第63話 黒髪にーさん

 ●○●


「おおっ、リ・ライの親分さん! このような場でお会いするとは珍しいですな!」

「どうもどうも、シューリーの若旦那。商売繁盛のご様子、誠にご同慶の至りですわ」


 俺は安いおべっかで、声をかけてきたシューリー商会のボンボンに挨拶を返しておく。この盆暗ボンクラには、敵の手中も同然であるこの技場で、俺があまり目立ちたくないという心境を、斟酌する能力すらないのだ。これがわざとやっているのなら、敵としてそれなりに警戒いしきもしてやるのだが、こいつの場合は本当に他意なく、俺に挨拶をして顔をつないでおこうと思っているのだ。その辺りの無神経さが、シューリーの暗澹たる先を予見させる。

 とはいえ、いまはまだ大店の若旦那だ。ここで邪険にして、不利益を被ってもつまらない。俺は無難に世間話をこなしてから、盆暗と別れて予約していた個室に引っ込む事にする。これ以上、同じようなバカに絡まれては面倒だった。

 それでもまぁ、分別のある知り合いと会釈程度の挨拶を交わしてから、観覧室へと入ってから大きく息を吐いた。まだ試合が始まるまで時間があるというのに、すっかりと気疲れしてしまった。


「ボス」

「おう……」


 ソファに深く腰掛けた俺の口元に、側近のミッフェルがお気にの細巻シガリロを差し出してきた。こういう気遣いが完璧なところが、コイツを重用する理由である。……まぁ、場所柄服や髪に匂いが付いても、それ程問題ないと思っただけかも知れんが……。

 俺が葉巻を咥えると、すぐさまミッフェルは小型のマジックアイテムに火をつける。ジジジと細巻に火をともし、俺が一服したタイミングでミッフェルは襟巻と外套を脱がせ始めた。本当に、気遣いのできる男である。

 俺は細巻を咥えながら、懐から取り出した紫色の髪紐で鬱陶しい長髪を纏めにかかった。長く美しい黒髪は箔になるってんで伸ばしているが、本当に鬱陶しい限りだ。挙句の果てには、匂いが付くからってんで、葉巻の数を減らされる始末である。……っとに鬱陶しい。


「ボス、髪を結んでしまうと、外に出る際に崩れてしまいます。癖が付いては、すぐには直せませんよ」


 それはに関わってくるからか、細巻のときとは違って眉をしかめるミッフェル。俺はそれに、頭の後ろで髪を結わえながらぞんざいに答えた。


「安心しろ。なにが起こるにしろ、俺の髪なんぞを気にしていられるような事態には収まらん」


 あのショーン・ハリューが、今夜を境にヴィーとデラウェア双方の零落を予言したのだ。碌な事は起こらないだろうし、常識の範囲に納まるような騒動ではないだろう。なんなら、俺がここで丸坊主にしてから出ていったところで、誰も気付かないかも知れない。

……正直、それもいいかも知れないとすら思う……。旦那に対する謝罪という事にすれば、鬱陶しいこの長髪ともおさらばできるかも知れん……。


「であればやはり、ボス自らが足を運んだのは迂闊だったのでは? 確認だけならば、部下に任せればいいでしょう」

くどいぞ、ミッフェル。頭の俺自ら、自身の目でたしかめるから意味がある。ショーン・ハリューという存在を見極めるのに、これ以上の機会なんぞねぇ」


 俺は、今夜だけでも指の数程も受けた忠告に、同じ返答を繰り返す。

 伝聞だけでは、どれだけ精度をあげても限界がある。それで失敗したのが、美熟女ラッフェ傷頭ザーボだ。あれらがしくじった理由は、部下の統制を誤ったというものだが、その根底にあるのはやはり、あの姉弟――否、ショーン・ハリューに対する侮りだ。

 俺はソファの先に大きく開いた窓から覗く、円形闘技場を見遣る。いまはまだ、余興紛いのチンピラ同士のケンカが行われているだけだ。賭けも行われているのだろうが、観客らもイマイチ盛りあがりに欠ける。

 メインイベントまではまだ時間に余裕ががある。それを確認し、俺はミッフェルに対して切々と語りかける。ここらで、こいつの認識も改めておいた方がいいだろう。


「ハリュー姉弟を評価するにおいて、既にグラ・ハリューを侮る者などほとんどいない。そうだろう?」


 俺の問いに対し、ミッフェルは無言で頷く。

 グラ・ハリューは天才である。それも、そんじょそこらの才能ではない。既に巷間に流れている情報だけでも、侮るのは愚かだと思えるレベルなのだ。なにせ、普通魔術師の能力は『使える魔術』の数とレベルを指標に量るというのに、グラ・ハリューにおいてはいまのところ『使えない魔術』の方がないときている。

