第3話 重すぎる二者択一

 声の主の話では、ダンジョンコアというのは生まれた瞬間から、活動可能な肉体と精神を有しているらしい。

 たしかに、僕も転生したくせに、赤ん坊じゃあない。なんか、普段より視点が低いような気もするが、それはこの家のスケールが大きいだけだろう。髪も、前世の頃より長く、肩口まで伸びている。

 ダンジョンコアは、生まれた瞬間から己が何者で、これから何をすべきなのかを知っている存在らしい。基礎知識とやらに、そこら辺はインプットされているようだ。

 僕だって、転生直後から自分が何者であるかというのは自覚しているものの、それはあくまでも針生紹運としての自我でしかない。そして、これからどうすればいいのかというのは、まったくわからない。


「ダンジョンコアの目標は、地中深くその存在を延伸させる事です。そして、惑星のコアへと到達し、惑星そのものと同化するのが最終目標となります。それにより、亜神であるダンジョンコアは、一柱の神へと至れるのです」


 との事。やたら確信的な物言いが気になって、本当にそれで神に至れるのか聞いたら、逆に困惑された。どうやら、この声の主にとってそれは、一足す一が二であるくらいの、自明の理らしい。

 この時点で、なんとなくわかってきた。


「ねえ、イデアってなに?」

「イデアは——我々の母体です。創造主とも言い替えられます。全知にして全能の存在です」

「神様?」

「神と呼ぶのは語弊があります。一個の存在と定義するには、いささか以上に膨大にして広大な存在です。しかしながら、唯一無二であるのは間違いありません。畏敬の対象という点では、蒙昧な輩が神と混同してもおかしくはない存在です」


 今、バカにされた気がする。バカだって、オブラートに包んだ悪意くらい察せるんだぞ。


「君もわかっていないって事?」

「わからずとも感じていますし、イデアから溢れた我々は、その知識の片鱗を有しています。少なくとも、ダンジョンについては生誕直後から、十全に知悉しています」


 結局、この声の主にも『イデア』がなにかっていうのは、わかっていないようだ。ただ、それが自分たちの生みの親で、すごい存在だとインプットされているらしい。それが、基礎知識なんだとか。

 ここら辺は、正直ニュアンスでしか理解できない。そして、理解できないという事は、僕はダンジョンコアとやらじゃないのだろう。


「ダンジョンコアっていうのは、それを生まれた瞬間から理解してるんだね?」

「はい。我々ダンジョンコアにとって、イデアの存在を感じるというのは、地上生命にとっての呼吸のようなもの。彼らが生まれた直後から呼吸をし、それを妨げられるのを苦痛と感じるように、我々もその重要性を本能で認識しています——ショーンあなたにもわかりますよね?」

「いや、わからない」


 あっさりとそう言った僕に、声の主は絶句してしまう。彼女にとっては、それは呼吸せずに活動している人間を見ているような感覚なのだろう。ありていに言って、それはゾンビに向ける視線だ。


「僕の考えを述べてもいいかい?」

「……どうぞ」


 不審の色を隠しもしない声音で、声の主が僕に言葉の続きを促した。きっと、今度は無言で自爆機能をオンにしたに違いない。


「君の言うダンジョンコアっていうのは、たぶん僕の事じゃない。君の事だ」

「私はたしかに、ダンジョンコアであるあなたの一部です。なので、私もダンジョンコアであるという言葉には、肯んずるだけの蓋然性はあります」


 僕の仮説をそう肯定した彼女。だが、その内容は、肯定でありながら否定的というものであり、事実すぐに反論がきた。


「しかしながら、あなたがダンジョンコアではないという点は同意しかねます。あなたの体は間違いなくダンジョンコアであり、主導権もまた、あなたにあります。論理的に考えて、あなたがダンジョンコアの本体であり、私は副次的な存在であると推察できます。恐らくは、頭の悪いあなたの代わりに思考する、演算装置だと思われます」


 おいっ! 歯に一切の衣着せずに、頭が悪いって言いやがったよ、この子!! 別に頭がいいわけじゃないけどさ、直接バカにされると、バカでも傷付くんだぞ!!

