以上の大物の名前に、ちょっと声が上擦る。僕は武器から手を離し、戦闘態勢の解除をわかりやすく伝える。背後の殺気も鳴りを潜めつつある。

 ニスティス大迷宮。それは、僕らと同じように人間の町のど真ん中に生まれ、そして僕らとは違い、潜伏する事なく真正面から人間たちの攻略を跳ね除け、瞬く間に大規模ダンジョンへと成長した、北大陸でもっとも有名なダンジョンの名だ。

 ダンジョン界においては、一騎当千の英雄みたいな存在だ。僕らにとっても、境遇が似ているだけに、ある意味尊敬の対象である。

 位置的にはベルトルッチ平野の西端辺りの盆地に存在し、東の海上にあるこのゴルディスケイル島とは、それなりに距離がある。元々のニスティスは、スティヴァーレ圏とパーリィ王国とをつなぐ交易都市だったようだが、いまや冒険者ギルドとジェノヴィア共和国の軍によって、厳重に侵入制限がかけられている、厳戒態勢の軍事拠点になっているらしい。

 ここを交易都市として再興させようと、ジェノヴィアやパーリィの支配者階級はかなり躍起になっているようだが、攻略は遅々として進まず、散った冒険者の命は万を下らない。その中には、三級以上の上級冒険者とて幾人も含まれているらしい。

 流石は、音に聞こえた武闘派のダンジョンである。


「ま、まぁ、もしかしたら、有名なニスティスの名を騙って、なんらかの利益を得ようとしている輩って可能性も……」

「ゴルディスケイルのダンジョンコア様には、俺も面識があるぜ。さっきの会いたい人ってのが、ここのダンジョンコア様なら、確認してみるといいぜ」


 どうやら、身分の保証ができそうです……。いや、無理無理無理。ニスティス大迷宮とか、そんな大物の相手とかできませんって! って、ちょっと待て。さっきコイツ、上が僕らに興味を持っているとか言ってなかったか? つまりそれ、ニスティス大迷宮のコアがって事だよな?

 勘弁してくれよ……。バスガル相手ですら、あれだけ策を弄してなお、ようやく辛勝――というか、相討ちの形に持っていけたんだ。いまだ人間社会にお披露目もできていない現状で、大規模ダンジョンと正面切ってケンカなんてできないって。

 戦力が一般家庭と国くらい違う。戦車と素手ゴロする方がマシだ。

 繰り返すが、相手は僕らと同じように、町中に生まれたにも関わらず、それに頓着せず己の存在を人間たちに晒し、敵を迎え入れた剛の者だ。勿論、交易都市ニスティスの初動対応も拙かったのも要因だが、然りとてニスティスのダンジョンコアが辿った成長の道は、修羅道と呼ぶにもあまりにも険しい道程だったはずだ。

 僕が自分たちの成長過程として、ニスティスを参考にできなかったのも、それが一〇〇回中九九回は道半ばで死に絶えるとわかっていたからだ。そんな危うい道を、グラに歩ませるわけにはいかなかった。


「ではあなたは、ニスティス大迷宮の意志で、僕らに攻撃を仕掛けてきた、という事ですか? 人間たちを扇動し、僕らのダンジョンを攻略させようと?」


 これは、僕らがバスガルのダンジョンに対してとった策に似ている。ニスティスはここから遠い。さらに東にあるアルタンまでダンジョンを延伸させて侵攻するのは、DPの無駄だと考えたのだろう。

 たしかに、ベルトルッチ平原を横断してダンジョンを広げるともなれば、要するDPはギガに届くだろう。僕の、いずれグラのダンジョンを『世界一広大なダンジョンにする』という野望も、ついでのように潰えてしまう程に、ニスティス大迷宮は広大なダンジョンになる事だろう。

 そんな懸念混じりの僕の質問に、しかしレヴンはなおも韜晦するように唇を歪めて笑む。


「今度は、こっちの質問の番だ」


 たしかにそうだが、お互いにダンジョン側の存在であるという確認が取れた以上、こんなしち面倒臭いやり取りを継続する意味があるのか? だが、レヴンはそんな僕の疑問にも頓着する様子を一切見せず、質問を投げかけてくる。


「さっき、付き合っている人間の優先順位を聞いたよな?」

「ええ」


 あの、意図のよくわからない質問か。たしかに、あれは彼がダンジョン側の存在だったとしても、意味がわからない問いだった。


「俺が――違う。ニスティスのダンジョンコア様が危惧しているのは、たった一つだ。それを確認する為に、俺は先の騒動を起こしたし、いまもこうしてお前らに接触を図っている」

「一つの危惧、ですか……?」


 この言い分なら、その危惧とやらが杞憂であれば、ニスティスとの衝突は避けられる可能性もある。無論、ゆくゆくはニスティスも相手にしなければならない。グラを神に至らせる以上は、避けては通れない道だ。

 だがそれは、いまじゃない。もっともっと力を付け、広く、深くなってからでなければ、勝てる見込みがない。


「その危惧とは?」

「お前の主であるダンジョンコア様が、ダンジョンコアになる可能性、だ」


…………。は?


「は?」

「はぁ?」


 僕とグラの声がハモる。いや、グラの声はより困惑と憤懣の色が強いか。まぁ、彼女にしてみれば、意味のわからない話だし、ある意味侮辱でしかない。僕にしても、なに言ってんだコイツって感じだ。


「えっと、ほぼ初対面の、それも彼の大迷宮からの使者であるあなたにこんな事を言うのもアレなんですけれど、頭の方は大丈夫ですか? ニスティスのダンジョンコアは、使者の思考力に割くDPを惜しみすぎたのでは?」

「でぃ? なんだって?」


 おっと、DPというのは僕らの間でのみ使われている単位だった。数値化した方が便利なのに、これまでのダンジョンコアたちはそれをせず、普通の地上生命のように、DPを生命力と呼称していたようだからな。実際、ダンジョンから出ないなら、それはあまり区別する必要のない概念でもある。


「失礼。吸収した生命力の事です。僕らは生命力と、ダンジョンに用いるエネルギーを区別して、そう呼んでいます。いろいろと便利ですから」

「へぇ。まぁ、たしかに便利そうではあるな」


 余計な話に脱線しようとしたところで、グラはそれを許さずレヴンに問う。


「そんな事より、地上に生きるコアについて話しなさい。本当に、そんな恥知らずが存在するのですか? 私は寡聞にして知りませんが?」


 グラの声には、明確な憤りがあった。当然だろう。彼女は誇り高き地中生命だ。だというのに、同胞たるダンジョンコアがその誇りを捨て、地上で生きるだなんて、にわかには信じられない話のはずだ。

 だが、レヴンの答えは彼女の思いに反するものだった。


「いる」



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