 大きく紫煙を吐き出してから、俺はさらに続ける。


「【魔術】は学問であり、体質に問題さえなければ、誰だって修められるし、修めれば誰だって使える。ただし、その高等な知識の修得までには相応の労力と時間を要し、種類毎にまったく違う知識を必要とする」


 たまに体質から魔力が上手く扱えず、魔術全般が使えないヤツがいる。あるいは、扱える魔力が極端に少なかったりすると、【魔術】そのものは使えても、いろいろと制限があったりする。

 だが、そういう特別な事情がなければ、基本的に【魔術】とは誰にでも使える術理だ。同じ魔力の理でも【神聖術】なんかとは違う。


「グラ・ハリューの年齢から考えれば、すべての【魔術】を修めるだけの時間があったとは思えませんが……」


 俺の垂れた魔術師に対する講釈に、ミッフェルが難しい表情で付け加える。


「一つ修めているだけでも十分に驚異だろうよ。本当に誰にでも修められるってぇなら、お貴族様はみんな魔術師になっててもおかしくねえ。だが実際は、【魔術士】なんて爵位を用意してまで囲ってやがる」


 その事実だけで【魔術】一つを修める労力が、学のねぇ俺にも偲ばれるってもんだ。これまで【魔術】を学ぼうとして挫折したお貴族様が、一体どれだけいた事か……。


「なるほど……」

「だが、年端もいかないグラ・ハリューは、そんな【魔術】をポンポンと気軽に使いやがる。どう考えても、他の魔術師たちと同じ時間割じゃ、間尺が合わねえ。となると……」

「天才、ですね」


 本来、一つ修めるだけでも貴族になれるくらいの知識を、十かそこらの年齢で網羅しているってんだから、そう評してなんら見劣りしないだろう。むしろ『天才』という言葉の方が陳腐に思える。それ以上の表現があるのならそちらの方がお似合いだが、生憎と学のない俺にはそれ以上の語彙がねえ。


「まぁ、それを言ったら一つだけとはいえ、あの歳で【魔術】の一つを修めているショーン・ハリューだってすげぇんだがな……」


 物事の分別がつくだけの大人が数年、下手すりゃ十数年かけて学ぶようなもんを、あの歳で一つ修めているのだ。だが、その隣にとんでもない天才が並んでいるせいで、どうしても見劣りしてしまう。

 なお、偉そうに語っているが、この辺りの事情は、ぶっちゃけ俺らチンピラには縁遠く、あまりピンとこない話でもある。俺の言葉も、まんま落伍した闇魔術師からの聞き齧りでしかない。

 ちなみに、闇魔術師というのは、当然ながら闇の属性術を修めた魔術師ではなく、裏家業に従事する魔術師という意味だ。魔術師ってだけで高給取りが約束されるだけに、非常に珍しい存在でもある。

 俺の付け焼き刃の語り口に、しかしミッフェルは感心したように頷く。どれだけ気が利いても、やっぱりこいつも俺と同じチンピラだ。


「要するに、俺らみてぇな畑違いの人間にも、グラ・ハリューという魔術師が『すげぇ存在』だというのは漠然とわかるって話だ」

「はい」

「だが、それに比べれば弟の存在感は、途端に弱くなっちまう。なまじ話が通じるだけに、余計舐めてかかるヤツもいるだろう」

「たしかに……」


 グラ・ハリューの偏屈さは、ここウェルタンにいるだけでも伝わってくる。普段は件の地下工房に篭りきりで、自家の使用人にすら碌に心を開かないというのだから、浮世離れにしても限度があるというものだ。

 なんというか、偏屈な芸術家や魔術師の典型とでもいえるような有り様だ。山奥の庵にでも籠って、人を寄せ付けずに創作なり研究なりしているような、そんな人物に思える。

 それに比べれば、やはり弟のショーン・ハリューはとっつきやすい。気分を害すような事があっても取り返しがつく、と。

 先の戦においても、ショーン・ハリューは得意の幻術を用いて貢献し、サイタンに押し寄せた帝国軍を退けたという。だが、その実は帝国軍の正面に伯爵軍の幻影を用意し、そちらに襲い掛かろうとした敵軍の横腹を突くという、なんというかお貴族様らしい『お利口』な戦い方だ。

