第31話 初戦闘は苦く、実験は甘く
カピバラもどきの突進。
間の抜けた顔つきに、精一杯の敵意を浮かべ、齧歯を剥き出しにしてこちらに迫る。
「う、うわぁっ!?」
思わず僕は、剣の柄から手を離し、両腕をかざして身を守ろうとした。
直後、軽い衝撃と悲鳴が、薄暗い下水道に響く。悲鳴をあげたのは、僕じゃない。
見れば、カピバラもどきがのたうっており、なんとその齧歯が折れてしまっている。
「え? これ、どういう状況?」
「ショーン……、忘れているようですが、あなたが内包している生命力、すなわちエネルギーは約五MDPなのですよ?」
「う、うん。別に忘れてないけど?」
なにせ、ここにくる直前に、装具作りでどれだけのDPを消費するのか、確認してきたのだ。結果、理を刻んだ装具を一つ作るのに、だいたい五〇KDPくらい必要だった。勿論、作るものによって消費量は変動するので、あまりアテになる数字ではない。
だがまぁ、目安にはなる。装具に必要なDPの量は、少なくもなく、多すぎるという事もない。
「ではショーン。約五MDPの生命力を内包しているあなたと、そこの精々四、五〇〇DP程度しかない下等モンスター、まともに相対できるとでも?」
「あー……、なるほど?」
つまり、文字通り桁違いの力量差があるわけだ。この場合の力量差は、戦闘技能の差ではなく、単純なパワーの差という事になる。
どれだけ頑張ろうと、ネズミがゾウとタイマン張って、勝てるわけがないのと同じだ。ゾウをゾウと知らず、本気で体当たりを敢行したネズミがどうなるのか、僕はいま目の当たりにしているわけか。なにせ、一万倍だからなぁ……。
このカピバラもどきの不幸は、僕というゾウが、まるでそうは見えない容姿をしていたという点だろう。人間の子供を狩るつもりで、ご自慢の齧歯を突き立てたら、超硬度のダンジョンコアだったのだから哀れな話だ。
「せめて苦しまぬよう、トドメを刺してしんぜよう」
「偉そうにしていますが、あなたさっき、その程度のモンスターに臆していましたよね?」
「う……」
しょ、しょうがないじゃないか! このサイズの動物に、真正面から突進されたんだぞ? 大型犬くらいあるんだぞ?
いやまぁ……。かなり情けない姿だった自覚はある。次からは、狼狽えるにしたって、もうちょっとマシに狼狽したい。
僕は腰から小剣を抜き放ち、いまだのたうっていたカピバラもどきの喉を切り裂く。ドバドバと赤い血が流れ、やがてその動きが止まる。
「この小剣、
初めての戦闘で、トドメを刺す事しかできなかった大王烏賊が、不満そうに僕を見返している気がした。
「ショーンの戦闘能力を、向上させる必要性が生じました。いまのままでは、人間を相手にした際に、遅れをとる可能性が高くなるでしょう」
「ははは……。わ、わーい、またカリキュラムが増えちゃったぞ……。一日が二八時間に増えたわけでもないってのに……」
スパルタにも程や限度というものはあるだろうに。
とはいえ、自分でも初戦闘が実に無様な有り様であったのは自覚している。こんなザマで、冒険者を相手にできるだなんて、豪語できる程僕の面の皮は厚くない。
僕の置かれた状況で死なない為には、戦う力は必須だろう。
「とはいえ、今日のところは実践経験よりも、実験を優先しよう。誘え」
そう言って僕は、右のイヤリングを稼働させる。そこに刻まれた魔力の理は、【魔術】のうちの一つ、幻術の【誘引】だ。
簡単に言ってしまえば、その効果は周囲にいるものの興味を惹き、こちらに誘き寄せるというものだ。ゲームなら、タンク役の必須技能【挑発】みたいなものだ。
本来なら、大型のモンスターや人間にも、それなりに有用な術なのだが、装具に理を刻み込む過程で、それ程高い効果は見込めなくなっているらしい。精々、小型のモンスターを不特定多数惹き寄せる程度の効果になっている。
だが、僕的にはそれでいい。
