第4話 噂の悪魔

 〈2〉


「結局、来ちまったよ……」


 俺はグランジからの手紙を携え、噂のハリュー邸へと赴いていた。手紙の内容は、しばらく俺を、彼らのパーティに入れ、冒険者としての基本技能を身に付けろ、というもの。

 どうしよう……。スゲー胃がシクシクしてきた……。

 多くのマフィア連中がその命を散らした屋敷は、もう目に見えるところにある。ここまで来た以上、引き返すわけにもいかない。だというのに、ふとした拍子に足が止まる。心を強く保たないと、踵を返してしまいそうになる。

 スラムの一角に似つかわしくない、立派な屋敷だ。門前に人はいないが、二階からこちらを窺っている影がある。いや、なんでだよ。ここは要塞か? あそこは見張り櫓か?

 ノッカーを叩けば、そう間を置かず男性が現れる。


「どちら様でございましょうか?」


 品の良さそうな、初老かその手前くらいの男は、物腰柔らかな笑みを湛えて、こちらに問うてきた。俺もまた、似合いもしない笑顔で応答する。


「冒険者ギルドの使いで参りました、ラベージと申します。ショーン・ハリュー様、グラ・ハリュー様はご在宅でしょうか?」

「はい。ですが、ご用件ならば、私がお伺いいたします」

「では、ここで待ちますので、手紙はすぐにお読みいただければ幸いです。内容は私にも関わる事ですので、ハリュー様としてもその方が話が早いと、内容を読んでいただければご納得いただけるかと」

「ふむ。そうですか……。であれば、応接室でお待ちください。お客人を玄関先で待たせるわけには参りませんので」

「お心遣い、痛み入ります」


 そう言って、深々と頭を下げる。本来、アポも取らずの来訪であれば、外で待たされたとしても、文句は言えない。だがここは、屋敷がどれだけ立派であろうと、スラムの中なのだ。外で待たせるなどという事は、失礼という次元を通り越して危険である。

 とはいえ、だからこそ急な来訪は失礼にあたるだろう。グランジも、もっと段取りを整えてから、俺を送りだして欲しい。まぁ、今日会った事そのものが、偶然なのだから仕方ないといえば仕方がない。

 応接室に通され、エルフとダークエルフという異色の使用人に見守られながら、俺は出された茶に口を付ける。香りは強いが、その分渋味も感じられる。茶としてはたぶん、中堅の商人がだすものとそう変わらないだろう。

 ハリュー家はそれなりに富裕だそうだが、もしかしたら財産はその程度のものなのだろうか。あるいは、単に急な来客に対する当てつけか……。

 しばらく無言で待っていると、ノックの音のあとに先程の男性が扉を開き、頭を下げる。


「ラベージ様、でよろしかったでしょうか? ご挨拶が遅れまして、誠に申し訳ございません。私はハリュー家の家令を任せられております、ザカリーと申します」

「いえ、急な来訪者を警戒するのは、当然の事かと」


 このザカリーという男が、これまで名を名乗らなかったのは、こちらを警戒していたからだ。できるだけ、自分たちの情報を漏らすまいとして行動だ。

 定期的にマフィアが攻めてくるという事で、警戒心が強くなっているのだろう。


「ありがとうございます。重ね重ね申し訳ないのですが、主人は研究の最中で、すぐには手を止められないとの事。もうしばし、お時間をいただきたく願います」

「それもまた、急に訪れたこちらに非がある事。どうか、頭をお上げください」

「ご寛恕いただき、誠にかたじけなく思います。どうやら、お茶が冷めてしまっているようですね。シッケス、ティーセットを持ってきてください。私が手ずから、来客に振舞います」

「はい」


 ダークエルフの方が、ザカリーに言われて部屋をあとにする。そうやって振舞われた茶は、やはりというべきか、一流の商家で扱われるものだった。どうやら、さっきまでのものは、招かれざる客用の代物だったらしい。

 勿論、そんな事にケチを付けるつもりはない。なにせ、どちらも五級の俺にとっては贅沢品だ。飲み物なんて、基本は井戸水、白湯があれば上等な生活だからな。

 そうしてしばらく、芳醇な香りを楽しんだ俺の元に、噂のハリュー姉弟が現れた。ひらひらとした袖広の神官服のようなものをまとった、瓜二つの双子だ。青の衣が【白昼夢の悪魔】ショーン・ハリュー。赤の衣が【陽炎の天使】グラ・ハリューだ。


「お待たせしてすまないね。ラベージさん、でいいのかな? 僕がショーンです」

「いえ、こちらこそ急な来訪で申し訳ありません。連絡の齟齬が生まれると、かえって余計に時間を食うと思い、こうして直接出向かせていただきました。私が不適格であると思われれば、その旨、直接ギルドにお伝えいたします」

「うん。こちらとしても、予め話を通されると、いろいろと準備しなくちゃならないからね。その手間と時間を省いてくれた、ってところかな? ありがとう」

「恐縮です」


 ふむ。聞いていたよりも、ショーン・ハリューは気さくな人物らしい。ころころと笑いながら、俺に着席を促すとその対面に自分も腰掛ける。さらに彼の隣に、グラ嬢も腰掛けた。

 こちらは入室から一切口を開かないどころか、俺に一瞥もくれない。天使というには、その表情はあまりにも冷淡で、まるで冴え冴えとした朝の湖面のようだ。


「それで、手紙にはあなたが、僕ら姉弟に冒険者としての基礎技能を教えてくれると記されていたんだけれど?」

「はい。ショーンさんたちご姉弟は、破格のスピードで昇級しましたが、その為に本来上級冒険者に至るまでに覚えておくべき事の多くが、未修得である可能性があります。それは、アルタンのギルド支部の評価基準に疑義を呈されかねない事態であるという事で、私が派遣されました。経歴だけは長いので、冒険者としてのノウハウをお伝えできれば、と思っています」

「ふむ、なるほど……」


 顎に手をあててなにやら考えながら瞑目するショーン・ハリュー。ややあって、一つ頷いた彼は、満面の笑みで言った。


「わかりました、それでは僕らの教育係を、あなたにお願いしようと思います」



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