第61話 逆襲
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手元にある駒が乏しい。将棋で例えるなら、歩と王将以外をすべて落として戦っている気分だ。やはり、【
おまけにこちらは、
いざとなれば
これ以上敵に押し込まれるような事があれば、惜しまず切るべき手札だろう。
「なんにしても、このままイニシアチブを取られ続けるのはマズい」
ただでさえ防御の手が足りないのに好き放題に攻撃されている現状、後手後手に回るのは悪手中の悪手だ。
こういうとき、特段才覚のない僕に取れる手段は、基本的に歴史に名を残すような天才の真似である。
ビザンツ帝国が世界史に残した唯一の英傑、一〇〇〇年衰退を続けた国家におけるただ一度の輝き、不遇の天才フラウィス・ベリサリウス。地球史における名将十指には、確実に入ってくるような常勝の将軍である。東ローマがもっとまともな国家だったなら、アレクサンダー大王やナポレオンと同列の知名度を得られていたかも知れない程の偉人なのだが……。
そのベリサリウスは、イベリア戦争においてサーサーン朝ペルシア軍にメソポタミア地域を攻められた際、その地域の防衛に注力するのではなく、機動戦術を以てアルメニア地域を急襲した。戦線を広げるという、本来なら愚策となり得る奇策だったが、要所を守らざるを得ないペルシア軍はメソポタミアへの攻勢に注力できなくなり、結果として守勢に回らざるを得なかった。
つまりは、戦の主導権をベリサリウスに奪われたのである。
また、ダラの戦いにおいて東ローマ軍二万五〇〇〇で、ペルシア軍四万+援軍一万を撃破。味方もサタラの戦いに勝利し、東ローマはその優位をたしかなものとした。
後に、カリニクムの戦いで敗北したせいでベリサリウスは更迭されるが、当初劣勢を余儀なくされたビザンツ側がサーサーン朝ペルシアと『永久平和条約』を結び、その詳細はわかっていないものの、東ローマ側にやや有利と思しき状況に至れたのは、ベリサリウスの働きが大きかったのは間違いない。
なお、『永久平和条約』によって八年弱の休戦期間を得たのち、二〇年に及ぶラジカ戦争において、東ローマはペルシア有利の条約を結んで講和している。このときベリサリウスは、皇帝ユスティニアヌスから不興を買って物乞いにまで身を
ユスティニアヌスの代のビザンツ帝国は、一〇〇〇年衰退を続けた東ローマにおいて、唯一輝きを取り戻した時代とも言われているが、この皇帝が優秀だったとはとても思えない。無謀な拡張政策で、地中海を挟んだあちこちに喧嘩を売り続け、そのせいでベリサリウスは大半の戦にて、兵力的劣勢を強いられてきたのだ。
すごいのは、その劣勢の戦のほとんどを勝利に導いた、ベリサリウスの戦術である。『ローマ帝国衰亡史』の著者、エドワード・ギボンをして『大スキピオの再来』とまで激賞されるに足る傑物である。
閑話休題。
「なにが言いたいかというと、戦いにおいて
「は、はぁ……」
僕の言葉に、反対側のソファにつく黒髪にーさんが曖昧に頷く。
「なので、ここから僕は積極的に敵に攻撃を仕掛けていこうと思っている。その目的は主導権の奪取という事だ」
「攻撃ですかい? 敵の全体像すら曖昧な現状では、狙いどころがわかりやせんが……」
落ち着いた調度に彩られた、然程広くもない一室。港湾都市ウェルタンの裏町にある、彼の組織の事務所の一つである。僕と黒髪にーさんはいま、そこで対談していた。
大きなソファにちょこなんと座り、独白混じりに語る僕と、青い顔で脂汗を浮かべつつも、きちんとこちらの言葉に反応を見せてくれる黒髪にーさん。こちらに怯えつつもきちんと反対意見を述べてくれる辺り、裏組織の長でありながら、調整役としての能力が高そうだ。苦労人気質ともいう。
「とりあえず、現状わかっている敵から攻めていくしかないね」
「……つまり、この町の【反ハリュー姉弟派】の組織を攻めるって事ですかい?」
「そういう事」
まぁ、この辺りは明確に僕に敵対しているのだから、どれだけ叩いても問題になる事はない。厄介な後ろ盾もなければ、特に権力を持っているわけでもないしね。
逆に、こっちが手一杯のときに動かれたら最悪だ。ただでさえ手が足りない現状、さっさと潰してしまった方が後腐れがない。これが成功すれば、少なくとも港湾都市ウェルタンでの蠢動を懸念する必要がなくなる。これは大きい。
「やるからには、徹底的に潰す。文句はないね?」
「も、勿論でさぁ」
多少
彼らは僕の後ろに、ウル・ロッドの影を見ているだろう。役立たずと思われたら、嫌でも身の振り方を考えるだろう。
「初手は僕が打つから、君たちにはその事後処理をお願いするよ。前にいた美熟女、あれの組織を使い潰しつつメロンハゲの組織も潰しといて」
「え、えっと……。それは、どういう意図で?」
恐る恐る訊ねてくる黒髪にーさんに、僕はあえて屈託ない満面の笑みを向ける。黒髪にーさんは、まるでトカゲに化ける竜種でも見たかのような、非常に嫌そうな顔だ。
「メロンハゲは蝙蝠。美熟女のところは日和見だね。他に質問は?」
「……了解でさぁ」
特に驚きも反論もなし……。つまり、この黒髪にーさんも、薄々は彼らの動向を訝しんでいたか、もしくは知っていて見逃していたか……。諸々が片付いた際に、交渉材料にしようと思っていたのかも知れない。だとしたら抜け目がない。
まぁ、フェイヴに尻尾を掴まれた時点で、目論見はおじゃんだが……。単純に知らなかったが、僕に言われて覚悟を決めたという事も十分にあり得るけどね。
なんであれ覚悟の決まったような表情で、黒髪にーさんは以後二人に関しての言及はしなかった。
まぁあの二人も、浅知恵でこちらの裏を掻こうとしたわけではない。やはりというべきか、ハリュー姉弟の片割れの子供の魔術師一人に対して、風下に立つのを組織の大多数が嫌がったのが理由らしい。
その点、あの日力の差を示したプロレス親父と枯れ木爺さんの組織は、すんなりと僕らの味方になったそうだ。あの日、フェイヴが『ホッとしてるだろう』と言った意味が良くわかった。
とはいえ、『だから許す』などと言うつもりはない。組織の長の仕事は、組下の者の統率と、やった事の責任をとる事だ。軽挙妄動の部下のツケを、一緒に支払ってもらう。
先述のカリニクムの戦いも、ベリサリウス自身は攻勢に出るのは反対で、撤退するペルシア軍の川越えを見送る方針だったようだ。ベリサリウスは攻撃に出る必要はないと演説まで行ったようだが、逃げるペルシア軍の背に襲い掛かりたい部下が多過ぎて、やむにやまれず攻撃を加えての敗北だったという。
それで更迭されてしまうベリサリウスの不幸体質には同情を禁じ得ないが、それだけ部下の掌握というものは難しいのだろう。
二人の行動も、積極的に僕らに敵対しようとしてというより、部下を宥めすかす為の、どっちつかずの行動といったところのようだ。当人たちは、今頃胃を痛めているかもしれない。
まぁ、繰り返すが、だからと許すつもりはさらさらない。
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