 言葉の刃は、きちんとオブラートという名の鞘に納めてくれ。うん、オブラート、大事。超大事。


「たぶん、主導権が僕にあるのは、僕が生まれる前に告げられた、ダンジョンマスターという肩書きに由来するんじゃないかな」

「ダンジョンマスターですか? それは、先程述べていた、前世の記憶に由来する情報ですか?」

「うん? いや、どうだろう。前世で命を落とし、こっちで転生する狭間に聞いた言葉だから、前世の知識というと語弊があるかもしれない」

「イデアからの情報を汲み取ったのでしょうか?」

「それにしては、やけにおざなりで庶民的な対応だったが……」


 少なくとも、あのおばさんが全知にして全能なるイデアさんだとは思えない。そして、おばさんの言葉で有意義そうな単語は、ダンジョンマスターくらいのものだ。基礎知識というにも、少々情報量が少なすぎるだろう。

 やっぱり、転生モノのようにもうちょっと親切に転生させて欲しい。そうすれば、ここまで現状確認に労を割く必要もなかっただろうに……。


「これは、前世の知識というよりも、前世の創作物のセオリーなんだけどさ」


 僕はそう前置きして、所謂ダンジョンモノと呼ばれる、日本の創作物におけるテンプレについて、いくつか説明した。

 それは、日本人が異世界に送られ、ダンジョンの権能を用いて地球のものを生み出したり、呼び出したモンスターを擬人化してハーレムを作ったり、あるいは、ダンジョンのトラップを利用し、無双するような話だ。


「つまり、本来のダンジョンコアは私で、ショーンはダンジョンコアを支配するダンジョンマスターという存在として生まれた、と?」

「そうなんじゃないかなぁ、って話。いや、正直どこまで的を射ているのかはわかんないけど、少なくとも、君の話を聞いて、僕は自分がダンジョンコアではないという確信を得た。だとすれば、その基礎知識を有し、ダンジョンの存在理由を知っている君が、ダンジョンコアなんじゃないかなぁって」

「…………」


 考え込むように沈黙した声に、僕も黙って結論を待つ。その間に、周囲を観察する。

 最初に思った通り、うらぶれたという言葉がピッタリな荒ら屋だ。壁に空いた穴から差した陽光に、宙を舞う埃が照らされているのがまた、実に廃墟っぽい。

 って!? 今気付いた。僕、全裸だった。

 いやまぁ、生まれた直後なんだから生まれたままの姿なのは当たり前だけどさ! 町中で全裸とか、どう考えてもピンチじゃん!!

 良くて変態扱い、下手すりゃ逮捕、投獄だ。


「一つ、確認してもいいですか?」

「うん? お、おう。なに?」


 ストリーキング回避の策を必死に考えていた僕に、声の主が問いかけてきた。そろそろいい加減、彼女にも名前が欲しいな。


「あなたの前世の種族は、もしかして地上生命ですか?」

「あー……、まぁ、そうだね。というか、地中生命というものが、僕の生きていた世界では、そんなに多くないかな」


 精々、ミミズとかモグラとかだろう。それも、地表付近に生きていたので、彼女のいうような地中生命と同種の存在なのか、判断がつかないところだ。


「……人間種、では、ない、ですよね……?」


 文字通り恐る恐るといった風情で、歯切れ悪く問いかけてきた声に、僕は即答できなかった。

 言葉の端々から、彼女が地中生命である自分に誇りを持ち、その反面地上生命の、とりわけ人に敵愾心を抱いているのには気付いていた。だからこそ、僕の前世の種族に関しては、ぼかしておけるならぼかしておきたい点だったのだ。

