第15話 没落令嬢

 ●○●


……わたくしの人生において、間違いなく最悪の一日だった。

 お父様が暗殺された日ですら、ここまでの絶望はしなかった。むしろあのときは、頼りないお父様に代わって、わたくしがエウドクシア家を盛り立てるのだという、反発心の方が強かったように思う。

 ケチの付き始めは、あの男だ……。ピエトロ・パーチェ。現ナベニポリス元首ドージェにして、元わたくしの婚約者……。

 元は我々エウドクシアの派閥であり、お父様とも親交の深かったあの男は、元首になるとすぐに、寡頭制を目指す派閥を立ち上げた。それは、我々エウドクシア家も含めた五大名家に対する、明確な叛逆だった。

 そこからは、端から見ていても驚く程、あれよあれよという間に寡頭政派が台頭していった。我々首級勢は、いくら元首が立ち上げた派閥といえど、これまでの国体を抜本的に変革を目指すような派閥が、そうそう受け入れられるとは思っていなかったのだ。

 本来であれば、一朝一夕で評議会の議席の大半を席巻している主流派の優位は揺らがないとみていた。それは、多くの者の共通認識だっただろう。

 しかし、結果は違う……。


「ふぅ……」


 わたくしは窓際に座って、夜の月と星々を眺めて憂いを帯びたため息を吐いた。わたくしたちに宛がわれた部屋は、客室ではなく、客人の使用人が使う部屋。客室の方には、あの裏組織の姉弟が泊まっている。

 侍女のヘレナは、いろいろあって疲れていたのだろう、既にベッドで眠っている。ヘレナと同室であるのは、むしろこの場合は良かったといえるが、わたくしのこれまでの人生で、このようなおざなりな扱いを受けた事はなかった。

 それもこれも、二人の叔父――エウドクシア家の家督を得んが為に寡頭政派についたフィリポ。そして、我らを直接裏切った叔父エンツォが原因だ。

 私にとって許せないのは、ピエトロよりもこの二人である。政治において、敵対派閥が現れるのは必然であり、敵が敵として振舞うのもまた当然である。


――だが、裏切りは別だ。


 こうして静かに窓辺に佇もうとも、この身の内には絶え間なく激情が滾っている。

 ある意味では、ピエトロも裏切り者といえるのかも知れないが、彼は筋を通して我ら五大名家に叛逆した。わざわざ元首にまでなってから、堂々と我らに反抗してきた心意気には、なかなかどうして感心すら覚えてしまう。

 だが、二人の叔父は違う。恐らくは、当主である父の暗殺にも協力し、家督を己がものとせんが為にわたくしにその罪を着せ、名門エウドクシアの名を欲した愚かなフィリポ。そして、わたくしの味方のフリをし、裏切り、売り払ったエンツォ。

 彼らは、傍流とはいえ紛れもなくだったのだ。

 許せるものか。エウドクシア家にありながら、エウドクシアに弓引き、エウドクシアの名をこれでもかと棄損した、あの愚か者ども。せめてあの二人には一矢報いねば、死んでも死に切れるものではない。


「なにを考えてるの?」


 唐突に聞こえたボーイソプラノの声に、わたくしは弾かれたようにそちらを見る。使用人用であるこの部屋に鍵はないが、客室には当然鍵も付けられている。そして、そちらに来客があれば、当然使用人用の部屋から気付かないわけがない。

 だがそこには、たしかにこの屋敷の主である少年が、暗闇に佇んでいたのだ。


「――お嬢様!」


 侍女のヘレナが寝床から跳ね起きると、わたくしを庇うように前に出る。別に彼女は、これまで起きていたというわけではない。あの可愛らしい寝顔と寝息は間違いなくいままで彼女が眠っていた証だ。ヘレナは、主人であるわたくしの前で、そのような無防備な姿を見せてくれるような、不躾な侍女ではない。

 つまり、不審な気配と声に反応して目を覚まし、即座に状況を把握してわたくしを守る為に動いてくれたのだ。

 だが、既にわたくしたちは一度徹底的に持ち物検査をされたあとであり、護身用の懐剣一つも持たされていない。ヘレナも、わたくしを背に庇うだけで、昼間のように眼前の少年にダガーを投擲するような事もない。


「繰り返そうか。なにを考えている?」


 少年の声音は、落ち着いたものだった。昼間、わたくしが無礼を働いた事など、既に微塵も覚えていないとばかりの、一切の蟠りを感じないものだった。

 いま思い返しても、あれは悪手だったと自覚している……。

 言い訳をさせてもらえるなら、あの襲撃からわたくしは、エンツォの裏切りを予見して不安だったのだ。エンツォが付けた護衛である騎士は二人……。普通に考えれば少なすぎるし、彼らが雇った冒険者の質もかなり低かった。夜は下品な話を大声で始め、ゲラゲラと笑っているような連中だ。普段の護衛とは、比べるべくもない者らだった。

 それでも、身を守る為にと我慢していたというのに、二〇程度の小鬼相手にまず騎士二人が逃走し、後を追うように冒険者たちもほとんど戦う事なく逃走してしまった。

 騎士たちからすれば、既に代金も受け取ったわたくしの移送などという任務で、無用な傷を負うなど馬鹿らしいと考えたのだろう。なんとなれば、わたくしなど死んでしまった方が都合がいいと、そう考えていた可能性もある。そんな騎士たちの適当な態度を、薄々感じ取っていたのだろう冒険者たちも、騎士たちに続いて逃走を始めてしまったせいで、あの始末である。

 そんな状況で現れた、見知らぬ男性を信用できないというのは、仕方がなかったといまでも思っている。だからといって、対応が悪くなかったとまで言い張るつもりはないが、その後やんわりとではあるが謝意を伝えようとしても、この少年はこちらの言葉の一切合切をシャットアウトしてしまったのだ。

 関係悪化には、必ずしもわたくしばかりが悪かったわけではなく、取り付く島もなかったこの少年も悪かったのだ。


「それよりも、どうやってこの部屋へ? ここは、あのマフィア姉弟の客室でしてよ?」


 わたくしの質問に、少年は軽く肩をすくめて苦笑する。


「我が家はちょっとだけ特殊でね。各所に隠し通路が用意されているんだ。それをちょっと悪用すれば、こっそり部屋に侵入する事も出来てしまう」

「かなり危ないお家ですわね。とても、淑女を泊められる場所ではございませんわ」

「まったくもって、おっしゃる通り。次からは、こんな屋敷に泊まるのは避けた方がいい。この屋敷が、この町でなんと呼ばれているのか、知っているかい?」


 一切悪びれる様子も見せず、少年はクスクスと嗤うが、細められた目は一切笑っておらず、絶えずこちらの内心を見透かそうとしているかのように、星明りを反射している。


「……なにを考えている?」


 そして、三度繰り返される少年の言葉。その意味するところは――



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