第14話 油断ならない商人

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「いやぁ! どうもどうもぉ! お呼びがかかるのを、いまかいまかとお待ちしておりましたよぉ!! おっと! そちら様は音に聞こえた、カベラ商業ギルドの麒麟児! ジスカル・シ・カベラ様ではございませんか! おおっ! そちらの麗しくも並々ならぬ威厳をお持ちのご婦人は、まさかこの町を裏から牛耳られておられる、ウル・ロッドのウル母親分では? こ、これはまた、錚々たるお顔触れでございますねぇ……。手前どものような木っ端商では、場違い感が強すぎて大変恐縮してしまいますぅ。ああ! 名乗り遅れてしまい、大変申し訳ございません! 手前は帝国にて、ホフマン商会という小さな店を経営させていただいております、フランツィスカ・ホフマンと申しますぅ。もしも名前だけでもお二方に覚えていただければ、これに勝る喜びはございません。どうかどうか、お見知りおきの程を賜りますよう、伏してお願い申し上げますぅ」


 現れるなり、怒涛のように話し始め、何度も何度もペコペコと二人に頭を下げる、見るからに小物臭漂うこのおじさんが、タチさんからの使いである、ホフマンさんである。

 その低姿勢も、卑屈ではなくコミカルな印象を与える不思議な人物だが、彼の正体が商人に化けたスパイであるとわかっていれば、逆に空恐ろしいものがある。

 小太りで、全体的にのんびりとした印象を受けるおじさんで、鼻の下に生えたチョビ髭がなんともいえず剽軽だ。こげ茶の巻き毛がちょっと薄くなった頭に、目はゴマ粒かと思う程に小さい。外見からは、とてもスパイという印象は受けない人である。まぁ、あえてそういう姿にしているのだろうと思うと、やはり背筋に冷たいものが走るが……。

 そんなホフマンさんが、くるりとこちらに向き直る。


「ひ、ひどいじゃないですかぁ、ショーン様ぁ。たしかにお忙しいとはお伺いいたしましたが、面会のお願いをして三月も放っておかれるだなんて、手前も思っておりませんでしたよぉ。二月ってお約束だったじゃないですかぁ!」

「ははは。申し訳ありません。冒険者ギルドの方にずっと駆り出されていたもので。ですが、そちらは一応一段落はつきましたので、ようやくに携わる為の余裕ができました」


 僕の言葉に、それまではお道化ていたホフマンさんが、その小さな目を最大限見開いて僕を値踏みした直後、ジスカルさんとその護衛の二人、それからウルさん、ロッドさん、壁際の二人に、僕の使用人という順番で盗み見たあと、もう一度僕に視線を送ってくる。

 その意味を過たず理解しつつ、僕はホフマンさんに謝罪する。


「申し訳ありませんが、あなたの正体に関しては、この二人には説明してしまいました。急遽あなたをお呼びした事情も含め、一から説明させていただきますが、帝国にとっても悪い話ではないのでご安心を」


 僕がそう言うと、ホフマンさんは仕方ないとばかりに嘆息してから、それまでの柔和な表情に戻って揉み手を始めた。


「へぇへぇ。儲け話でございますか! それは実に楽しみでございますなぁ! 是非是非、手前どもにもお聞かせくださいませませ!」


 一連のやり取りで、ホフマンさんが厄介な相手だと思ったのか、ウルさんの表情は固い。逆にジスカルさんは笑顔だが、先程までの柔らかい笑顔ではなく、どこか貼り付けたような印象を受ける、その裏から虎視眈々と相手の隙を窺っているような顔だ。

 やっぱり怖いよねぇ、この人。スパイと知っていなければ、普通に商人だと思ってしまうし、スパイと知っているいまですら、警戒心をするりと抜けて懐に入り込まれそうな恐ろしさがある。

 僕は気を引き締めて、ホフマンさんに事情を話し始めた。先程ウルさんに聞いた経緯と、僕の考え――帝国にとってエウドクシア家の息女、ベアトリーチェという存在が、ナベニ侵攻においては非常に有益な旗頭になるという点を、割と時間をかけてしっかりと説明した。

 所々でウルさんに注釈を入れてもらいつつ説明を終えると、既に結構な時間だった。ベアトリーチェの身の上話を二往復したのだからある意味当然だが、いくらなんでもこんな時間に、ジスカルさんやホフマンさんを帰らせるのは非常識だろう。いくら二人が、その身を十分に守れるだけの備えをしていたとしてもだ。

 その辺も察してか、さっきから屋敷内を使用人たちが慌ただしく動いている気配がある。ザカリーが部下に命じて、客室の準備を整えているのだろう。なお、ウルさんは他の二人とは別の意味で安心だろうが、やはり部屋は用意しておくべきだ。


「なるほどなるほどぉ……。たしかに斯様な次第でございましたら、ウル様がこの場におられるのはわかるのですが……」


 ホフマンさんの視線がジスカルさんに向かうが、そもそもにして本日の先約は彼らであって、ウルさんの方がイレギュラーだったのだから仕方がないだろう。ベアトリーチェの件で、ウルさんたちが謝罪に訪れた時点では、追い返す理由もなかったしね。

 そして、一度知ってしまえばこんな話を彼が放置するわけがないだろう。どう調理するかはともかく、ベアトリーチェの扱いと帝国の動き次第でいくらでも儲けられるだろうし。


「それで、どうします?」

「それはもう、こちらとしては是非ともお願いしたいところでございます! 上からのご裁可を待つまでもございません! むしろここで即決できなければ、手前の評価は地に落ちてしまうでしょう! ウル様! おいくらでも構いません!! どうかそのベアトリーチェ様を、こちらに任せてはいただけないでしょうか?」


 ホフマンさんの言葉に、ウルさんは口元を鳥の尾羽で作ったらしい扇子で隠すが、隠れる寸前に口元が緩んでいた。たぶん、ジスカルさんやホフマンさんも見逃さなかっただろう。

 ウルさんからしても、心配事の種がなくなると同時に、予想以上の大商いになったのだから、多少破顔してしまうくらいは仕方のない事なのかも知れない。

 なお、そこから色々と折衝して契約書を作るまでに、さらに数時間かかった。当然、ジスカルさんやホフマンさんは勿論、ウルさんとロッドさんに加え、ベアトリーチェとその侍女さんも泊っていく事になった。


 まぁ、ベアトリーチェには聞きたい事もあったから、丁度いいか。



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