第60話 日常は、容易く脆く……。

 ●○●


 さて、僕の復調というニュースは、不本意ながら瞬く間にアルタン中を駆け巡った。グラが帰ってきた直後に復帰したという事で、単に姉の不在で臍を曲げていただけだという噂も流れたらしいが、その程度の誤解ならば別に躍起になって解く必要はないだろう。

 問題は、この状況で黙っているわけがない人物が、いまはこの町に一人存在するという点だ。


「来たぞ!!」

「こんにちは、ティコティコさん」


 来なくていいのにという思いを押し込めて、笑顔で応対する。いやホント、来なくていいのに……。

 この人、ちょっと怖いんだよ。その嗅覚も然る事ながら、なにより誘惑されるのが非常に怖い。先の疑似ダンジョンコアの変化だって、この人に触発されたから、という可能性はなきにしも非ずだろう。


「こんにちは、ショーンさん。今日はなにかあれば、力尽くで止めますのでご安心を」


 そして、【雷神の力帯メギンギョルド】の良心たるセイブンさんも一緒だ。良かった……。この人いないと、ホント、いざというときに歯止めが利かないからな【雷神の力帯メギンギョルド】。

 因みに、一応はブレーキ役たるシッケスさんとィエイト君もいるが、シッケスさんはどちらかというと、アクセルみたいなもので期待できない……。ィエイト君もィエイト君で、面倒臭そうに傍観者しているので、かなり役立たずだ。

 セイブンさんの隣に立ち、僕を見たティコティコさんは、少々訝しみながらも鼻をすんすんと鳴らしてから肩を落とした。どうやら、未だに僕の精通がまだである事を察して、残念がっているらしい。

 こういう意味でも、ホント嫌……。セクハラされる女の子って、こういう不快感を味わっているんだと痛感させられる。僕は幾つになっても、絶対に女の子にセクハラしないよう心掛けよう。


「っかしいなぁ。睦事にまつわるわえの勘が外れるなんって、滅多にねぇんだが……」


 僕の状態を確認したティコティコさんが、誰に聞かせるつもりもないような声音で独り言ちる。

 いや、マジで僕の生殖能力の発現を察知して、ウェルタンから飛んできたのかよ……。ガチで怖い。早急に遠ざけるか、最悪口封じに動かないと大変な事になりそうだ。ただ、実力もわからないのに手を出すのは、【雷神の力帯メギンギョルド】そのものを敵に回すようなものであり、軽々にとれる手段ではない。


「本日は、どのようなご用件で?」

「あん? んなもん、お前さんのご機嫌伺いっつー名目で、ちょっとガキちん――ふごぉ!?」


 不適切発言を試みた愚かなウサギは、ダンジョンコアと素手ゴロできる【】によって、顎を打ち抜かれた。目にもとまらぬ、真横からのストレートに、流石の兎人族といえど対処はできなかったようだ。

 というかコレ、死んでない? 常人なら間違いなく、下顎全部持ってかれてるよね?


「ラヴィ……、お前がどうしてもっていうから、こっちは仕事の手を止めて付き合ってやってんだ。冗談しか言わねえ口なら、ぐちゃぐちゃにして構わねえな? 明日から一生スープしか飲めねえ体になりたくねぇなら、くだらねぇ事ぁ言わねえ方が身の為だぜ?」


 いきなり荒々しい口調で拳を鳴らすセイブンさん。たまに出るよね、その素の性格。震える口調からは、セイブンさんの怒りの強さが窺える。まぁ、たしかに仕事の手を止めてまで付き合わされた雑事が、お遊びの類だったらイラっとくるだろう。

 セイブンさんのその威圧には、流石のティコティコさんも顔に緊張を貼り付けて、コクコクと頷いていた。本来なら青に染めるべきその頬が、なぜか真逆の色に染まっていなければ、僕だって安堵できたのに……。


「……かぁー……、っぱ、セイブンはいいなぁ……♡ 一夜でいいから、吾の相手もしてくんねぇかなぁ……」


 そして、顎に食らった一撃などなかったかのように、ケロッと立ち上がるティコティコさん。いやまぁ、生命力の理で回復したのだろうが、ハッキリ言って無駄遣いもいいところだろう。

 別に今日、仕事の予定がないのなら問題ないのだろうが……。


「……それで、繰り返しになりますが、本日はどのようなご用件で?」


 僕が改めて問い直した質問に、改めてこちらを見てから、勝ち気にニカッと笑うティコティコさん。そして彼女は、明け透けに言い放った。


「おう。お前の闘いぶりを見せてくれよ!」

「闘いぶりですか? それはつまり、手合わせをしようという事でしょうか?」


 だとしたら、お引き取り願うしかない。普通の幻術は彼女には通用しないだろうし、オリジナルの手札を無駄に晒すのは無警戒に過ぎる。彼女への対処が定まっていない状況で、軽々に手の内を明かす行為は、いざというときに僕らの身を危険に晒しかねない。


