第122話 暴動の結末

 ●○●


「「「…………」」」


 避難していた私たちは、一様に無言だった。

 ショーン・ハリューが地獄のような幻を作り出して、ダンジョンの主を倒したという噂は耳にした事があった。多くの者は眉唾だと判断していたが、私はあのバスガル討伐戦において、セイブンさんの近くにいた為、ある程度確度の高い話として知っていた。


 だがそれでも――ここまでとは思わなかった。


 正直、幻術というものを舐めていたのかも知れない。各種犯罪に用いられ易く、地上では気を付けねばならない類の術だが、直接対峙する際には、生命力の理さえ使っていれば安心できる、と。ダンジョンや屋外での探索においても、あまり役立つものではないと思っていた。

 だが、眼前の光景はそんな慢心を改めさせるには十分なものだった。

 一〇〇〇人を超えるような暴徒たちが、一様に泣き喚き、一秒でも早く、一ミリでも遠く、ハリュー邸から逃げ出している光景は、あまりにも強烈だった。もはや彼らに、組織だった動きはできまい。

 どころか、この混乱だけでどれだけの死者が出る事か……。パニックはとどまるところを知らず、あちこちで倒される者、乱闘を始める者が現れている。そんな連中も、スラムという手狭な場所に溢れているせいで、次々に押し寄せる群衆の波に消えていく。


「フロックスちゃん、アレ、なんだったのかしら?」


 カメリアが難しい表情を湛えつつ、こちらに問いかけてくる。そんな事を問われても、私にわかるわけがない。

 ハリュー邸からそれなりに離れた廃墟の屋根から俯瞰していた限りでは、漆黒の巨人の幻影を投影していたようにしか思えなかった。だが、直接それを見ていた連中にとっては、そうではなかったのだとわかる。

 本当に、なにが起こったのかしら……。ハリュー姉弟の弟が幻術を使うという話は、それなりに有名だ。もしも件の【扇動者】とやらが、それすらも知らずして騒動を起こしたというのなら、この醜態もわからない話ではない。だが、そこまで愚かな話があるだろうか。


「ただの幻を見せられたとわかっていてなお、あそこまで混乱した?」


 デイジーも首を傾げるが、やはり釈然としていない表情だ。きっと、あの場にいた者でなければ、わからないものがあるのだろう。彼らに、アレをだと思わせしめるなにかが。


「わからないのは……、……あれでどうやって、ダンジョンの主を倒したのか……」

「それもそうね」


 魔術師であるサイネリアには、あの幻影がどのような【魔術】なのか気になるようだ。

 たしかに。あの幻は、群衆をパニックに陥れるのなら最適の幻術かも知れないが、それだけでダンジョンの主を倒せるのかというと、かなり疑問が残る。なにより、一対一の状況でそれ程有効な術には思えないのだ。


「もしかして、アレはダンジョンの主を倒したのとは、別の幻術なんじゃない?」


 アネモネの言葉に、サイネリアはなるほどと頷いて考え込み始めた。だがそうなると、ショーン・ハリューは地獄のような空間を生み出す幻術を、最低二つ用意しているという事になる。その内一つは、ダンジョンの主すら殺してしまう程のものだ。

 私は背筋に冷たい汗が流れるのを感じつつ、ハリュー姉弟と敵対しない限り、自分たちがその餌食になる事はないのだと言い聞かせた。


「それより、アレはどうすんのよ?」


 カメリアが指差した先は、先程まで私たちがいた辺りだった。そこには、縛りあげた連中が放置されていたはずだが、いまは脇目も振らず、後先も考えずに逃げ惑う連中が、僅かな逃走路を求めて殺到してしまっている。

 彼らの混乱から見るに、捕虜の縄を解いて助けているような余裕はなさそうだが、その分構っている余裕もないだろう。踏み付けられ、最悪死んでしまっていてもおかしくはない。


「失敗だったわね……。手間でも、こっちに連れてくれば良かったわ……」


 私の反省に、アネモネとカメリアが同時に肩をすくめて慰めてくれる。


「仕方ないわよ。この廃墟に連れ込むだけでも手間だったのに、ここまで持ち上げるなんてもっと面倒だったじゃない」

「下に置いておくなら、結局は同じ事よ。この建物にも、暴徒どもは逃げ込んでるんだから」


 彼女たちの言う通り、この廃墟には既に階段のようなものは残っておらず、私たちは崩れた場所を手探りで登ってきたに過ぎない。もしも捕虜を連れてここまで登らねばならないとすれば、それは非常にうんざりする話だった。

