第30話 扇動者

「どういう事だ?」


 俺の問いかけに「はぁ……」とため息を吐いてから、グランジはあの日のように身を乗りだし、声を潜めて話し始めた。俺もまた、背を丸めてその小声を細心の注意で聞き取る。


「ショーン・ハリューが、あちこちで恨まれてんのは知ってんな?」

「まぁな。そんなに悪い人じゃないんだが、その、負けん気は強いし、敵対者には容赦しないしで、逆恨みされるのが多いのは間違いない」

「逆恨みねぇ……。まぁたしかに、崩落の件然り、住人や冒険者たちに恨まれてんのも、基本的にはイメージが先行したが故の誤解といっても差し支えねえ。だがなぁ、ウル・ロッドですら頭を下げざるを得なかったような子供なんて、ドラゴンを倒した仔犬に見えるだ。そんな得体の知れないモンを、先入観も偏見も抱かずに評価しろってのは、結構厳しい要求だぜ」


 実際にあの子犬は竜を倒しているしな……。どころか、ダンジョンの主すら倒している……。他所から見たら、得体の知れない化け物に見えるだろう。俺だって、実際に接してみるまではそう思ってたし、こうして実際に接してみても、半分はまだそう思っている。


「逆恨みってぇなら、たしかに逆恨みさ。だが、その声が其処此処から聞こえてきてみろ。町人、寡婦、孤児、冒険者、ならず者……。ショーン・ハリューを恨んでる輩が、異口同音に彼を非難するんだ。そしたら思っちまうだろ?」

「『自分たちが正しい』って?」

「そうだ。人ってぇのは不思議なもんで、本物のは恐れて手がだせねえくせに、は嬉々として叩く。なんせ、味方が多いからな」

「公開処刑で、石投げるヤツと同じか」

「ああ、同じだ。抵抗できねえ、自分に被害がこねえに加え、それが正しい、相手が悪だという免罪符があるからな。歯止めってもんが利かねえ」


 なるほど。わからない話じゃない。要は、己を正当化する理屈が――屁理屈であろうと――つくなら、集団で一人を私刑に処したり、一切の罪悪感も抱かずに残虐な行いができる心理だ。人が、誰しも持っている、悪魔の側面だろう。

 正義を標榜し、正義の鉄槌という名のただの暴力を、良心の呵責を覚えずに行使できる。しかも大抵は、大多数で少数に対してだ。これに快感を覚えてしまうヤツってのは結構多い。

 スケールを小さくすれば、悪口陰口なんかもこの類だ。相手の欠点や失態を、仲間内という集団で笑いものにする事で、一対多の形勢を維持して間接的な攻撃を加える。

 そして、複数の敵に連携されれば、一人あるいは少数では対処できない。普通は、やられたい放題にされて、背を丸め、理不尽にほぞを噛んで生きるしかない。

――だがそれは、ショーン・ハリューには当てはまらないだろう。あの人は、自分にかかる火の粉は、たとえ晴天に雨を降らせてでも消し去る人だ。正義を標榜して石を投げる連中の為に、悪役を演じてくれるとは到底思えない。むしろ、寝物語の魔王のように、本物のとなって災禍をもたらすのも辞さないだろう……。


「悪い事に、最近ハリュー姉弟はその姿を衆目に晒し過ぎた。アレを見て、ドラゴンを倒した得体の知れない生き物を、ただの仔犬だと勘違いしちまう連中が増えちまったのさ。特に、自分の経験からしか物事を考えられねえ、頭の固い中年連中に。『なんだ、ただの子供じゃないか』ってな」

「俺もお前も、その中年だけどな」

「少なくとも、竜を倒せる仔犬からは、距離を取れる程度の分別はあるおっさんのつもりだぜ?」

「それはただ単に、当たり前の判断ができるってだけで、自慢できたもんじゃねえよ」

「はッ、違ぇねえ」


 肩をすくめてシニカルに笑う俺とグランジは、すぐに話を元に戻す。


「――だが、それがわからねえヤツもいる。どうもなぁ、そんな町の連中を先導している輩がいるようなんだ。ショーン・ハリューに不平不満を抱く町の連中をまとめあげて、ハリュー邸にぶつけようってな」

