第79話 自己肯定


 ●○●


――絶句した。それは勿論、図星だったから、ではない。グラの言葉が、僕の拙い理論武装を、紙屑のように崩壊させてしまったからだ。

 グラは醜い化け物か? 否だ。論を待つまでもない。エンヘドゥアンナからス○ルバーグ、宇津保物語からハリー・○ッターまで、あらゆる物語を嗜んできた僕が、エンタメにおいては石器時代も同然なこの世界で断言する。史上最も美しい人食いの怪物が、彼女である。

 グラの殺人、食人行為に、嫌悪感を抱くか? 否である。断じて否である。常々言ってきたように、僕は彼女の殺人にも、食人にも忌避感などない。疑問もなければ、彼女の安全と成長を鑑みれば、むしろ積極的に肯定すらしている。

 だからこの姿は当然、グラの――化け物の姿の鏡像ではない。ただただ、僕の自己嫌悪の具現でしかないのだ。僕自身が作りあげた、僕自身を写す鏡の向こうの僕なのだ。

 キシっと、体の奥でなにかが軋む音がする。――……痛い。

 この姿は、僕が勝手に作りあげた、化け物の姿だ。僕ら姉弟が目指すべき、ダンジョンコアという人外の――神に至るべき生物の姿ではない。その事に気付かされた時点で、僕の自己弁護は破綻してしまっていた。

――痛い、痛い、痛いッ!


「痛いよ、グラ……」

「そうです。そうやって、素直に私に打ち明けてください。私にあなたのすべてを晒してください」


 痛い。痛い。痛い。心の奥の蓋をしていたところが、キシキシと軋む音がする。


「僕は――、――……――……人を、殺したく、ない……」


 自分の声かと疑う程に、かすれて、罅割れた声が漏れる。頬を撫でる、グラの手からぬるりと温かい液体の感触がする。依代という、ダンジョンコアに比べればあまりにも弱い肉体で、無茶をするからあちこち傷だらけだった。

 彼女にこんな傷を負わせるくらいならば、人なんていくらでも殺すし、人肉どころか汚泥すら啜ってみせるというのに……――


「……わかっています。ごめんなさい。それでもお願いします。私の為に、人を殺してください。人を食らってください。その生き方を許容し、肯定し、誇ってください」


 僅かに歪むグラの表情が、彼女の苦悩を良く表していた。その生き方を、許容する事はきっとできる。時間をかけて経験を積めば、その内殺人にも慣れるはずだ。だが、肯定はどうだろう。まして、それを誇れるか……?

――わからない。だが、わかっている。グラは、僕に茨の道を歩ませたくないのだ。生きる事自体が苦痛であって欲しくないのだ。僕の人生が、己を否定するだけの苦行であって欲しくはないのだ。

 そしてなにより、そうして怪物ダンジョンコアそのものを否定して欲しくないのだろう。

 それはすなわち、グラの否定であり、彼女の生き方の否定だ。そして彼女の誇りを汚す行為に他ならない。そんな真似は、僕だってしたくはない。


「うん……」


 グラは自分の為にといっているが、どの道僕ら姉弟が生き残る為には、人は殺さねばならない。糧という意味でもそうだが、なによりも人間は僕らにとって、敵性生物なのだ。

 もしも僕が、人間としての心情に引き摺られて、彼らに手心を加えるような事をすれば、その甘さは僕ら姉弟の生存率の低下に直結する。それはつまり、グラの命を脅かすような真似でしかない。

――そんな事は、僕が絶対に許容しない。


「……うん」


 なんて事はない。かつて僕は、グラに自殺という手段を封じられた。そして今回は、自己否定と自己嫌悪を封じられたというだけだ。いずれは、人食いの化け物である自分を肯定し、誇れるようになれと、本当にそれだけの話なのだ。


「あなたが元々人間であるという事実まで、否定する必要はありません」

「……そうだね」

「ダンジョンコアとして生きる事は、必ずしも人間性の否定ではないはずです。そもそもダンジョンコアは、地上生命を模した形態で生まれてくるのですから」


 なるほど、そういう見方もあるのか。もしかしたら、グラが人型じゃなく、それこそモンスター然としたダンジョンコアだったら、こんなに悩まず、さっさと吹っ切れていたのかも知れない。

 自己肯定か……。今度の課題は、なかなか難しそうだ……。でもまぁ……――


「頑張ってみるよ……」


 もう少し、自分を好きになるよう心掛けよう。もう少し、自分の行いを認められるよう、努力してみよう。


「――ッ!? ああッ!? ぅあ!?」


 ギシギシと、もはや誤魔化しきれない程の苦痛が己の内部から発される。強烈な痛みと、己の精神が圧迫されるような感触に、意味も分からず苦悶の声が漏れる。

 そこでようやく、僕はようやくこの痛みが、【怪人術】における副作用ではなく、もっと根本的なところから体に負担がかかり、支障が出ているのだと気付く。それと同時に、随分と久しぶりの感覚に襲われた。

 それは自分の精神が、なにかに追い出される感覚。元々あるべきなにかに排除され、別のなにかに宿る感覚。違いがあるとすれば、依代に宿ったときは強い心細さと自己嫌悪に陥ったが、今度はまるで母の胎内にでも戻されるような感覚だった。

 次の瞬間、僕の視界は薄暗い海底に作られたガラス造りの通路から、見覚えのある雑然とした研究室へと変わっていた。そして、先程まであった痛みや倦怠感は綺麗さっぱり消え失せ、全能感とも呼べるような感覚を自覚する。


 こうして僕は、グラ不在のダンジョンコアに戻ってしまったのだった。




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