 とてもではないが、グラ・ハリューの才能と非凡さに並ぶような、ぶっ飛んだ成果には思えない。

 最後に『なんだか恐ろしい化け物の幻も見せて追い払ったらしいが、幻影とわかっている化け物を恐れるなんて帝国軍は腰抜けだなぁ』というのが、ここウェルタンにおけるショーン・ハリューの評価である。サイタンとアルタン、そして帝国領南部においては、その『化け物の幻影』の方がやたらと恐れられているらしいが、幻影は所詮幻影だ。

 帝国軍を退けたのも、姉弟の【幻術】を上手く戦術に組み込んだ、次期伯爵のディラッソ・フォン・ゲラッシの方が評価されているくらいだ。お貴族様らしい戦い方だったのも、ショーン・ハリューが伯爵公子の指揮下にあったという印象を強める一因になっている。

 おまけに、姉のグラ・ハリューは伯爵家家臣に収まったが、ショーン・ハリューは平民パンピーのまま。どう贔屓目に見たところで、ハリュー姉弟に手を出すなら、姉よりも弟に食指が向かってしまう。

――そこで、俺のショーン・ハリューに対する認識が甘いと感じてか、ミッフェルが忠告というか、情報を付け加える。


「伯爵領北部及び帝国南部における、姉弟の名声はかなりのものです。当然、それだけ影響力も大きいはずです。侮っていい存在ではありません」

「わーってるつの。そもそも、俺があの人を侮ってるなら、こうしてわざわざ闘技場なんぞに足を運ぶかよ。お前の忠告の通り、危険があるかも知れねぇってのに」

「そうですね……」


 それはそうだとばかりにミッフェルは頷き、しかしそれはそれで釈然としないとばかりに唇を引き結んだ仏頂面を浮かべる。

 ここでこんな忠告が入る時点で、こいつこそ『ショーン・ハリュー』という存在を見誤っている。いや、より端的に侮っているといってもいい。

 ふと指先に熱さを感じて、随分と短くなった細巻を見遣る。すぐさまミッフェルが差し出してきた箱型の缶に吸い差しを捨て、改めて闘技場に目を向けつつ言葉を続けた。


「伯爵領北部における姉弟の評価は、帝国軍に対する抑止力ではあるものの、徒にちょっかいをかけると痛い目をみる、偏屈で有能な魔術師というものだ。サイタンや隣のシタタンにおいては、頼りになる味方という見方が強く、本拠地であるアルタンでは恐れの意識の方が強い。実際アルタンでは、商人には受け入れられているようだが、それ以外の住民からは腫れ物に触るような扱いをされているらしい。姉弟はアルタンの方が拠点だというのに、サイタンやシタタンの方が親しまれているんだ。普通に考えれば、これはおかしい」


 既に、アルタンの住民は姉弟から多くの恩恵を受けているといっていい。特にいまは、弟の方が始めた事業が軌道に乗っており、町全体が好景気に沸いている。だというのに、住民は彼を称える者より畏れる者の方が多いときている。

 流石にこれは、アルタンの住民の反応がおかしいように思える。サイタンやシタタンでは、そういう意味でアルタンの住民に対して反感を覚える声もあるようだ。


「ウル・ロッドとのつながりが公然のものです。姉弟が起点となって起こった騒動も多い。厄介事を恐れて距離を取る者が多いのも、当然の事では? サイタンやシタタンの住民は、ウル・ロッドを意識する必要はありませんし……」

「まぁ、それもあるだろう。だが俺には、アルタンの住人はもっと単純に、姉弟のそのものを恐れているんじゃねぇかと思えてならねえ」

「力、ですか……。いえ、まぁ、十分な武威を示しているとは思いますが……」


 その結果が、上級冒険者という肩書きであり、先の戦における武勲だろうと、ミッフェルは言外に述べている。だが、その程度の認識では駄目なのだ。

 現状で手元にある情報だけでは、ミッフェルが姉弟に対してそう認識するのも仕方がない。評価としては高評価の部類であり、みだりに手出しをしてはならないという結論なのだから、それが間違っているとも思えない。

 だが、それでは駄目なのだ。俺の中の『ショーン・ハリュー』という存在は、既に『みだりに手出しをしてはならない相手』ではなく『絶対に手出しをしてはならない相手』なのだ。

 伯爵領北部においては『英雄』である姉弟の評価も、帝国南部においては『死神』だ。それを聞いた者は、帝国側が敗北を糊塗し、評価の下落を和らげる為の方便として、姉弟の名を過剰に持ち上げているのだ、と真っ先に考えるだろう。『いくらなんでも、死神なんて大袈裟な……』と。

 だが、実際に会い、見て、言葉を交わしてみた俺は、むしろ伯爵領より帝国の方が、正しく姉弟を――ショーン・ハリューを評価しているのではないかと、いまでは思う。そして、アルタンにおいてもまた、帝国と同じような評価なのではないか……?