「冒険者でもねえパンピーを何千人突っ込もうと、あのハリュー邸が小動こゆるぎもするかよ! どこのどいつだ、そんなバカは!?」


 グランジの述べた最悪の未来に、俺はついつい声を荒げてしまう。それはそうだろう。つまりそれは、住人を捨て駒にするって話なのだ。一束いくらで命を懸けてる冒険者ではなく、れっきとしたアルタンの町の住人をだ。


「どこの誰かまではわからねえ。キナ臭ぇんで、少し前から手の者に調べさせてはいるんだが、まだ尻尾も見えねえ。ただ、目的は明らかだろ?」

「町の住人の大量殺害で、ショーン・ハリューをおおやけの敵にする、とかか?」

「それ以外には、ただ住人を死なせるだけでしかない計画に、意味を見出せねぇな、俺ぁ」


 たしかに。これが、領主に対する反乱を計画して民衆を扇動しているなら、ハリュー家に手駒をぶつけるのは悪手でしかない。徒に戦力を目減りさせるだけだ。全滅すら、高確率であり得るだろう。

 だが、れっきとした町の住人を何百人と死なせれば、流石にアルタンの町の代官や領主側の執政官も動かざるを得ない。ショーン・ハリュー側に、なんらかのペナルティを科そうとするかも知れない。あるいは、全面衝突という事も……――

 最悪の未来に、背筋に氷柱でも突っ込まれたんじゃねえかと思えるような、寒気が走る。


「……そいつぁマズい……。なにがマズいって、ハリュー邸なら領主の軍すらも全滅させかねねえって点が、なによりマズい……」


 なにせ、個人ですら竜種をタイマンで相手取れるような魔術師が、二人も籠っているような工房なのだ。無策で突っ込めば、本当に領軍など一瞬で溶けかねねえ。


「ああ、そこは俺も同意だ。なんせ【十八影技オクタデカ】のフェイヴが、二度と行きたくない、行ったら本当に死にかねない、とまで明言する程の場所だからな。もしもギルドに要請が入っても断るつもりだ」


 俺の言葉に、グランジもこくりと頷きつつ答える。それにしても、斥候としては特級、普通の冒険者としてもこの前四級になった、あの【十八影技オクタデカ】が匙を投げるような場所とはな。そんな場所に冒険者を投入するのは、グランジも嫌なのだろう。俺だってごめんだ。


「端から、パンピーや中、下級の冒険者なんぞじゃ、太刀打ちできねえ、正真正銘の魔窟さ。お堅い騎士も、徴兵した雑兵も、突っ込んだだけ死んでいくだろうよ」


 騎士様がどれだけ偉そうにしたところで、探索という一分野においては、俺たち冒険者の領分。そんな矜持から俺は、領軍の兵士たちにも、あの【地獄門】の先を攻略するのは至難だと断ずる。攻略もなにも、あの先はダンジョンではなく魔術師の工房なのだ……。


「そもそも、既に判明している地下の構造的に、大人数での攻略は絶望的だ。物量で攻めても、分断され、罠で大量に殺される。ダンジョンの主という、人外の化け物が作ったダンジョンじゃねえ、だけに作った、罠の道ダンジョンだ。んなもん、ただのダンジョンよりもよっぽど厄介に決まってらぁな。例の事件で、ハリュー姉弟や【十八影技オクタデカ】や【アステリスクス】がいち早くダンジョンの侵攻に対処したのは、あの工房の構造をダンジョンの主から隠す為だった、なんて話もあるくらいだ。んなところ、頼まれたって行きたくねえのが、普通の心情だろうに……」


 忿懣やる方ないとばかりに、グランジは吐き捨てる。そう、既に判明しているハリュー家の情報を総合するだけで、あそこに手をだすのは、命知らずのバカか、情報収集もまともにできないバカだけだ。つまり、どちらにしろバカだ。

 だが、いまそんなバカが大量にいるという……。せっかくバスガルのダンジョンによる侵攻を生き延びたってのに、こんなくだらない事でアルタンが全滅だなんて、冗談にしたって笑えない。


