第105話 ダンジョンの主

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 文字通りの意味で矢のような速さで駆けだしたグラさんのあとを追い、俺っちたちは元来た道を引き返した。流石に物資集積拠点を無防備にするわけにもいかなかったから、ィエイトとダゴベルダ博士の二人は残してきた。特に、ダゴベルダ博士は強行軍で疲れていたから、ここからさらに折り返すのは無理だっただろう。

 赤いヒカリゴケの洞窟を駆け抜けた俺っちたちは、ショーンさんが塞いだあの場所へと戻ってきていた。すぐさま壁に手を着いたグラさんは、どうやったのかそれを破壊するでもなく、人が二人余裕で通れるくらいの出入り口を開いてみせる。

 その先に広がっていた光景は、筆舌に尽くしがたいものだった。黒い粒子が降り注ぎ、地面からは同じく黒い骸骨が生えて蠢いている空間。否応なく生理的嫌悪感を抱かせるような光景に、誰もが躊躇するなか、ただ一人駆けだす影があった。

 当然、グラさんだった。

 彼女の進行方向を見て、俺っちたちは愕然とする。なにせ、あの巨大なダンジョンの主人が横たわり、その前で銅の竜人にいままさにショーンさんが殺されそうになっていたのだから。状況がさっぱりわからない。


「私の弟を離しなさい、下郎!」


 常の冷たさに加え、静かな怒りを滲ませるグラさんの声が、この空間にあっていやにハッキリと響く。直後、銅のズメウの腹に、彼女の蹴りが見舞われた。

 その威力は凄まじく、まるでセイブンの蹴りでも受けたかのような勢いで、獅子頭の竜人は背後の死骸に叩き付けられた。

 宙を舞う華奢な幻術師を、同じく華奢な彼女がふわりと受け止めてみせる。こう表現すると綺麗な絵面に思えるが、その幻術師の喉元には、いつの間にやったのか、銅竜人の肘から先が残ったままだったのが、なかなかにグロテスクだった。


「……グラさん、体術もできたんですね」


 ボソッと、セイブンがこぼすのを背中で聞く。こいつは、いまではそれなりにいい外面を作る術を覚えたものの、俺っちと同じく育ちが悪いので、考えは手に取るようにわかる。どうせ、一度手合わせしたいとか思っているのだろう。言葉で話し合うより、拳で殴り合った方が理解が早いと思っているような、野蛮人だからな。


「ショーン、また無茶をして……」

「あ、あはは……。ご、ごめんね……」


 腕の中の弟に、優しげに声をかけるグラさんと、それに応えるショーンさん。驚いたのは、ショーンさんの声がいまにも途絶えてしまいそうな程に弱々しかった事だ。

 半死半生という言葉すら生ぬるい。未だ息があるのが不思議な程のショーンさんの様子に、俺っちたちも慌てて足を動かし始めた。

 グラさんの元に駆け寄り、俺っちと師匠が魔導術で作られた水薬ポーションを取りだす。応急処置だが、生命力を補給できるはずだ。


「グラさん、これを!」

「その前に、現在進行形でこの子を脅かしている幻術の対抗措置を施します。少し待っていてください」


 そう言われてしまうと、師匠と二人で立ち尽くす以外にできる事がなくなってしまう……。ズメウの方は、セイブンとシッケスちゃんが対処している。あの二人、というかセイブンがいる以上、手負いのズメウ一体などどうとでもなるだろう。

 そんな事より、いまは眼前のショーンさんの容体だ。


「幻術って、この気味悪い光景の事っすか? ショーンさん、これで死にかけてるんすか?」

「正確にいえば、生命力の浪費とダメージの蓄積が主な原因です」

「だったら、まずはこの水薬を!」

「この幻術内でこれだけ弱った状態で、不用意におかしな物を口にすると、それだけで死ぬ可能性もあります。まずは幻術への対処が最優先です」


 グラさんに言われて、意味もわからず周囲の骸骨たちを見回す。彼らはもぞもぞと蠢いては、まるで笑うようにカタカタと揺れている。あまりに不気味で、さっきから全身に寒気がする。


「良薬であろうと、毒と思えば毒になる。ノーシーボ効果というのは、そういうものらしいです。【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】は使ったのですね?」


 最後の方はショーンさんに問いかけたグラさんの声に、ショーンさんは答えずこくりと頷いた。もう、言葉を発する体力すらも残っていないのだろう。


「【平静トランクィッリタース】。どれくらい前に【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】を使ったのですか?」

「わかん、ない……。銅ズメウが、でてから……」

「銅ズメウがどのタイミングで生み出されたのかは知りませんが、その幻術は長時間使用していると脳神経を痛めつけると、自分でもわかっているでしょう!?」


 珍しく、ショーンさんに苛立ちの言葉を向けるグラさん。だが、そんな彼女の怒りにも、ショーンさんは僅かに唇の端を歪めて、できるだけ柔らかい笑顔を浮かべようとしている。


「は、はは……。いや、ぁ……、僕、も、用法よ、用量は、守りた、かった、んだけどね……」


 辿々しい口調で、それでも精一杯おどけて見せようとするショーンさんの姿が、逆に痛々しい。


「グラさん、もう水薬ポーションを飲ませても、大丈夫っすか?」

「ええ。ありがとう……」


 ショーンさんの為の行為だからか、素直にお礼を言うグラさんという珍しいものに驚きつつ、俺っちはショーンさんの口元に瓶をつけて、ゆっくり傾ける。鼻や口の周りには、血の跡がこびりついており、彼がどれだけ無理を押して戦ったのかが容易に窺えた。


「【平静トランクィッリタース】」


 それと同時に、グラさんがもう一度、同じ幻術を施した。どうやら、さっきの一度ですべての処置が終わったわけではないらしい。

 体液に反応して理が発動する水薬ポーションは、急速に彼の生命力を補填していく。だがしかし、肉体のダメージや持病があれば、そんなものは底の抜けたバケツに水を注いでいるようなものだ。

 安堵からか、はたまた意識が遠のいたのか、ショーンさんの瞼がゆっくりと落ちていく。


「ショーンさん! 大丈夫っすか!? 意識はあるっすか!? 俺っちがわかるっすか?」


 そのまま息を引き取ってしまいそうだったショーンさんに、俺っちは声をかける。疲れていて辛いだろうが、ここは意識を繋ぎ止めた方がいいだろう。グラさんも同じ見解だったようで、こちらを見てからゆっくりと頷いた。

 ショーンさんは虚空を見つめていたような目をこちらに向け、苦笑するように唇を歪めてから、弱々しくこくりと頷いた。


「さて、それでは……」


 グラさんがゆらりと立ちあがる。その双眸がしっかと見据える先にいるのは、銅色の鱗を有する獅子頭の竜人。彼女はゆっくりと、それに向かって歩いていった。


「幕の引き方も弁えないそこの下等生物を潰し、この茶番劇に終止符を打ちましょうか」


 グラさんから立ちのぼる怪気炎に、俺っちと師匠は勿論、セイブンやシッケスちゃんまでもが――否。それに加えて、相手方のズメウすらも息を呑み、彼女を見つめる。

 彼女の怒りに、その場の誰もが動けなくなった。



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