 スラムの道から溢れた連中は、この建物にも入り込んでいる。流石に屋内であれば群衆のパニックも落ち着くだろうが、廃墟である為それも絶対ではない。なにより、落ち着かれたところで、捕虜が踏まれるか、解放されるかの違いでは、私たちにとってのメリットはないのだ。

――と、そこにペラルとデイジーが駆けてくる。彼女たちは、捕虜のお目付け役だったのだが、面目なさそうに顔を伏せている。捕虜を放置して戻ってきた点を悔やんでいるらしい。


「仕方ないわ。あの人数を二人だけで捌くのなんて、大変だものね」


 彼女たちがなにかを言う前に、私は二人をフォローする。実際、誰が残っていても、あの逃げ惑う暴徒たちを二人でどうにかするのは大変だった。殺してもいいのなら別だが、それをしてしまうと、そもそも私たちがここに遣わされた意味がなくなる。

 惜しいのは、捕虜の内【扇動者】と思しき一人だ。あれはグランジちゃんに対する、いいお土産になっただろうに……。


「こっちはもう大丈夫ね。いまから、ハリュー邸に向かおうとする連中なんていなそうだもの」

「いたとしても数人よね。そんな少人数でなにができるのかって話よ」


 アネモネとカメリアが言う通り、もはやあの暴徒たちにはなにもできまい。彼らは群衆だったからこそ厄介だったのだ。バラけてしまえば、ただの胡乱な輩でしかない。もしもスラムの奥に向かうなら、ウル・ロッドが彼らを見逃しはしない。


「ただ、この場合表の方が問題よね」


 私の言葉に、アネモネとペラルが頷き、デイジーとカメリアは首を傾げた。私の言葉の意味を量りかねている二人に、簡単に説明をする。


「あの連中は、いってしまえば敗残兵よ。目論んでいた報酬はパァで、下手すればギルドからも破門扱い。町の裏を取り仕切るウル・ロッドからしても、許す事はまずありえないでしょ? そうなると、行き場がないのよ」

「ああ、なるほど。要は、野盗化するって事?」


 デイジーが得心いったと発言するが、私はそれに首を左右に振る。


「これがただの戦であれば、たしかにその認識で正しいかもね。でも、ここは町中よ? そんな連中が約一〇〇〇人。放置できると思う?」

「あ」

「野盗なら放置したでしょうけど、町の中で盗賊化するなら、代官や領主側は放置できないんじゃない?」

「たしかに。ましてアルタンは宿場町。治安が荒れれば、ダイレクトに町の収入に直結するわ」


 カメリアが今度こそ納得したと、腕を組みながら言った。

 そう。町の中に大規模な盗賊が生まれる事を、統治者側は放置しない。下手をすれば、せっかく姉弟が死者を抑えた解決をしたというのに、衛兵側が凄惨な取り締まりを行わねばならないかも知れない状況なのだ。


「まぁ、自業自得じゃない? ハリュー姉弟に対する憤懣を放置し、自分たちに矛先が向かないようにしたツケが回ってきただけでしょ?」

「たしかに」


 デイジーとカメリアが意地の悪い笑みを湛える通り、本来こんな面倒な事態は統治者が気にしなければならない話であって、一介の冒険者だの研究者だのを巻き込んだ彼らが悪いのだ。ハリュー家からすれば、最大限配慮した結果、人死にを少なく解決したのだから、それで文句を言われても困るだろう。

 まぁ、こうなった以上は領主も代官も、いっそ皆殺しにしてくれた方が手間がなかったと思うだろうが、それは結果論でしかない。


「まぁ、せめて税金の分くらいは働いてもらわないと、ね」


 私が皮肉気に言うと、他の面々もニィと笑ってから撤退準備を始める。グランジちゃんへのお土産はなくなったものの、今回の依頼はなかなか得られるものが多かった。

 なにより大きい成果は、ハリュー姉弟に対する認識の指標を得られた点だ。間違っても、彼らの工房には手を出してはいけないと、私たち【アントス】は共通認識を確立できた。いまだに、あのエルナトが戻っていないのだ。仮に後々戻ってきたとしても、その時点で危険は明白。多少の報酬で、そんな場所に手を出すなど、愚か者の誹りは免れ得ない。

 私はエルナトと違って、それを柳に風と無視できる程、厚顔無恥ではない。

 それに、彼らの手の内の一部でも見学できたのも大きい。謎多きハリュー姉弟の実力の、ほんの一端でも知れたのだから、それだけで捕虜二人分の報酬くらいは失っても痛くはないだろう。やはり、【扇動者】の分は勿体なかったが……。



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