「……その先導してるヤツの、最終的な目的は?」


 先程と似たような質問をグランジに投げる。だが、その差異もこのイケおじ野郎は鋭敏に察して、しばし考えこむ。

 普通に考えて、ショーン・ハリューと伯爵を仲違いさせても、メリットのあるヤツは少ない。少なくともハリュー姉弟、ゲラッシ伯、アルタンの町を始めとした、スパイス街道沿道地域、もっと広く王冠領、王国側にとってすら、デメリットこそあれ、メリットはほぼないといえる。

 やがて答えをだしたグランジが、しかし首を横に振りながら答えた。


「わからん。だが、事が荒立ったらどうなるかを考えれば、一番あり得そうなのは帝国か、もしくはその帝国の目をこちらに向けたい公国群の間諜あたりじゃねえかと、俺は見てる。この二つで、可能性に優劣を付けるなら後者――公国群の干渉だ。スパイス街道が混乱すれば、帝国もそれなりに被害を被るだろうからな。そして、それが続けば当然、帝国は動かざるを得ない。公国群にとっては、ノーリスクで帝国の脅威が減じるワケだ。まぁ、これはただの憶測だ。アテにはならん。ウル・ロッドのシマを狙う他所のマフィアの仕業なんて、チンケな話って事もあるだろうさ」

「それが一番穏当な事態だってのが、もうなぁ……」


 なんとも剣呑な話だ。そんな事を言われると、戦争でも近いのかと不安に駆られちまう。

 このアルタンを発端に伯爵領が混乱すれば、スパイス街道をまるっと自分のものにできて、さらに念願の海まで繋がる領土を得られるのだ。帝国が、ゲラッシ伯爵領の擾乱工作に動いたとしても、なんらおかしな話ではない。

 ただ、安心材料がないわけでもない。ゲラッシ伯爵領は、れっきとした王冠領であり王国領だ。いくら帝国が海と香辛料を求めていても、大国ノドゥス・セクンドゥス王国とボゥルタン王冠領を敵に回してまでそれを欲するかと聞かれれば、流石に首を捻らざるを得ない。あるいは、そんな帝国に現在進行形で領土を狙われている、国情不安のクロージエン公国群が、この伯爵領を美味そうな餌とする為に混乱を起こすつもりなのか……。

 とはいえ、お貴族様や、そのさらにうえにおわす選帝侯だの皇帝陛下だののご叡慮を、ただの下っ端冒険者が拝察しようだなんてのは不敬極まる行いだ。どうなろうと、民草がどうこうできる話でもない。俺たちにできるのは、精々燎原の火にならぬよう、消火活動を徹底するくらいだ。


「ご領主様とハリュー姉弟との間には、それなりに交流もある。すぐに燃えあがるとも限らねえが、だからといって穏便に事が済むとも限らねえ。だからな、被害が少ねえにこした事ぁないんだよ」


 グランジの疲れた台詞に、俺も重々しく頷いた。

 どうやら、いまこの町には【扇動者】なる、不穏な輩が紛れているらしい。そいつのせいで、ショーン・ハリューに恨みを持つ住民と冒険者が、徒党を組む可能性まである、と……。そこが発端となって、国家規模の騒動にまで及ぶ懸念すらある、と……。


「なぁ、グランジ……」

「いまさら降りるってなぁ、ナシな。そんで、もしなんかあったら、このマジックアイテムで知らせてくれ」


 この野郎……。いつから【扇動者】の存在を察していたのかは知らないが、どうやら俺に金を掴ませてまでハリュー姉弟に張り付けたのは、なにかあった際に、ギルド側もいち早く動く為だったようだ。勿論、俺をハリュー姉弟との繋ぎ役にするというのも、目的の一つだっただろうし、建前の基礎技能指導も嘘ではないだろう。

 しかし、それだけだとしたらどう考えたって、報酬が良すぎる。なんせ、ハリュー邸に滞在しているだけで、報酬がでるんだからな。グランジからしたら、それこそハリュー邸の前で野営させてでも、彼らの動向を察知できる状態にしときたかったのだから、ショーン・ハリューからの提案は、渡りに船だっただろう。

 俺はため息を吐いてから、これも報酬の内と納得しつつ嘆息してから、グランジがテーブルに置いた分厚いカード状のマジックアイテムを受け取った。


 願わくは、これを使う機会がきませんようにと、あまりに儚い祈りを抱きながら。



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