ざざ、ざざざと、数多く、しかしながら小さな足音が聞こえてくる。見れば、真っ黒な雲霞のごとく、どこにいたのかと問いたくなるレベルで、ネズミにしては巨大な影の群れがこちらにやってきていた。
「……夢に見そう……」
勿論、悪夢として。下水道の隣にある狭い足場いっぱいに、ネコ程もあるようなネズミが所狭しとこちらに駆けてくる様は、もはや恐怖でしかない。
そんな恐怖を押し殺しつつ、僕はその群れに対して、もう一つのイヤリングに刻まれた幻術、【睡魔】を発動する。
「眠れ。一気に削れたな」
バタバタとネズミたちが倒れていく。だが、まだ半分以上はこちらに向かって進んできている。弱いモンスターだから半分も眠ったが、この【睡魔】はそこまで強力な幻術ではない。
「四割くらいのモンスターが、眠りについたようですね。ですが、残りの六割をショーンが単独で相手にするのは無理ですよ。さっさと対処してください」
「はいはい。じゃあもう一回、眠れ」
さらに半数近くが足を止めて蹲った。それでもまだ、ネズミたちは残っている。仕方がないのでもう一度。
これが、僕がグラにお願いした、二つの装具の使い道だ。幻術の【誘引】と【睡魔】の合わせ技だ。
強いモンスターには、【誘引】はともかく【睡魔】は効果が薄いらしい。だが、装具に理を刻んだせいで【誘引】の効果が落ちている。なので、ある程度強いモンスターはこのコンボにかからない。引っかかるのは、【睡魔】の効果が高い、弱いモンスターだけだ。
しかも、装具にしたおかげで【睡魔】が連続で使用できる。もし僕が幻術師になっても、これだけ連続で術式を発動させる事はできないらしい。
これで、残るネズミは二体。なぜかこんな下水道で、赤い体毛を生やしている一体と、後ろ脚が発達して、ぴょんぴょん飛び跳ねている一体。体毛が赤い以外は普通のネズミのようなのが赤ネズミで、トビネズミのような外見のものが脚長ネズミだろう。大きさは、どちらもネコくらいはある。
僕は抜いたままだった大王烏賊を振るい、赤ネズミの方を両断する。残るトビネズミもどきは、素早く動いて剣をかわす。が、それだけだ。
逃げに徹されると、狩るのが非常に難しそうではあるが【誘引】に惑わされている以上、この脚長ネズミは逃げはしない。なんとか僕の隙を窺って、攻撃を仕掛けてくる。
が、カピバラもどきが無理だった事が、この脚長ネズミに可能なわけもない。足に齧り付こうとしたねずみを、そのまま蹴り飛ばし、地面に転がったところを剣で刺した。
うん。今度はちゃんと、戦闘らしい戦闘ができたと思う。まぁ、圧倒的優位に立っていると自覚したからこそ、落ち着いて動けたというのもあるが。
「さて、じゃあさっさと拾って、僕らのダンジョンに持ち帰ろう」
「そうですね。向こうで倒せば、多少なりともDPになります」
ポイポイと、持ってきた皮袋の中に、ネコ大のネズミたちを放り込んでいく。なかにはあのカピバラもどきもいたが、これを持って帰るのは骨だ。なので、サックリと喉を裂いておいた。
これが、装具を二つも作ってもらった理由だ。わざわざ下水道まで赴いたのだから、得られるものは最大限得たいのだ。
下水道のネズミを誘き寄せ、眠らせ、僕らのダンジョンまで連れ帰り、〆る。冒険者としての実績稼ぎ、戦闘訓練、装具の稼働試験と幻術二つを合わせて使う実験、そして栄養補給と、今回の下水道探索で得られたものは多い。
「それじゃ、帰ろうか」
「はい。これ以上、ここにとどまる意味はありません。【睡魔】の効果とて、いつまでも続くわけではありませんしね」
「うん」
僕は頷き、元きた道を戻る。二匹のカピバラもどきと、赤ネズミ脚長ネズミの魔石は回収済みだ。
生き物が入った皮袋は重かったが、良心の呵責に苛まれる事なく摂取できる栄養源は貴重である。
僕は文句も言わずに歩き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます