第62話 闘技場と興行主
「あの……」
沈黙が室内を占めたところで、黒髪にーさんがおずおずと声をかけてきた。
「じ、実は、お伝えするかどうか迷っていた情報がありまして……。というのも、まだ全然裏取りができてねぇもんで、間違っている可能性もおおいにあるって代物でして……」
「ふぅん?」
ここでそれを口にするというのは、きっと美熟女とメロンハゲに対する扱いを見ての事か。なんにしろ、判断材料は多いに越した事はない。
「いいよ、聞かせて」
僕は頷きつつ、彼の一挙手一投足に注視する。その曖昧な情報とやらで、僕を罠に嵌めようとしている危険も、十分にあるのだ。不審なそぶりをすれば、即座にこの黒髪にーさんの組織も潰してしまおう。
「その……、アルタンのハリュー屋敷を襲撃したはずのジジ三兄弟が一度、ここウェルタンで目撃されやした。その後の足取りは定かじゃありませんが、目撃情報からの推測では再びゲラッシ伯爵領に入ったのではないかと……」
「なるほど……。まぁ、討ち漏らしもいたという話だし、ウェルタンに戻ってくるというのはわかる……」
だが、こちらの反撃から命辛々逃げてきたはずのその兄弟とやらが、すぐさまゲラッシ伯爵領に戻る? こちらの攻撃を察知して即座に逃げ出せるような、危機意識の高い者が? それは行動原理として、しっくりこない話だ。
「本当に曖昧な情報で申し訳ねぇです。あとは、どうも今回の事に関わっている連中のなかに、他所の国のもんが混じってるようですね。件の三兄弟を使嗾しているのも、どうやらコイツらしいです。それ以外はほとんど動きを見せねぇんで、どこのどいつか、なにが目的なのかは杳として知れねぇんですが……」
「なるほど。諸外国か……」
周辺国の間諜が、第二王国の王位継承戦にちょっかいをかけてくるというのは、わからない話ではない。暗闘の本領を発揮するに十分な舞台といえるだろう。
だが、そういう連中が暗躍するなら、わざわざ舞台にウェルタンを選ぶだろうか? どう考えても、王都シャスィリ・ドゥルルタンがメインの戦場だろう。あるいは、そちらにも十分な人員を配していて、こちらは残りの手勢で暗躍しているという可能性もある。黒髪にーさんたちが動向を掴めないのも、人数が極端に少ないからなのかも知れない。
要は、現状ではたしかな事はなにも言えないという事だ。だが、どうにも引っかかる。先の三兄弟の話も含めて、これ以上不確定要素が増えるのは望ましくない。
「その外国人の動向は、どこまで掴んでる?」
「ほとんどなにもわからねぇに近いです。ですが、ここまでその動きが見えねぇ以上、もうこの町にはいないのではないかと。いえ、確証はないんですが、あまりにも動きが見えないもんで……。いるとすれば宿に籠りっぱなしなんでしょうが、それじゃあなんの為にいるのかって話なもんで」
「ふぅむ……。まぁ、わかった」
僕は釈然としないものを抱えつつも、黒髪にーさんの言葉に頷く。彼がここまで自信満々である以上、その外国人とやらがこちらの動きに機敏に対処できない状態であるのは間違いなさそうだ。であるならば、いまはそれで十分だ。
黒髪にーさんらは、小なりとはいえこの町の裏社会を取り仕切っている組織だ。彼らに完全に隠れて暗躍するなど、そうそうできるものではない。現に、件の三兄弟はその動向をかなり把握されている。
という事は、その外国人がもうこの町にいないと判断したのも納得できる。問題は、どこにいったのかであるが……。
【
そっちで暗躍してくれるなら、僕にはあまり関係ない――と、言いたいのだが、僕もいまからそっちに向かうんだよなぁ……。はぁ……。
「まぁいい。わからない事に思考を割き続けても、時間の無駄だ」
「役に立たねぇ情報で申し訳ねぇです」
「いや、情報自体は助かった」
手遅れになる前に情報を得られたのは幸いだ。手遅れになるような動きを、件の外国人とやらがするかどうかもわからないが、なにもなければそれでいいのだ。とりあえず、家の守りを任せているラベージさんに、なんとか三兄弟と外国人については知らせておこう。
襲撃を退けてから少し時間が空いたから、向こうも気が抜けているかも知れない。味方の気を引き締められるだけでも十分に有益だろう。
「それで、い、言えないのであればそれでいいのですが……」
と前置きし、黒髪にーさんがおずおずと訊ねてくる。なるほど。先の情報開示は、自己保身に加えてこの要求に対する先払いかな。
「先程初手とおっしゃいやしたが、なにをするおつもりで? ショーンの旦那の突飛な行動で、逆にこっちの兵隊が浮き足立つのは面白くねぇ。良ければ、なにをするのかだけでも、教えておいてもらえると嬉しいんですが……」
「うーん……」
僕は腕組みしつつ考える。とはいえ、結論は既に出ているようなものだ。
「……まぁ、いいか――こっから先は、事が起こるまで黙っていてね?」
そう言って、あえて満面の笑顔を向けてから、それを皮肉気に歪めて続ける。
「どうやら向こうも、一枚岩ではないようでね。フェイヴを通じてコンタクトを取ってきた輩がいた」
「それは……」
といっても、黒髪にーさんたちのように下手に出て、協力関係を築こうとしてきたわけではない。どちらかといえば、今回の一件を嵩に懸かって、自らの利にしようとしたはみ出し者だ。
「ヴィー・デラウェア商会……」
「……ッ」
その名を聞いた途端、黒髪にーさんの眉間には深い皺が刻まれる。だがそれと同時に、隠しきれない歓喜で口元が綻んでいたのも見逃さない。
「まぁ、知ってるよね」
「はい。この港湾都市ウェルタンの裏社会における最大級のマフィアであり、組織単体でもウル・ロッドと同等の人員がいます。表の顔も有していて、正式に商売を許されている商会でもあります。その主な商いは――」
「闘技場の運営及び、そこで行われる賭博の胴元。結構な稼ぎになるようだね」
「はい……。デラウェアは、元はチンケなチンピラ集団だったんですが、ウェルタンが伯爵領から王家直轄になる混乱を利用し、役人、ヴィー商会と結託し、闘技場の興行を一手に牛耳りました。それからというもの、ヴィーもデラウェアも、ついでに役人の財布もデカくなり続け、俺らとしても苦々しく思っていたところです」
「まぁ、典型的な役人、商人、悪人の結託の構図だよねぇ。なんの捻りもない。いまにも御老公が飛び込んできそうだ」
僕の感想に、黒髪にーさんは途端に青い顔をして首を振る。
「と、とんでもねぇ! さ、流石にフィクリヤ公爵様が介入してくるような、大袈裟な話ではないでしょう!? 選帝侯が王家直轄領の統治に口出しなんぞしたら、ここら一帯が蜂の巣を
「ごめん。うん。そういう意味じゃないんだけど、話がややこしくなるから流して……。大丈夫、フィクリヤ公がそんな軽率な人間なら、今頃王位継承戦に参加してるだろうから」
ぶっちゃけ、権力と権威の双方を有しているという意味で、いまもっとも第二王国で尊貴な家は、王家よりもフィクリヤ公爵家といっても過言ではない。王位継承戦に参加しても、全然おかしくないのだ。
彼があと三〇歳若ければ、この機に覇を成さんと立ち上がったかも知れない。それでも混乱は必須だが、フィクリヤ公爵家ならば大乱を纏めて新たな国体を築くのも不可能ではなかっただろう。
まぁ、僕が言っている御老公は別人なのだが、黒髪にーさんが大慌てで否定するのも当然だ。彼の言う通り、彼が直轄領の統治に口出しすれば、そこが大乱の端緒となりかねないのだから。
「は、はぁ……。つまり、旦那の狙いはデラウェアって事でいいんですかい? それとも、
仕切り直すようにそう問いかけてきた黒髪にーさんに、僕はニィっと笑う。それを見た黒髪にーさんは、先程よりも顔を青くして背筋を正した。
「嬉しそうだね? そんなにライバルが失脚するのが楽しみかい?」
「――ッ、それは……」
言葉に詰まる黒髪にーさん。取り繕うか、正直に胸中を詳らかにするかの逡巡が、その剽悍な顔に浮かんでいる。
まぁ、彼らからすればヴィー・デラウェア商会が勝手に、大火に飛び込んでくれるのだ。嬉しくないと言えば嘘になるだろう。
だが、それを正直に口にすれば、まるで僕らを利用して敵を弱体化させ、漁夫の利を得ようとしているようにも見える。それを僕がどう判断するか。
まぁ、そうして迷っている時点で、信用としては及第点といっていい。それは少なくとも、今回の一件が終わったあとも僕らに協力するつもりがあるという事なのだから。
