第55話 ゲッザルト平野の一層ダンジョン
「ほう?」
多少驚きつつも、それを表情に出す事なく私は相槌を打つ。対するグレイもまた、柔らかな笑顔で感情を覆う。
「ゲッザルト平野の一層ダンジョン、か……」
だが、そう繰り返したグレイの言葉には、隠しきれない憎悪と苦々しさが滲んでいる。強い感情を隠し切れない辺りに、ダンジョンコアらしさを感じ、私は密かに鼻白む。
どうにもどっち付かずなのだ、眼前の存在は。もしかしたら私は、そこにショーンを重ねていたのかも知れないと、少しだけ思う。ただ、我が弟ならば、このような場所で、相手に――それもコミュニケーション能力の低い私ごときに、感情を覚られるような愚は犯さない。
この者の本質はやはり、どれだけ対人能力に長けていようと、こちら側にあるのだ。
「あなたがこうして健在であるという事は、やはり一層ダンジョンで討たれたコアは偽物ですか」
「その通り。まぁ、偽のダンジョンコアは消耗する生命力の割に、得られるものが少なく、また既存のモンスターと同じく叛乱の可能性を潰し切れない。独自のダンジョンなど持たせては、我らダンジョンコアの生命線たるダンジョンに関する情報まで漏洩するリスクとなる。ダンジョンコアならば誰もが、一度はそれを考え、そしてリスクの大きさから破棄する代物だ」
「左様ですか」
私は素知らぬ顔でそう言い捨てる。もしもパティパティアトンネルのDPを奪ったのがグレイであるなら、この韜晦になにかしらの反応をするかも知れない。そして
果たして――、
「だから、忠告しておく。帝国方面に作った隧道、そこに配置した偽のダンジョンコアを信用しない事だ。個人的には、さっさと潰してしまえといいたいところだが、まぁ私も人の事を言えた身ではないので、そこは黙っておこう。しかし、【死霊術】の二の舞を踏んだダンジョンコアなどという汚名は、君も御免だろう?」
隠す素振りすら見せず、グレイは自らが下手人であると告げる。とはいえ、こちらとしても、ダンジョン跡紛いの状態で放置した以上、声高に文句を言える立場ではない。
なんとなれば、相手の本拠がわからない状態では、争う事すら至難なのだ。この辺りは、他のダンジョンコアと争うという事自体に消極的な我らの生態と呼べるのかも知れない。
「やはり、あのダンジョンからDPを抜いたのは、あなたですか……」
「DP……だぁ?」
私が嘆息しつつこぼすと、途端グレイが声を荒らげる。柔和な表情を憤怒に染め、忌々しげにこちらを睨む双眸は吊り上がる。対する私は、そんな彼の変化を淡々と観察しつつ、努めて冷静な声音で返す。
「おや? 我らの独自の『ダンジョン性エネルギー』の呼称が、それ程気になりますか?」
「…………」
対するグレイは己の失態を察したのか、暫時押し黙り、徐々にその表情から感情を抜いていく。たっぷり三〇秒程沈黙を保った彼は、元の柔和な表情に戻した仮面で、つらつらと語る。
「いやなに、以前全く同じ呼称で我らの生命力をそう呼んだ存在を知っていてね。ところでそれは、君の弟君が定めた呼称かな?」
「さて、どうだったでしょう。なにしろ生まれてすぐ作った単位でしたから、どちらから言い出したものだったか覚えていませんね」
「…………」
再び押し黙るグレイ。まるで何事もないと言わんばかりのにこやかな表情は、しかしその薄皮一枚下に煮えたぎる感情を覆い隠し、その熱が冷めるまで必死に耐えているかのように、私には思えた。
そんなグレイに助け舟を出すわけではないが、彼にはまだまだ話してもらわねばならない。私は一つ嘆息してから、話題を戻すように口を開いた。
「話を戻しましょう。あなたが一層ダンジョンのダンジョンコアであるというのは、まぁ信じましょう。我らダンジョンコアにとって、そこを偽る意味などありませんから」
「……そうだね。なんとなれば、他者のダンジョンを我がものとするのは、その者の功績を奪わんとするような、さもしい真似とも受け取られかねん」
「……そうですね」
肯定しつつも、私は心中で彼の言葉を否定する。
それが『さもしい真似』である事を、ではない。それが、他者に受け取られかねないと、彼が懸念している点についてだ。我らダンジョンコアは、他者からの評価などに拘泥しない。己の行為を、己が許容できるか否か。己の矜持が、それを許すかにのみ、価値基準はあるのだ。