「おう! 幻術師っていうとフツー、ペテン師の類だからな! 吾としても、お前がどんだけ強いのか、イマイチ理解が及ばんところがある。だったら、ここらでいっちょ自分の目でたしかめとこうと思ってな!」

「なるほど……」


 などと相槌は打ったが、当然のようにこんな話は断るつもりだった。伏せた手札の数は、イコールで僕らの安全につながる手札だ。温存しておくに如くはない。

 だが――


「いいでしょう。私の刃の錆になりたいというのであれば、いますぐにでもその素っ首を叩き落してあげます」


 僕の隣から、凜と涼やかな声が響く。無論、グラである。彼女はその瞳を剣呑に細めて、見上げるようにティコティコさんを見据えていた。

 思わず背筋に寒気の走るその視線を受けてなお、ティコティコさんはあっけらかんと言い放つ。


「いや、アンタじゃねえよ。女の尻を追っかける趣味は、吾にはねえ」

「男の尻を追いかける趣味はあるんですか……」

「そらもう! 男の尻なら、むしゃぶりつく勢いで追いかけてやるぜ! 強いオスの尻なら、なおさらな! お前も、吾に強さを示せば追いかけてやる!」


 思わず突っ込んだら、異常な食い付きを見せるウサ耳の長身女性。この押しの強さは、やはり厄介なものだと実感する。もしもいま、僕の依代に生殖能力が備わっていたら、かなりタジタジになっていた自信がある。

 正直、ティコティコさんの外見は、ストライクゾーンのかなり真ん中寄りなのだ。シッケスさんも然りだが、人間だった頃の僕は割と年上好きだった。

 だからこそ、この状況は目にも耳にも毒であり、自分自身が信用できない要因になる。


「私を倒せたら、ショーンと戦う許可を与えましょう」

「いや、グラが勝てない相手に僕が勝てるわけないでしょ」


 戦闘能力では、僕は逆立ちしたってグラには勝てない。近接戦闘能力に関しては比べるまでもなく、魔術戦においても手札の数が違う。おまけに、グラは僕の手の内を知り尽くしている。

 こんな状態で勝てるわけがない。手札をすべて晒して、おまけに相手は手札十枚くらいで役を作れるポーカーみたいなものだ。幻術師は、意表を突かなければただの手品師でしかないってのに……。


「んじゃ、吾が勝ったら弟と一発ヤる権利をくれよ。弟がようになったら使うからよ!」

「? ……良くわかりませんが、それで勝負を受けるというのなら、望むところです」

「グラさんっ!?」


 セイブンさんが驚いたようにグラを見るが、対する彼女はなにをそんなに驚いているのかわからず、きょとんと首を傾げていた。僕はといえば、グラの性教育の遅れを悔やみ、目を覆って打ちひしがれていた。

 いや、ホント……、トポロスタンの新ダンジョンとか、僕らのダンジョンとか、グレイとかで延び延びになっていたせいで、未だにギルドの貴婦人にお願いすらしていないのだ。


「マジか! 言ってみるもんだな! じゃあ、ギルドの訓練場行こうぜ! あそこなら、ある程度本気で暴れ回れるからよ。はよはよ!」

「なにをはしゃいでいるのですか……。どうあれ、あなたに勝利の目などありませんよ」


 意気揚々と部屋を出ていくティコティコさんに、こちらの反応など意にも介さないグラ。

 僕はといえば、セイブンさんからの視線が痛くて、そちらを見れない。というか、ティコティコさんもそうだが、グラだって僕に関する事を勝手に決めるのは酷くないか? いやまぁ、負ける気がないからこそなのだろうが……。


「ショーンさん……」

「反省してます……」

「……。まぁ、男性であるショーンさんが、女性であるグラさんにそういう事情を話すのは憚られるでしょうが……」

「すいません……」


 セイブンさんからの言葉に、僕はひたすらに謝り続けた。今回はこちらの不手際も大きい為、あまり【雷神の力帯メギンギョルド】側の非を責められない。いやまぁ、元を質せばティコティコさんがおかしな条件を出さなければ、こんな事にはならなかったのだが……。


「ねぇ! グラちゃんに勝ったら、ショーン君と子作りできるってなら、こっちも参加したいんだけど! っていうか、順番的にこっちが先じゃね?」


 そして、ここにきてさらに話をややこしくしようとするシッケスさん。もうホント、勘弁して……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る