第18話 タルボ侯爵領の三人

 〈2〉


 なんとも痛ましい姿で現れるかと思っていた部下は、思いの外元気そうに我々の前に現れた。とても、任務の代償に四肢の四分の三を失ったとは思えぬ陽気さだ。


「どうもどうも。ご無沙汰してしまい、誠に申し訳ございません。流石に第二王国から帝国へ旅ができる程、この手足に馴染むのには時間がかかってしまいまして。いやはや、大見得を切った癖に出仕が遅れ、以前のお約束がなかなか果たせず、慙愧の念に堪えませぬ。この事、申し開きのしようもなく、如何様にもご処分くださいませ」

「いや、それは良いのだが……」


 戸惑ったようなタルボ侯が、助けを求めるようにこちらを見てくる。私は嘆息しつつ苦言を呈す。


「フランツィスカ……、謝罪をするつもりならもう少し申し訳なさそうにせよ……。というより、この場は聴聞の為に設けた席ではない。其方の功績を認め、慰労する席だ。その功労者がいきなり謝罪など始めたら、タルボ侯もお困りになられる」

「はっはっは。いや、これはこれは……。重ね重ね失礼をば。それでは!」


 フランツィスカは勢い良く跪くと、深々と頭を下げる。その動作の一つ一つが、ややぎこちないものの、とても怪我人とは思えぬ機敏さだ。

……勿論、我ら【暗がりの手ドゥンケルハイト】の一員としては、見る影もないと評す他ないが……。


「……フランツィスカ・ホフマン。赴任前のお約束通り、ただいま帰任いたしました」

「うむ。よくぞ――……よくぞ戻った……」


 いきなり慇懃になったフランツィスカの挨拶に、最初こそ拍子を抜かれたタルボ侯も、ゆっくりと、そして深く頷く。その言葉には、感に堪えるものがあった。

 あの戦の最中、フランツィスカの生存を喜んだ侯が、次に彼の傷の状況を知った際の、まるで我が身を傷付けられたかのような表情は忘れられぬ。恐らく、フランツィスカが最初に戯けてみせたのも、侯が必要以上に気に病まぬようにと思ってだろう。

 だからといって、侯に対して礼を失した態度が許されるわけでもないが……。


「貴様の働きのおかげで、帝国と第二王国との争いが避けられたといっても、過言ではない。また、秘密裏にハリュー姉弟ととの和解を成立させた事は、表には出せぬがナベニ侵攻戦における勝利を、たしかなものにならしめた。内々にだが陛下より慰撫の御言葉を賜っている」

「なんと勿体なき事かと。恐縮至極にございます……」

「それだけの働きだったと己を誇れ。実際、貴様がおらずば、大敗したポールプル軍を追撃する為、第二王国軍が帝国領内に流入する事、さらにパティパティアトンネル封鎖が周知となり、後方を閉ざされたと知った侵攻軍が混乱するは、あり得た事態よ。もしそうなっていれば、状況はいまとは正反対となっておったやもな……」


 タルボ侯のおっしゃられる通り、ポールプル侯爵公子をこちらで討ち、その首を第二王国に届けられた事、そして早急にハリュー姉弟との和解が成り、パティパティアトンネルの再開通が成った事で、帝国の命運はつながったのだ。この二つが最悪の形に転んでいた場合、ナベニ侵攻戦はいまなお続き、どころか帝国はナベニ共和圏と第二王国との二正面を強いられていた惧れすらある。

 それを思えば、陛下からの慰労の御言葉が賜られるのも、あり得ぬ事態ではない。というより、タルボ侯が帝都に掛け合い、やや強引にねだったといっていい。

 レヒトら、ディティテイル方面からの越山を試みた三〇名は、レヒトを含めた二八名がその命を落とし、侯爵領に連絡が届いた頃にはポールプル侯爵軍が帰還したのちだったのだから、あのときのこの者の判断は、たしかに正しかった。それを実感しているからこそ、侯も帝室に掛け合ってでも直々の御言葉を賜ってきたのだろう。

 普通に考えれば、間諜一人の負傷に対して、玉音など賜れるものではないのだから……。つくづく、我々は良い主を得たと思う。


「帝室からは、此度の褒美として貴様に爵位を恵賜する用意があると、打診されている。また、第二皇子殿下の分の【聖光徳癒】の席を譲ってもいいと提案されているぞ」

「それは……、あまりにも畏れ多い事かと。不肖のこの身には、過分なお扱にございますれば、謹んで辞退申し上げたく存じます……」


 フランツィスカが身をすくませつつ、流石に震える口調で申し出るが、タルボ侯はそれを考え直させるように首を横に振った。


「フランツィスカ。いかに【神聖術】の【聖光徳癒】とはいえ、一度に両手と左足のすべてを癒せる者はおらぬ。貴様の傷を癒すには、最低でもワシの分と帝室の分の席が必要であろう」

