七章 バスクタン大迷宮と第二王国の政争

第0話 死神姉弟対策会議・教会

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 白一色に統一された室内。部屋を構成する石材も、調度も、絨毯も、壁に架けられた額縁とその中身すらも真っ白な、潔癖が過ぎる部屋。

 勿論、額縁の中身が白紙なのは、別の絵と取り替えるまでの措置というわけではなく、完全な純白を表すものとして、あえて飾られているのだ。単純に、目の覚めるような白い紙、もしくは布というものが、とても貴重であるというのも、理由の一端ではある。

 そんな室内には、重々しい沈黙がわだかまっていた。大きな大理石から切り出した、長方形のテーブルに着く面々もまた、錚々たる顔ぶれだ。最奥の上座こそ空いているが、そこに近い席にはテラッヴォ枢機卿やキトゥス司教等の、ポンパーニャ法国の要人が着いている。

 末席に近くはあるが、団長を始めとした此方たち主だった聖騎士もいた。さらにそこに、ウィステリア、メラ・ピウス、カラメッラ、ジェラティーナの四人もいる。この四人は、本来このような場に出席するような立場ではないのだが、此度の議題は彼らにも深く関わってくるが故に、呼び出されたのだろう。


「……いつまでも、こうしていても始まらぬか」


 やがて、疲れたような声音でキトゥス司教がそう口火を切った。


「左様。我々から話を振らねば、他の者も口を開きづらかろうて」


 それに、にこやかに相槌を打つテラッヴォ枢機卿。この二人が、現在の神聖教における【深教派】と【布教派】のトップといえる。勿論、布教派でもっとも高い地位にいるのは教皇聖下ではあるのだが。


「ネイデール帝国のナベニポリス侵攻に関しては、この場では余事とする。無関係ではあるまいが、本題から外れる故な」

「それがよろしいかと。今回はあくまでも、第二王国のに関する対策会議とすべきでしょう」


 テラッヴォ枢機卿が言い、キトゥス司教がそれに頷く。その後、二人が議場を見回すも、当然ながら異論があがる事はない。

 いまや神聖教内を二分しかねない程の対立となっている、【布教派】と【深教派】ではあるが、そのトップが互いに頷いている事項に、否と言えるだけの胆力のある者は、そうそういない。此方としても、そこに異論はないので黙っておく。

 どうやら、仲違いの顕著な昨今の神聖教にあっても、差し迫った信仰の危機に際しては、こうして協調できるようだ。果たしてそれは、不幸中の幸いと表していいのか、悪いのか……。


「アルタンの町で使われたという、地底から呼び出した熱砂の死神。真偽はともかく、ゴルディスケイルの海中ダンジョンにて、聖騎士【甘い罰フルットプロイビート】らに使ったという、地底世界の奥底にある死の女神の館まで引き摺り込む幻術。そして、此度の疫病と腐食の虫神……。現状使用された、もしくは使用されたと思しき死神の幻術は、この三種である」

「冗談のような話だが、たった二人の姉弟が使った幻術によって、実際に我ら神聖教の信仰には多大な影響が生じかねぬ状況だ。元々信仰心の薄い帝国領内の一部の部族では、姉弟を異教の悪神に見立て、赦しと慈悲を乞う者までもいる始末……。そんなものより、我らが神に救いを祈れば良いものを……」


 最後に、呆れと軽蔑の滲む声音で吐き捨てたテラッヴォ枢機卿に、多くの者が頷きを返す。だが、それは帝国領内の布教を後回しにして、キャノン半島や南大陸への布教を優先したが故の支障ではないだろうか。【深教派】の面々から、批難がましい視線が頷いた【布教派】へと向けられた。

 とはいえ、ここでそのような揚げ足を取っても議論が濁るだけだ。【深教派】の面々は憤懣やる方ないとばかりに黙し、【布教派】もまたこの件に関してそれ以上の言及を避けた。

 コホンと一つ咳払いをして、キトゥス司教が話を続けた。


「いまさら言うまでもなく、我々の神聖教は唯一絶対の神を奉じる一神教だ。教義に他の神は存在せず、当然死神もいない。このまま、姉弟に対する畏怖が広まると共に、死神に対する畏怖が自然と広がる可能性は否めない」


 キトゥス司教の懸念ももっともである。『死』という、生物として逃れようもない本能が根幹となる畏怖の対象……。それはもはや、狭義の意味での信仰に他ならない。

 この場合、場所がアルタンである事も、事態の悪さに拍車をかける。ゲラッシ伯爵領は、第二王国、帝国、ベルトルッチ平野の三つの地域に容易にアクセスが可能な立地だ。最悪、それらの地域に跨る、局所的な信仰にもなりかねない。


「姉弟が、意図して神聖教以外の神の存在を流布している可能性は?」


 聖騎士の一人が、片手を挙げて質問をする。もしそうなら、たしかに信仰そのものの広まりは早く、広くなるだろう。早急に対処せねば、それこそ大事になりかねない。

 ただそれは、我々にとってはたしかに不利益ではあるが、同時に兄弟にとっても百害あって一利もない話だ。神聖教そのものの衰退が、彼らにとってメリットとならない限りは。

 恐らくは、姉弟が異教徒や異端者である方が、対処が容易いと思っての発言だろう。だが、それはいまさら論ずるまでもない話だ。


「姉弟は別段、神聖教に敵対的なスタンスではない。アルタンの町では教会へ寄付も行っており、炊き出しにも協力的だ。ゴルディスケイルのダンジョンで、我々に暗殺されかけてからも、このスタンスは維持している。教会こちらに対する敵意そのものは、薄いと判断している。無論、これ以降もそうであると保証するものではないが」


