第104話 アラム=ガガ七七八号

「ふざ――」


 思わず文句を言いそうになった僕に、銅のズメウは襲い掛かってくる。例えダンジョンコアが倒されたとしても、生み出されたモンスターはすぐに霧散するわけではない。もしそうなら、ダンジョン外にあれだけモンスターが繁殖しているわけがないのだ。

 僕は慌て回避しつつも、赤雷の置き場所を考える。このまま獅子頭にぶつけるか? 【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】はとても強力な幻術だ。もしも当てられれば、それなりのダメージは期待できる。運が良ければ倒せるし、そうでなくても十分な時間稼ぎにはなるはずだ。

 だが、僕はその、一見良案に思える策を没にする。牽制や陽動もなしに、こんな派手な幻術が当たるとは思えない。

 仕方なく、当初の予定通り、自分にかける。途端、体の端から沸々と煮立つような、どうしようもない怒りに苛まれる。


「クソクソっ! せっかく、全部上手く事が運んだってのにッ!」


 獅子頭のズメウもまた、この死の園の幻術には捉われている。だがそいつは、ノーシーボ効果になりやすい精神状態ではない。対する僕は、その精神作用を受けつつ、死のイメージもガンガン受け取り、あまつさえ否応なく死のイメージを受け取りやすい、戦闘なんぞをこなさないといけない。

 一転して、絶体絶命の窮地に陥ってしまっていた。

 なるほど、【死を想えメメントモリ】にはこんな弱点があったか……。自分ではない者に戦闘を担わせれば、この空間内でも戦闘は可能なようである。


「――なんて、いまさらわかっても、僕もバスガルも嬉しくない事実なんだけどねっ!!」


 またも襲い掛かってきたズメウの突進を、僕は命からがら転がって躱す。ズメウはバスガルのダンジョンの階層ボスだけに、戦闘能力が高い。少なくとも、僕よりも力もスピードも上だ。そんな相手に、ハンデありとか……。


「――カハッ」


 おまけに、僕の足枷は【死を想えメメントモリ】だけではない。喀血しながらも、自分の中にある生命力の残量を計る。二割七、いや六分といったところだろうか……。まず確実に、銅ズメウから一発でも貰えば、その時点で戦闘不能だ。いや、そのままポックリ逝ってもおかしくはない。

 激しい運動により目減りしていく生命力と、そんな生命力をさらに戦闘の為に魔力に変換しなければならないというのも辛い。でもやはり、いざというときに僕が使えるのは【魔術】だけだ。

 生き延びる為とはいえ、自分の足で死の淵に近付いていくこの状況は、まさしくチキンレース。しかも、相手は既にその崖から落っこちているというのに、やめられない。この状況は、まさしく絶体絶命だ。

 生命力の残りが少ないというのは、ゲームなんかのHP《ヒットポイント》が少ないのとは違って、実際に衰弱しているという事だ。半死半生の重病人が、活力旺盛な虎とタイマンしているようなのが、現状である。


「クソっ、手札がない……」


 それはもう、バスガルの為に全部切ってしまったあとだ。臨機応変に対応しようにも、その為の余裕せいめいりょくが残っていないのだ。


「――ぃよっとぉお!」


 なおも猛攻をかけてくるズメウの拳を、地面に杖を突きたてて逆上がりでもするように躱す。天地逆転した視界に、銅の獅子頭の竜人が恐ろしい形相で唸っていた。その鼻面を踏み付けて、さらに空中に身を躍らせる。

 なにより、ズメウの竜鱗が厄介なのだ。あれがあると、【魔術】的な対処がかなり封じられる。【逆もまた真なりヴァイスヴァーサ】のような、相手の精神状態に依らない幻術が必要になる。

 本当なら僕の作った方のダンジョンにいたいのだが、あそこは一本道だ。銅ズメウの猛攻を回避し続けるのは難しい為、バスガルの作った広場に戻っている。この場から離れるのは【死を想えメメントモリ】的に難しい。

 時間の感覚がなくなっていて正確な事は言えないが、たぶん【死を想えメメントモリ】はあと五~十分以内に効果がなくなるはず。それまで、時間稼ぎをするしかない。それからなら逃げられるだろう。


「ああ、もう!」


 自縄自縛というか自業自得というかの現状に、【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】で増幅され続ける怒りの感情が刺激される。マズいマズい。この幻術も危ないものであるのは、死んだビッグヘッドドレイクを見ても明らかなのだ。なんとか平常心を保たなければ……。

 とはいえ、自分の作った罠の中で七転八倒するいまの自分は、実に滑稽な事だろう。


「あがッ!?」


 それからもしばらく、銅ズメウの猛攻を避けていたのだが、やはり身体能力の差は歴然であり、とうとう一撃を貰ってしまう。不幸中の幸いは、その攻撃が拳打を躱したあとの尻尾の一撃だった為に、それ程威力がなかった事だろう。

 一撃で死ぬ事こそなかったものの、もはや僕は瀕死であった。残念ながら、万策尽きたといっていい状況であり、あとは死を待つのみである。

 まぁ、これもまた不幸中の幸いなのだが、ズメウに殺されたなら、僕はたぶん本体のコアへと戻れるだろう。【死を想えメメントモリ】で死んだ場合、どうなるのかは未知数だが、たぶん本当に死ぬんじゃないかと予想している。肉体と関係ない死には、そういうリスクもあるだろう。


「……ぅぐ……」


 胸倉を掴まれて持ち上げられる。眼前には、いまにも唸りをあげんとしているような、目と鼻の間に深く皺を刻んだライオンの顔があった。主を殺した僕を恨んでいるのかな……? まぁ僕も、グラを殺されたりしたら同じような顔をするだろうから、その点は悪かったと思っているよ。


「グラを守る為だから、謝らない、けどね……」

「グルルァ!?」

「ちぇ、喋れないのかよ。使えなー……」


 本来、人語を介する程の知能を有するモンスターというものは、戦闘の面では厄介だとされる。当然だろう。それだけ知能の高いモンスターという事なのだから。だが僕の場合、ただ強いだけのこういうモンスターの方が厄介だ。特にこの空間内では……。

 口八丁で煙に巻いたり、【死を想えメメントモリ】の術中に取り込むのも難しいって事じゃないか。


「まぁ、仕方ないか……」


 あとはただ、空間の死のイメージに捉われてショック死しないよう、心を保つくらいしか、いまの僕にできる事はない。まったく、僕は戦闘で勝つたびに、なにかケチを付けられないといけない星の下にでも生まれたのかね……。

 銅のズメウが僕にとどめを刺そうと腕を振りかぶったのを確認し、僕は苦笑しつつ天井を見上げた。



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