「伯爵領北部や帝国南部以外での姉弟の評価は、ウェルタンと似たようなものでしょう。天才の姉と、秀才の弟。姉にさえ気を付けて、弟の頭を押さえ付けさえすれば、姉弟を御するのも難しくない、と」

「そう考えてアルタンに出向いた連中は、ハリュー邸で消息を絶ってから影も形もない。十分に高評価して先の対談に臨んだ俺たちですら、こうしてほとんど傘下に収まっているような有り様だ」

「…………」


 傘下にあるという点に、思うところがあったのだろう。ミッフェルは返答を控えて、無表情のまま動かない。その様子に、『ああ……、ラッフェやザーボも苦労したのだろうな』と、同情してしまう。

 俺の側近ですらこうなのだ。ショーン・ハリューに手下のように扱われ、捨て石のように使われる事に、我慢ならないヤツも多かったのだろう。そう考えると、俺も大男ゾンダアレクのように、ブチのめされておけば良かったとすら思う。

 明確な力の論理ならば、こいつらにも理解しやすかったはずだ。


「お前がどう思おうと、俺はもう【ハリュー姉弟】に対して敵対なんぞしねえと決めている」

「いえ、俺も別に敵対なんて……。ボスの決定に意を唱えるつもりもありやせん」

「その認識が誤りだと言っている。お前は俺が『今日は崖から飛び降りに行く』と言えば、止めにかかるだろう? 現に、今日は何度も闘技場に行くのを止められた」

「それは、危険が……」

「じゃあ、姉弟に敵対するのはまだ安全だとでも?」

「い、いえ……、安全だとは……。ヤバい相手だとは理解していますが……」

「だが、素直に下につくのは不満、だろ……? 俺が姉弟に敵対すると言えば、それに従う、と」

「…………」


 沈黙。だが、それは明白な肯定だ。こいつの意識においては、きっと『敵対か服従かを選べと言われれば、服従を選ぶ』という程度の認識なのだろう。だがしかし、俺からすれば、『問われるまでもなく服従を選ぶ』のが当然だと思っているのだ。

 あんな化け物を相手に、敵対する可能性すら残したくない。ビビっていると後ろ指差されようと、それでもいいとすら思えるくらいである。

 ただ、指差すのが他者であれば気にする必要もないのだが、それが部下であると話が変わってきてしまう。俺はラッフェやザーボと同じ轍を踏むつもりはないのだから。

 ミッフェルは俺が『ショーン・ハリューに敵対する』と言っても、その際に発生する諸問題について、くどくどと苦言を呈す事だろう。だが、渋々ながらこの闘技場に赴くのを認めたように、最終的にはそれを甘受するだろうというのも想像に難くない。その程度の認識なのだ。

 俺からすれば『これから死にに行くぜ』という宣言に他ならず、須らく止めるべき行動なのだが、やはりそこは意識が違うのだ。


「まぁ見てな。お前もきっと、今日ここで起こる事態を目の当たりにすれば、俺の考えに納得せざるを得ねぇだろうさ。万が一俺やお前が死んだって、リ・ライは若頭パズゥのヤツがなんとかする」


 俺が苦笑混じりにそう言えば、ミッフェルもまた不承不承といった様子で肩をすくめた。

 こうして、危険も顧みず敵の掌中テリトリーである闘技場にまでわざわざ足を運んだのは、『誰かの目を通した情報』を一切省いて、この目で直接ショーン・ハリューを見極める為だ。その得難い機会が得られるならば、多少の危険は甘んじて受け入れられる。

 俺がそう考えたところで、円形闘技場から前座の連中が下がり、清掃要員の人足と一人の男が立つ。キッチリと身なりを整えた司会進行を務める男が、なにかのマジックアイテムで闘技場中に声を響き渡らせた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る