 暗殺云々を知らなかった聖騎士が、ぎょっと目を剝いていたが、構わずキトゥス司教が続けた。


「知らなかった者も多いだろうが、既に我々教会とハリュー姉弟とは、色々と接触がある。必ずしも、良好な関係とは言い難いが、それでも聖騎士エスポジートの取りなしによって、一応は手打ちとなっている。各々、みだりにこの関係を崩して、教会の権威を毀棄する事のないよう努めてもらいたい」


 キトゥス司教の言葉に、テラッヴォ枢機卿以下、主だった【布教派】の面々が渋々といった様子で嘆息する。姉弟の暗殺を使嗾し、失敗し、それを【深教派】である此方に仲裁された件は、彼ら【布教派】にとっても大きな失態となった。その失態の原因ともいえる姉弟を、敵視している者はそれなりにいる。

 己の不行状が招いた失態だという事は、棚に上げて……。


「死神を呼び出す幻術、との事だが、実際のところはどうなのだ? 資料に目を通した限りでは、とても人を殺傷できる類の【魔術】とは思えぬのだが?」


 場の空気を変えるように、聖騎士の一人が口を開く。神聖教の戦闘面を担う我々聖騎士にとっては、その事がなによりも優先される情報だ。

 その者の問いに、文官の一人が手元の資料を手に取ってすらすらと答える。


「判明しているだけでも、サイタン郊外の戦いにおいては数百名の死傷者がでています」

「ただの雑兵相手であれば、ここにいる聖騎士ならば誰だってその程度の事はできる」

「無論、それだけでなく、多くの将兵の心を挫き、帝国側侵攻軍の敗走を決定付ける一撃となったのは事実です。戦においては、一〇〇人を殺すよりも一〇〇〇人を慄かせる方が、戦術としては有効です。彼の者らの呼び出す死神は、アルタンで呼び出した熱砂の死神も考慮すれば、確実に一〇〇〇を超える兵力に影響を及ぼす幻術と見て間違いないでしょう。私見ではありますが、殺した人数でその力量を図るのは、いささか的外れであるかと……」

「なるほど……」

「また、今回の疫病と腐食の虫神――姉弟の呼ぶところのフランは、ポールプル侯爵領の騎士である、スヴァン・プーテン、ユルゲン・フォン・ボーデン、ドラール・チパラフ、コッス・マルテル、四級冒険者ダフテル、同じく四級冒険者レドナックスをも、他の兵らと一緒くたに斃しています。その骸は、傷一つない状態で帝国に返還されていますが、いずれも名の知れた強者でありました」


 文官の報告は、既に配られた資料に記されていたものではあるが、改めて言葉にされ、それを耳で聞くとなると、また違った実感が重圧となって胸にのしかかってくる。室内には、再び重い沈黙が降り注いだ。

 十把一絡げの、言ってしまえば農民たちを武装させただけの雑兵が相手ならば、それを一纏めに考えてもいい。だが、名だたる騎士、戦士たちをも、雑兵ごとまとめて屠る術ともなれば、それを侮るなど愚かの極みだ。

 その顎門あぎとに自分だけは捕まらない、などと考えるのは、ただの傲慢でしかないのだから。


「カラメッラ、ジェラティーナの両名は、姉弟との交戦経験があるのだな? その是非はこの場では問わぬが、二人の実力に関してはどうだったのだ?」

「あん? まぁ、アレだなぁ。まず『幻術師』って言葉でイメージする、ペテン師を相手にしてると思ってたら、確実に足元を掬われておっ死ぬな」

「ボクらだって、最初はそう思ってたからこそ、色々と失敗しちゃったんだしね。だけど、次は殺すよ。帝国と第二王国、それもゲラッシ伯爵領で戦闘があるって知ってたら、絶対に最初からそっちに参加してたのに!」

「ソレだよなぁ! ったくよぉ、ナントカバカ息子も、きちんと教会に話を通してくれりゃあ、オレたちっつーサイコー戦力をアテにできたのによぉ!」

「いいえ。もしも万が一、ポールプル侯爵公子がこちらに援軍の打診などしていても、我ら教会は確実にポールプル侯爵公子を制止していたでしょう。帝国と第二王国が争うなど、悪夢以外のなにもでもありません。神聖教圏の中心で、教徒同士による戦など、とても看過できるものではありません」


 此方がピシャリと掣肘を加えれば、双子はまるで親に叱られた子供のように、ぶすっとした表情で口を噤む。同じように、首をすくめる者が他にもいた点は、見て見ぬふりをしておく。


「聖騎士エスポジートの言う通りだな。教徒同士での争いなど、【布教派】【深教派】の別なく、忌避せねばならぬ事態だ」


 テラッヴォ枢機卿の言葉に、全員が目を伏せて頭を下げる。その言葉は事実、その通りである。戦は人心を荒ませ、絶望は教えを形骸化させる。

 不心得の聖職者などには『窮地にあればある程、人の心を纏めやすい。戦や災害などで困窮する者がいるなら、むしろ神聖教を広め、もしくは深める好機』などとのたまう輩がいるが、見当違いも甚だしい。

 それなら困窮する者が教えを破って盗み、騙し、殺すわけがない。貧窮に喘ぐ者は、教えどころではないのだ。糊口をしのぐ為に、教えなど一切頭になくなるか、上手く利用してやろうと考えるだけだ。困窮、貧困は、教えを形骸化させる猛毒だ。

 そして、戦は貧困を呼ぶ。絶対に看過すべきではない。

 キトゥス司教が、コホンと一つ咳払いをしてから、場を仕切り直すように口を開く。


「話を戻そう。姉弟について、だ。オーカー司祭、君の姉弟に対する所見を教えて欲しい」

「はい」


 静かに応えたウィステリアが、スッと立ち上がる。



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