第1話 情報という宝の価値
●○●
「なるほど。つまり、我々の死神術式が狙われている、と?」
「そう。それが最近、侵入者が増えてきたワケだよ。たぶんだけどね」
ダンジョン四層のとある場所。寝室としている僕らの部屋からは、暗い海の底が一望できる。壁一面がガラス張りであり、僅かな明かりに寄ってきた魚介類がこちらを覗くのが楽しく、正直時間を忘れて見ていたい程の私室だ。
グラが、僕を思って用意してくれたという点も大きい。惜しむらくは、あまりこの寝室で過ごす事ができない程、多忙を極めているところだ。
僕の説明に「なるほど……」と、あまり興味なさそう頷くグラ。まぁ実際、散発的な侵入者など、ダンジョンにとってはただの餌でしかない。むしろ、美味しい状況といえる。
グラにとっては、それがどのような思惑であろうと、こちらのDPを補ってくれる愚行は歓迎すべき事であり、人間側の失態だ。特に注意を払う必要も、学ぶべき事柄もないと、興味が薄いのだろう。
だが、グラには人間の性質について、ここは勉強してもらおう。
「いいかいグラ? 彼らが求めているのは知識だ。それは即ち、僕らが有するダンジョン側の情報の流出に他ならない。ダンジョンと人間たちの生存競争において、それは小さくも取り返しのつかない失点となる」
「たしかに……」
「最悪、死神術式が流出しても【
「そうですね。少々気を抜き過ぎだったかも知れません」
「――と、いう事を前提に!」
釘を刺し終えたところで、現状のメリットについて話す。
そのとき丁度、窓の外を大きな影が横切った。ウバザメっぽかったが、残念ながら夜は光を抑えているので、詳細を確認するのは難しい。
四層だからここはそこそこ深い場所であり、また陸からも結構離れている。いかに【魔術】がある世界とはいえ、単身潜ってくる者はまずいないだろうが、最悪の事態は想定しておきたい。まぁ、いずれこの窓の外は受肉したオニイソメちゃんの群生地にするつもりだ。番犬代わりにね。
「いまの侵入者たちは、まず間違いなくしばらくは途絶えない。ある程度のDPは彼らが賄ってくれると、期待していいだろう」
「ふむん……? すみません、あなたの自信の根拠が良くわかりません。いまの連中もまた、以前のマフィアや不良冒険者連中と同じように、ある程度犠牲者を出したら数が減るのでは?」
「いや、恐らくだがそうはならない。なぜなら彼らが求めている知識、それを真に欲しているのは、その背後にいる者だからだ。つまり、送り込まれてくる連中を何人倒したところで、その背後にいる者にとっては、なんの痛痒にもならないという事を意味する」
「なるほど、たしかに……」
「さらに、彼らが求めているのは、即物的な価値ではない。知識という、永続的かつ組織を優位に立たせる為の材料だ。それが国、宗教、領地、派閥という差こそあれ、これまでの侵入者たちのように、自らの懐を満たして満足するような、短絡的な連中ではない」
正確には、ウル・ロッドやそれに類するマフィア連中は、僕らの有する価値あるお宝よりも、己の面子や裏社会での影響力増大を求めたのだが。とはいえ、それもまぁ即物的といえば即物的な利益だろう。
単純に小金欲しさにウチにちょっかいをかけてくるような輩は、もはやそうそう現れる事はないだろう。だがこれからは、僕らの知識を欲する連中が、この屋敷に侵入してくる事になる。
「これは、僕らにとっては大きなメリットだ」
「それはそうですね」
「グラには、この点を覚えておいて欲しい。単純な金銭的な価値などよりも、知識の方が人間を誘き寄せるのには、効果的な餌となり得る。だが、先にも言ったように、これは
「ふむ……。なるほど……。……たしかにそれは、興味深い……。しかし、他のダンジョンが上手く活用できるとも思えません……。下手に【基礎知識】に載せると、犠牲を生むか死霊術の悪夢再び、といったところですか……」
「そういう事。ルディ辺りには共有してもいい知識かも知れないけど、基本は僕らだけで利を得る為に秘匿する情報だ。あちらはあちらで、別の意味で人間社会に食い込む策を進めているところだからね。変に、知識を餌にする方法を誤解してしまうと、それこそ加減を誤る惧れがある」
「マジックパールですか?」