極論すれば、己の矜持に悖る行為でなければ、他者から卑劣、低俗と謗られるような行為をも、許容し得るのである。例を挙げるなら、以前バスガルのダンジョンコアが我らのダンジョンに攻めてきたのが、まさにそれだ。
一〇〇年以上も人間らを退けた中規模ダンジョンが、己が存続の危機だからと、生まれたてのダンジョンに攻め込むというのは、あまりにも一方的かつ大人気ない行為だ。それだけ、バスガルのダンジョンが切羽詰まった状態であったというのも事実だろうが、他のダンジョンコアらからすれば矜持に悖ると謗られても仕方がない行為だっただろう。
然れど、バスガルはそれを断行した。宣戦布告の際に、こちらに逃げる道を示唆した事で、ダンジョンコアとしての責務は全うしたと判断したのだ。あるいは、それでも多少は気にやむところはあったのかも知れないが。
あの戦における当初の消極的な姿勢は、バスガルのそういう思いに由来した躊躇だった可能性は十分にある。既に、物言わぬコアから【
私はそんな、なんともチグハグなグレイの態度を不快に思いつつ、その感情を表に出さず言葉を続ける。ショーンが言うには、私の感情表現は自分にしかわからないと太鼓判を捺す程のポーカーフェイスだ。この者程度に読み取れるはずはない。
「一層ダンジョンのコアと接触する機会があれば、是非とも聞いてみたいと思っていたのです。あのダンジョンのコンセプトは、結局なんだったのですか?」
「うん? ああ、まぁ、既に君もご存知だろう? 人間社会において、昨今【崩食説】などと呼ばれる、捕食方法の実地試験さ。知っての通り、ダンジョンというものは深くなればなる程、掘り進めるにも維持するにも多くの生命力が必要になる。逆説的に、一層しかないダンジョンであれば、拡張も維持も然したるコストもなく広げられるわけだ」
まぁ、概ね予測の範囲内である。とはいえ、人間どもの集落というのは、そこまで密集しているわけではない。その為の広大なダンジョンだろうが、一匹の小虫を潰す為に、一〇〇人の兵士を雇うような所業であり、無駄が多いと断じざるを得ない。
「なるほど。従来のダンジョンの形態――侵入する人間どもを迎え撃つ形よりも、地上にある人間どものコミュニティを直接襲い、積極的にDPを得る手法を確立しようとしたわけですか。実際、一層ダンジョン出現時には、いくつかの村落が消失したという記録もありました」
とはいえ、試みそのものは有益といえるだろう。なにより、いざというときに確実に使える手管があるのと、仮説のままであるのとでは話が全然違う。万が一、侵入者が乏しい場合に、モンスターを強制的に受肉させて外界に放つ
どちらも、人間社会に与える恐怖は絶大であり、こちら側のロスは後者の方が少ないと予測できるからだ。
「その通り。まぁ、人間どもは大きな集落になる程ダンジョンに対する警戒度は高く、小さな集落は然したるエネルギーにならない。都市が相手となれば、察知も抵抗も大きくなるし、そのせいで消耗する生命力もバカにならない。下手をしなくても、簡単に足が出てしまう。実際、一層ダンジョン計画はその広大さから、あらゆる人間のコミュニティに危険視され、大規模な侵攻を受けて頓挫した。そうでなくても、生命力的には大赤字だったしね……」
そう言って嘆息するグレイの態度は、己の失敗を茶化すように自嘲しているように見える。しかし――否、やはりというべきか、そこにはどこか白々しく、鬱陶しい韜晦があるように思えた。
だからこそ、私は一つ、これ見よがしに大きなため息を吐くと、苛立ちを表すようにダンと地面を踏み鳴らす。それから腕組みをし、相手を見下すように睨み付けてから、これこそがダンジョンコアであると教示するよう、傲岸に問う。
「それで?」
その一言で、私は『これ以上の無駄話はやめて、本題に入れ』と、言外のあらゆる情報で伝える。対するグレイは、やはり参ったとばかりに困り顔を浮かべてから、しかしこちらの要求通り神妙な声音で問うてきた。
「なぁ、グラ殿?
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