故に僕は、黒髪にーさんの答えを待たずに話を続けた。
「彼らが僕になんて言ってきたか、わかるかい?」
「い、いえ……」
「『死神姉弟vs闘技場の王者』!! 先の戦において帝国軍数百を退けたという、噂の死神。彼らは本当に強いのか!? はたまたただのペテン師か!? 闘技場の王者、セオ・ブッコがその本性を暴く!! ……という興行への招待、かな? まぁ招待とはいっても、脅しとセットである以上強制なんだけどね」
「あー……」
なんとも言えない表情で天井を仰ぐ黒髪にーさん。少し前の自分たちを思い出して、共感性羞恥にでも苛まれているのだろうか。
「まぁ、いまここにいるのは、【ハリュー姉弟】から引く事の天才姉グラ、イコール
幻術師に対する世間一般の認識は、詐欺師か、良くて麻酔医だ。おまけに僕の外見は、完全に小学校高学年程度。そんな人間が戦争で敵を撃退したと言われても、搦手での貢献だと思うだろう。実際、ディラッソ君の戦術を幻術で手助けしたのだから、それも間違いではない。
実力で闘技場をのし上がったそのセオさんと比べてどちらが強いと聞かれれば、当然前者を選ぶだろう。前情報がなければ、僕だってセオさんを選ぶ。
魔術師は所詮魔術師であり、さらにそのなかでも幻術師で、挙げ句の果てには子供。自分たちの土俵に持ち込めれば、どうにでもなるだろう。
それは、眼前の黒髪にーさんたちだって同じ考えだった。だからこそ、この間の挨拶では高圧的に振る舞ったのだろう。結果は……、まぁ、思い出すまでもない。
「……どう考えても、ヴィー・デラウェアの独断専行ですね。こんな事をしても、王都のお歴々にとっては害でしかない。【ハリュー姉弟】という重石が軽くなる事態は、徒に帝国に対する抑止力を弱めるだけです」
「だろうね。【新王国派】からすれば、僕らは政治工作で雁字搦めにして、身動きできないくらいで丁度いい。その脅威まで弱めてしまえば、諸外国の存在感から外様選帝侯の影響力が強まるだけだ」
まぁ、その辺りの損得勘定すらできない惧れも十分にあるが、それで【新王国派】が得る利益がまるでない以上、彼らがこれを仕組んだとは考えづらい。十中八九、ヴィー・デラウェア商会の独断だろう。
「昨今噂の【ハリュー姉弟】、その片割れを興行に引っ張り出す影響力というのは、それが事実であればバカにできない。一応、アルタンは他領にあたるわけだしね」
「最悪セオ・ブッコが負けたとしても、旦那を闘技場に引っ張り出したという事実だけで、お釣りがくるって勘定ですか……。抜け目がねぇこって」
面白くなさそうに、ケッと吐き捨てる黒髪にーさん。
「興行的にも盛り上がるだろうし、どう転んでも利益になる。おまけに、ウル・ロッドに対する最大の牽制にもなる。僕を言いなりにできれば、さらに得られる利は大きくなる。濡れ手に粟の大儲けだ」
「『依頼書を見て魔石を数える』っつーんですよ、そういうのは……」
どうやら、『取らぬ狸の皮算用』のような慣用句が、こちらにもあるらしい。
「だからさ、その思惑に乗ってあげようと思ってね」
「本気ですかい?」
「勿論。僕の存在をローリスクと捉えている人間を野放しにして、その認識が広がったら後々面倒だ。僕らに手を出す行いが、ハイリスクノーリターンであると思い知らせる。丁度いいから、彼らには見せしめになってもらおう」
「ハハハ……」
黒髪にーさんは乾いた笑い声を漏らし、その表情は苦笑いだったが、頭で算盤を弾いている様子が見て取れた。だからこそ、僕は今回の協力者である彼が損をしないように忠告する。
「僕に賭けて一儲け、なんて考えているなら、やめておいた方がいい。どうせ、胴元の支払い能力喪失で、賭けそのものが有耶無耶になるだろうからね」
「ま、そうですね。では旦那が闘技場に入ったら、こっちはなにが起きてもいいように心構えしておきやす。どこでなにが起きるのか、俺ぁなんにも知らねぇんで」
うん。どうやら忠告は覚えてくれていたようだ。僕がこの黒髪にーさんを、ある程度評価しているのは、こういうところに卒がないからだ。
さて、では反撃といこう。
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