第32話 アーベンとウル・ロッド

 まったく、ひどい一日だった。

 朝は朝で、件のガキに遭遇するし、壁外ではよりにもよって牙ウサギがでた。

 別に牙ウサギが強いってわけでもないが、牙や角のあるウサギは攻撃的で、怪我を負う可能性があるのだ。

 汚ねえ路地裏生活では、小さな怪我でも命取りになりかねねえ。怪我なんざ、しないに越した事ぁねえ。


 そんな、散々な一日を終え、俺はキュプタス爺のねぐらまでやってきた。

 ここを訪れた理由は、狩ってきた牙ウサギの肉を調理する為だ。キュプタス爺は、獲物を半分も渡せば、属性術で火種を作り、ねぐらの調理器具も自由に使わせてくれる。

 このスラムでは、それなりに重宝する爺だ。獲物を半分も持っていかれるのはムカつくが、それもウサギの肉だからな。仕方がない。

 嘘か誠かこの爺、昔は王国の魔術部隊に所属していて、戦いの最中に両足を膝下から失ってしまったそうだ。以来、こうしてスラムで火種と調理できる場所と器具を貸し出す事で、糊口をしのいでいるらしい。まぁ、両足を失っている以上、他に稼ぐ手段もねえのだろう。


 適当に肉とクズ野菜を混ぜ、塩を振ってできた、料理と強弁すればそう呼べる代物。これで、今日あった事なんぞ忘れてしまえとばかりに、俺はそいつを掻き込んだ。

 うん、久々の肉は美味うめぇ。


「ひょひょひょ、落ち着いて食えばよかろうに」


 少し詰め込みすぎてむせた俺を、キュプタスは抜けた歯の間から息を漏らすようにして笑う。


「ところでジーガよ、なんでも最近、おかしな子供が出没するらしいの。お主、知っておるかえ?」

「…………」


 なんだって、こっちが忘れようとしているときに、そのガキを話題にしやがんだこのクソ爺。


「ふむぅ。どうやら知っとるみたいじゃの」

「ああ。だからなんだってんだ?」


 ぶっきらぼうにそう返し、今度はゆっくり料理を口に入れる。ちょっと塩をケチりすぎたかも知れない。腰に下げている皮袋から、一摘み塩を加える。よし、味が良くなった。


「どうもその子供、ウル・ロッドの下っ端にまで手を出したみたいじゃぞ?」

「はぁ!? マジかよ!?」


 俺は驚愕し、キュプタスに問い返した。そんな俺の驚きを目にして、爺はひょひょひょと気持ち悪く笑う。


「どうやらそのようじゃ。なんでも、幾人かが子供のねぐらに入ったきり、出てこんかったらしい。まず、生きてはおるまいの」

「本気でバケモンなんじゃねえのか、あのガキ……」


 俺は今朝見たガキの顔を思い出し、ぶるりと背筋を震わせる。

 どうやらあのガキは、昨夜は冒険者だけでなく、ウル・ロッドのところのチンピラまでもを始末していたようだ。だというのに、今朝は何事もなかったような顔で冒険者ギルドに行っている。つまり、気楽に外を出歩いているのだ。

 信じらんねえ。命がいらねえのかと問いたくなる行為だが、そんなものは最初からだといわれればその通りだ。やっぱりあのガキはバケモノの類なんじゃねえかという疑惑が深くなった。


「話が厄介になるのはここからじゃ」

「あん? まだ続きがあんのかよ?」


 俺が問い返した言葉に、キュプタスは重苦しく「うむ」と答えてから続けた。


「どうもその子供、アーベンの人攫い連中も消してしまっておるようなのじゃ。そこで、アーベンがウル・ロッドの上の方に、共闘できないかと打診をしておるらしい」

「マ、マジかよ……」


 アーベンは奴隷商だ。しかも、人攫いと繋がりを持つ人買いだ。それゆえに、このスラムではウル・ロッドと同列に忌避され畏怖されている。

 見目の整ったガキや女がスラムに落ちれば、その日のうちにアーベン子飼いの人攫いが寝床に忍び込むとまで言われている程だ。そうでなくても、隙を見せたら小遣い稼ぎに攫われて、鉱山奴隷の足しにされかねねえ野郎なのだ。


「ウル・ロッドはともかく、アーベンはそれなりに必死じゃの。まぁ、下っ端のチンピラを失った程度のウル・ロッドに比べれば、手塩にかけた人攫いを消されておるのじゃ。このまま報復もせんでは、スラムでは顔が立たぬからのぅ……」

「それはウル・ロッドだって変わらねえだろ。下っ端とはいえ、ファミリーの構成員を殺されて泣き寝入りなんざしてたら、敵だけじゃなく味方にも舐められる」

「まぁ、そうじゃのう。下っ端数人が消えた程度の話は、一日二日でウル・ロッドの上層部までは届いておらなんだろうが、アーベンが共闘話を持ちかけた事で確実に伝わったはずじゃ。そうなれば、件の子供をただ見逃しておくとも思えぬ」


 ウル・ロッドとアーベン。この二つは、スラムでは絶対に敵に回しちゃならない相手だと、誰もが知っている。ウル・ロッドに関しちゃ、表の連中だって耳にした事は一度や二度じゃないだろう。

 そんなヤツらの面に、あのガキは泥を塗りたくっているのだ。

 なんにしても、大火の予感がするな。できれば、火の粉の飛んでこない場所まで避難しておきたいもんだ。しばらくは、あまり出歩かないようにしておくか。

 まぁ今度こそ、あのガキも終わりだろう。


 俺は、俺とは関係のない場所で繰り広げられるであろう、この町の裏の実力者二人と、得体の知れないガキの攻防を思って冷えたハラを温めるように、もう一度飯を掻き込んだ。


 また塩が足りなくなって、もう一摘み加えた。


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