「そう」
あれは秘かに、宝箱以上に大きな人間たちの社会に影響をもたらす一品だ。また、ルディの海中ダンジョンにとっても、侵入者の増加と国側の攻略の意思を鈍化させる影響もある。
一応ルディにもこの辺りの話はしたけど、正直どこまで正確に理解しているのか……。ルディの性格もあるのだろうが、どうにもあの子は単純バカっぽそうに思えるのが、心配の種だ。
ウカ辺りを使者に立てて、もうきちんと知識の共有ができているか、確認をした方がいいかも知れない。僕が行った方が早いんだが、予定が詰まりすぎてるのがなぁ……。
「ふむ。あなたの言いたい事は理解しました。ここでその説明をした意味も」
「うん。できれば、人間という生き物をマクロな視点で捉える一助として覚えておいて欲しい」
「ええ。非常に興味深い習性です。根底にあるのは、コミュニティとして優位に立つ為の、戦略思想ですか……。たしかに、ダンジョンは人間の即物的な思考のみを考慮して、誘き寄せを行いがちです……」
そうだね。
そういう意味では、いま問題になりつつある宝箱だって、かなり即物的なメリットだが、現場の冒険者を誘惑するならそれでいい。また、その即物的なメリットによって、人間社会全体の対ダンジョン戦略に大きな影響を及ぼすという意味で、マクロ的にも意義のある策だ。
ただ、それは後方の、支配者側にデメリットを与える策だ。誘惑するなら、それだけでは足りないという話である。
「勉強になりました。社会性というものを、端から必要としない我々にはない視点でした。ありがとうございます」
「理解の助けになったならなにより。君の役に立てて嬉しいよ」
「あなたはいつだって、私の為に身を粉にして働いてくれています。私は常々それには感謝をし、都度都度礼を述べているはずですよ?」
「そうだね。だからこそ、お礼を言ってくれる度に、僕も嬉しいと伝えているのさ」
「なるほど。コミュニケーションというのは、そういうものですか?」
こういうところ、グラは本当に無垢だなぁ。姉というより、妹を相手にしている気分になる。
まぁ、人間関係という彼女の領分外の話なので、こんな事で兄貴面などできようはずもないが。
「そういうものさ。気持ちってヤツは、どうしたって見えないからね。言葉や形、行動にして、わかりやすく伝えておくのが、齟齬を予防する為の最良の策だろう」
「一度口にしただけではダメなのですか?」
「一度口にしただけでいいなら、君だって都度都度言葉にする必要はないはずだろう?」
「それは……、それぞれ状況やあなたが捧げてくれた献身の内容が違いますから……」
「それでいいんだよ。お互い、感謝や謝罪は小さなものでも口にしていこう。小さなものでも、僕らの間に生じかねない蹉跌は、細かく取り除いていくべきだ」
「そうですね。私とあなたとの関係が、悪化する事などないと信じてはいますが」
「僕だって、いまはそう思う。だけど、君がもし『この程度の事は、やって当たり前だ』と思って負担を強いてきたら、僕だって少しムッとするかも知れない」
「そのような事、この私がするはずがないでしょう?」
「そうだね。だけどそれは、僕が普通のダンジョンコアの眷属だったら、本当は当たり前の献身じゃないのかい?」
「それは……、……そうですが……」
「僕は僕らの間柄を過信し、慢心したくない。それが原因で破綻する事を、なによりも恐れるからだ。だからこそ、小まめに気持ちを言葉にしていきたいと思っている。この僕のワガママに、付き合ってくれるかい?」
「勿論です。それに、感謝を言葉にされるのは嬉しいです」
「そうだね。僕も嬉しい」
薄暗い寝室で、魚たちに見守られながら、僕らはそうしてお互いの認識のすり合わせを行った。姉弟だから、双子だから通じ合って当然、などという思いは抱かない。
ちぃ姉とケンカしたまま死別してしまった事を、僕は未だに忘れてはいない。たぶん、今生で忘れる事のない前世の後悔だ。故にこそ、同じ轍など踏んで堪るか。
まぁ、生前の姉弟関係からすれば、ベタベタしすぎのブラコンシスコンだと、自分でもわかってはいるが……。
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