 だが、こうもストレートに問われれば、答えねばならないだろう。嘘を吐くのは悪手でしかない。


「……。そうだね、僕の前世は人間だ」

「……。……、警告します。私はいま、自爆の準備を十全に終えました。それを理解したうえで、慎重に答えを選んでください」


 これまでの、どこか親しみのある声ではない、どこまでも冷たく無機質な声音に、思いの外ショックを受けた。自分の心境の変化に、我が事ながら驚いたくらいだ。

 会って間もないどころか、いまだ声以外知らない相手だというのに、どうしてそんな思いを抱いたのだろう。




「……ダンジョンとは、地上生命の命を食らって大きくなる種族です。主な食料は——人間となるでしょう」




 だからだろうか、告げられた言葉にはそれ程衝撃をうけなかった。正直、ダンジョンモノのテンプレ云々を話している途中で、その可能性も考えていた。

 いまは、そんな事よりも、彼女に嫌われたくないという心情の方が強い。その理由はわからないが。


「ショーン——あなたは、ダンジョンコアである私と、共生できますか? すなわち、人間を殺して、食らえますか?」


——食人。

 それは、針生紹運という男子高校生にとっては、背負う事などできないだ。考えるまでもなく、それは悪徳だ。現代に生きる日本人にとっては、問答無用の禁忌だろう。


「言っておきますが、先程あなたの語った物語のように、内部に地上生命を内包するだけで糧が得られるなどという事はありません。きちんと、殺して、食らわなければ、私は——私たちは、餓死します」


 だが、彼女の立場に立ってみれば、それは単なる食事でしかない。栄養の摂取であり、必ずしなければならない、生理的な欲求だ。

 人間が牛や豚、鳥や魚、野菜や穀類を——命を食まねば死ぬのと同じように、ダンジョンもまた人間を食べなければ死んでしまう。


——ダンジョンにとってそれは、禁忌でもなんでもない、当たり前の行為なのだ。


 つまりは、僕がこれからダンジョンコア=ダンジョンマスターとして生きていく為には、食事という生理的欲求そのものが禁忌であるという、抗い難い認知的不協和を克服しなければならないのだろう。

 ごくり、と無意識に喉が鳴った。

 いや、無理だろ、コレ。

 予想はできていたとしても、そんな禁忌を日常に組み込む覚悟なんて、できるはずがない。今日から人を殺さなければ生きていけないと言われて、「はいそうですか」と納得できる程、僕は人間性を捨ててはいない。

 だが、思い悩める猶予だって、そう長くはないだろう。既に僕は生まれてしまった。生まれたならば、いずれ腹は減る。

 それが、覚悟を決めるまでのタイムリミットなのだ。


 人間として命を絶つか、ダンジョンコアとして人を食らうかという、覚悟を決めるまでの。


「…………」


 僕は彼女の質問に、答えられない。まだ、覚悟が決まっていない。

 この世界の、縁もゆかりもない人間の為に、死んでもいいとは思っていない。だからといって、そんな人たちが死んでもいいなどとは考えられない。

 いまはまだ、食いたくないという気持ちもある。

 だが、だったらこの声の主に「人間として、食人行為はできない。一緒に密やかに死んでくれ」と頼めるかと言われれば、そんなわけがない。ただでさえ、人間が嫌いな誇り高いダンジョンコアに、どの口で「人間の為に死んでくれ」などと言えるのか。

 彼女に、人間の為に死ぬ理由など皆無なのだ。それは結局、僕のエゴで彼女を殺すといういう意味しか持たない。


 だが最終的には——僕はどちらかを選ばなければならない。


 無関係な大勢の他人と、いまだ声しか知らぬ彼女。どちらかに「死ね」と、絶対に言わなければならないのだ。即断できなくとも、いつかは決断しなければならないのだ。


 けれど、運命ってやつはせっかちで、僕の転生はどこまでも、不親切だった。悩む時間すらくれないのだから。



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