「閣下……」

「ワシの分も要らぬ、などとは言ってくれるなよ? それでは、配下の者らに吝嗇と思われてしまう。主としては、絶対に避けねばならん評価であるのは自明であろう?」

「しかし……、【神聖術】を受けられる権利は、いかに資金や権力があろうと必ず手に入るものではございません。閣下や殿下の権利を、某ごときの為に使わせては、万が一の際に取り返しがつかぬ事態に陥る惧れもございましょう……」


 神聖教が強い権威を持っているのは、【回復術】でも不可能な傷病の治療が可能だからだ。しかし、学問である【魔術】と違って、【神聖術】は誰にでも使えるという類のものではない。また、その効果には個人差も大きい。

 腕の良し悪しに関わらず、神聖教の認めた神聖術師には北大陸中の国から予約が殺到する。そして、どうせ予約ができるのならば、当然より腕の良い術師にかかりたいのが人情であり、敏腕の神聖術師の競争率は、もはや金や権力で得られるものではない。

 そして、帝室やタルボ侯の押さえている神聖術師がどちらかなど、言及するまでもない。彼らの命は、国家にとって必要な財産として、最優先で保護されているのだから。

 その権利が回されてきたといわれて、フランツィスカが困惑するのも無理はない。それこそ、間諜一人に下賜する褒美としては、席一つであっても過分にすぎる。私もそう言ったのだが……。


「ならぬ。貴様は、まだまだこの国に、なによりこの侯爵領に必要不可欠の人材なのだ。それは、貴様がオーマシラを越えようとした際に、ワシが必死になって引き留めようとした事でもわかっていよう」

「幸甚に存じます……」

「間諜としての働きが、もはやできぬというのならばワシの側で働け。その分、タチも自由にしてやれる。度々後進の育成に注力したいと願われていたのだが、これまでは塩の高騰や戦等で、なかなか時間を作ってやれぬでな。ワシとこやつを助けると思って、受け取るが良い」

「はっ。ありがたく頂戴いたします……」


 これ以上の固辞は、侯に対して失礼と判断したのだろう。フランツィスカは恭しく首を垂れると、大人しく褒美を受け取ると頭を下げた。

 幸いと言ってはなんだが、ナベニ共和圏を版図とした事で、タルボ侯爵領は帝国最南端の領邦ではなくなった。ベルトルッチを完全に無視するわけにはいかぬだろうが、基本的に我らが接するのは第二王国になる。そして帝国は、ゲラッシ伯爵領に件の双子と【雷神の力帯メギンギョルド】がいる限り、第二王国とは協調路線を取ると方針が定まっている。

 つまり、タルボ侯の身が脅かされる可能性は、かなり低いのだ。無論、だからと油断できるわけではなく、【神聖術】を受ける権利が要らぬというわけでもないのだが……。


「しかし、流石に皇子殿下の権利を某にというのは……」

「安心せよ。皇室用の席は十二分に用意されておろう。元々皇室用の権利は、皇室内で融通し合っているものだ。対外的に第二皇子の権利となっているが、皇帝陛下や皇太子の権利となると、政治的な瑕疵にもなるからに過ぎん」

「……なるほど……」


 タルボ侯の説明に、納得の色を示すフランツィスカ。皇室用の権利は、いざというときに下賜する目的で確保しているものでもある。特に、此度の戦の成果は、中央にとっては上々といえる代物だろう。

 その立役者たるフランツィスカに対して、報奨を手厚くする事は皇室側にとっても利のある行為だ。なにより、タルボ侯と同じく皇室とて、配下に吝嗇の誹りを許すわけにはいかないのだから……。


「しかしそうなりますと、せっかくいただいた義手、義足が無駄になってしまいますな……。しっかりと礼を言ってから、ハリュー姉弟に返却いたすとしましょう」

「いや、その義手、義足は侯爵家の私費で買い取った事になっている。返却するならば、侯爵家へという事になるぞ」

「おや、そうだったのですか?」


 私の指摘に、フランツィスカが意外そうな顔をしていたが、流石にそのレベルのマジックアイテムを、無料で受け取るわけにはいくまい。ただでさえ、帝国は姉弟に対して、これ以上な不義理を働いたうえで、手痛いしっぺ返しを受けたのだから……。

 まぁ、そもそも皇室とタルボ侯の権利で、三本の手足をすべて癒せるのか、まだわからぬのだから、それまではありがたく使っておくといい。


「これからも、ワシと侯爵領の為に存分に働いてくれ。ワシより若い身で、早々に引退など許さぬぞ?」

「ははは……。微力を尽くさせていただきます」


 最後は二人とも冗談めかして笑い合い、この場は解散となった。つつがなく御前を辞すその動きが、以前のようなものに少しでも近付けばいいと、私も願わずにはいられなかった……。



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