第4話 初めての異世界人

「■■■■■■■■!? ■■■■■■!!」


 突然、背後から響いた声に、僕は振り向いた。そこには、見窄らしい格好の、三十代後半くらいのガリガリの男がいた。そこまでのボロを纏うくらいなら、いっそ全裸の方がまだ格好が付くんじゃないかというくらい、男の姿は小汚かった。

 どうなんだろう?

 第三者が見たら、全裸の僕とこの男では、どちらがマシな姿なんだろうか。


「しかし、言葉がわからないぞ。なんて言ったんだ?」

「最初に『誰だお前は!?』と問い、次に『ここは自分の住処だからどこかへ行け、変態野郎』と言っていますね」

「おお、通訳ありがと。人間は嫌いなのに、人間の言葉はわかるんだね」


 変態に関してはスルーする。好きで全裸でいるんじゃないし。

 僕の一部であるらしい、彼女の声は男には聞こえていないようだ。まぁ、元々テレパシーだったしね。


「基礎知識の一部です」

「まったく、イデアは優しいな。僕も、生まれ変わるなら、基礎知識とまでは言わないけど、最低限言葉がわかる程度の知識と、ついでに服も欲しかったよ」


 ホント、切実に……。服もない、お金もない、お金に変えられるものも持っていないとなれば、どうやって生きていけというのだ。野垂れ死にENDまっしぐらである。


「■■■■■■■■!!」


 ありゃ、なんかめちゃめちゃ怒鳴られてる。話しかけられても無視してるように見えたのかな。

 仕方がないので、言葉が通じないという事を伝える為、僕は小汚い男に話しかける。


「申し訳ない。僕にはあなたの言葉がわからない。ここがどこかもわからない。気付いたらここにいたんだ。ここがあなたの家だったというのなら、即座に退散しよう」


 できればなにか着るものが欲しいとねだりたいところなのだが、自分の着るものすらあの有り様である。それは無体な要求だろう。

 言葉がわからなかったのか、首を傾げる男。それを確認してから、僕はもう一度口を開いた。

 彼の言葉がわからないのは確認した。そして僕の言葉が、彼に伝わらないのも確認した。だから、ここで話しかけるべきは、この小汚い男ではない。

——彼女だ。


「ねぇ、ダンジョンコア」

「はい、なんでしょう?」

「ダンジョンっていうなら、罠くらい張れる? できれば、落とし穴とかそういうの」

「……できますが?」

「じゃあ作って。僕の足元から、少し先くらいに」

「……了解……」


 男の前で、僕は堂々とそう要求した。

 少しして、僕のなかのなにかが、不自然に動くのがわかった。なんというか、体温だけが勝手に動いて、地面に吸い取られているような感覚だ。というか、体温の半分くらい持っていかれてないか、コレ?

 ものすごい喪失感に、表情を保つのが大変だ。

……気付かれてないか? よし、気付かれてない。

 男には、さっきの僕の言葉は伝わっていない。だから、ダンジョンコアに話しかけたのを、自分に友好的に話しかけたと勘違いしただろう。男の認識では、ここにいるのは僕と自分だけだろうからね。

 その男が、全裸の僕を頭の先から爪先まで、ジロジロと眺めてから、ニヤリと笑みを浮かべた。

 え? なに、もしかして貞操の危機?


「■■■■、■■■■■■■。■■■■■■、■■■■■」

「なんだって?」

「要約すると、人買いに売れば、それなりの値が付きそうだそうです。野蛮な人間らしい行いですね」

「まったくもって、耳が痛いね」


 苦笑していると、男が無遠慮に近付いてきた。僕は無防備に、無警戒に笑みを湛える。まるで、男の下卑た笑みを友好的と勘違いしたような態度だが、勿論そんなわけはない。


「■■■■■■■■■■■」

「安全なところへ案内してくれる、らしいですよ。なぜ言葉が通じないとわかっている相手に、嘘を吐くのでしょう?」

「さぁ? 通じてたら、さっきの言葉も聞こえてるとか、考えないんだろうか」

「地上生命の思考回路は、意味不明です」


 僕は嬉しそうな顔をしつつ、胸に手を当てて軽く頭を下げる。そうしながら、声の主との会話を続けた。男には、まるでお礼を述べているように見えただろう。


「圏内に入りました。もう少し引き寄せます」

「ああ、タイミングは任せるから、よろしく」


 あくまでもにこやかに、緊張を覚らせないよう、僕は自らの表情筋に、これまでの人生で最も強く命令を発していた。そのおかげか、男にこちらを警戒する様子は見られない。

 まぁ、こんな場所に全裸で放り出されているヤツに、なにができると侮られているのかも知れないが。

 そして、次の瞬間——


「ひゅあ——!?」


 そんな声を残して、男の姿は僕の視界から消えた。見れば、本当に僕の爪先数センチくらいのところから、ぱっくりと四角く地面に穴ができていた。

 現代日本でも、重機を使って数時間程度はかけなきゃ作れないような、大きな穴だ。穴の底で、先程の男が石筍のようなものに貫かれて死んでいるのも見えた。

 胸と腹、それと足にも尖った石が突き立っており、あれで生きてはいないと一目で判断できる死に様だった。


「ふぅぅぅぅぅ……」


 僕は盛大に息を吐くと、がっくりと腰を下ろした。全裸のままだと、うんこ座りという言葉の捉え方も変わってくるような姿勢だが、そんな些事になど頓着していられない安堵感だ。

 見るからにゴロツキといった身なりの男を見て、僕は真っ先に保身を考え、ダンジョンコアに頼った。そして、その予測は当たり、男は僕を人買いに売り払おうとした。

 生と死の二者択一とは別種の、人生が終わるかも知れないという緊張を強いられ、僕はその元凶を敵と定めた。その者を倒すと決意し、行動を選択し、実行——は、今回僕はなにもしてないか。

 だが、指示したのは間違いなく僕だ。彼は、僕が殺したのだ。

 ともあれ、そんな緊張が、敵の死とともに一気に弛緩した事で、僕は立っていられないような安堵に包まれていた。


 ああ、やっぱり僕は、死にたくないんだ……。


 そう実感する。人を食わねば生きられないというのなら、僕は悩む。苦悩し懊悩し煩悶し憂慮して、七転八倒するだろう。そしてそれでも、全然答えを見出せないだろう。

 だが、きっと最終的に、僕は生きる事を選ぶのだろう。


 それを禁忌と感じるままに。


 ああ、本当に、なんて不親切な転生なんだ。あのおばさんは、仕事が適当すぎる。

 言語知識も衣服も欲しかったが、なによりも、殺人に一切の呵責を覚えないような人でなしに、精神を弄ってから転生させて欲しかった……。そうすれば、こんなに落ち込まなかっただろうに……。食人行為も、割り切ってできたかも知れない。


 これからも、きっと何度もこんな事を思うのだろうなぁ……。



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