第49話 サリー・エレ・チェルカトーレ
「あれだけこっ酷く失敗した前回の侵攻を、踏襲すると? 考えられぬな」
フィクリヤ公爵が、枯れ木のような手で虫でも払うようにそう断言する。だが、ワシからすれば、一度成功しているのだから、必ずしもあり得ないとはいえないだろうという思いが強い。
なにより、帝国では現在、香辛料と塩が青天井に高騰していると聞く。その情勢を鑑みれば、多少の無茶であろうと成功体験に縋りたいという思いは、わからないでもない。
「ふむ……。必ずしも、そうとはいえぬ。帝国貴族どもにとって、海を手に入れるのは悲願だ。なんとなれば帝国は、統治にこそ失敗したが、ナベニポリス周辺の地域を版図に収める事そのものには、一度成功している。であらばこそ、二匹目の泥鰌を狙うというのは、少なくともあり得ぬと断じられる程の話ではあるまい」
「では、ヴィラモラ辺境伯は、帝国の二度目のパティパティア越えはあり得ると?」
ラクラ宮中伯閣下の質問に、しかしヴィラモラ辺境伯閣下は左右に首を振る。
「そうは言わぬ。されど、それだけ彼の国は今現在、切迫しておるという意味だ。あり得ぬような事も起こりかねぬし、その為であればどのような手を使うかもわからぬ」
思わず渋面を浮かべてしまう。なにせ、そんな帝国の矢面に立つのは、我が伯爵領なのだ。同じく防波堤たる王冠領の盟主たる辺境伯閣下の表情も、良好とはとてもいえない。
「卿も同じ考えか?」
ラクラ宮中伯閣下に訊ねられて、ワシは「はっ」と答えて頷いた。帝国がどのような腹積もりでタルボ侯爵領に兵を集めているのかはわからぬが、向こうも伊達や酔狂でそれをしているわけはない。
まず間違いなく、軍事行動そのものは起こる。問題なのは、その狙いがどこまでなのか、だ。ナベニポリスなのか、はたまた第二王国すらも標的なのか……。選帝侯諸侯が気にしているのも、そこであろう。
「一つ、注意がある」
そこで、ヴェルヴェルデ大公陛下から声が上がる。
「もしもいま戦になれば、ヴェルヴェルデの兵はそちらに割けぬ」
「ヴェルヴェルデ大公陛下、先の件は――」
「――違う。先の件とこれは、関係のない事情だ」
ラクラ宮中伯閣下の言う『先の件』とはすなわち、以前の遊牧民どもの侵攻に際し、迎撃として動いたヴェルヴェルデ王の不在を狙って、異教徒どもがヴェルヴェルデ王国領を侵した件である。
その後、第二王国が一丸となって、領土から遊牧民どもを追い出し、そのままヴェルヴェルデ王国領からも、異教徒を排しようと企図していた。だが今度は、教会が主導する【遊牧民包囲網】の構築で、西側に兵を取られてしまい、王領奪還が遅れに遅れてしまったのだ。
その間に防備を固めた異教徒どもの守りは堅固であり、再度軍を起こした奪還戦においては、王領の半分も取り戻せず終いだった。その切り取った王領と、詫びのように与えられた第二王国領を併せたのが、現在の大公領である。
大公からすれば、援軍要請に出向いたら自分の領土が奪われ、その奪還にも神聖教から横槍が入り、まごついている間に敵が防御を固めてしまったのだから、文句の一つも言いたくはなるだろう。不満を抱くなという方が無理な話である。
であるからこそ、ラクラ宮中伯閣下の表情も沈痛なものがある。またも異教徒どもにしてやられて、今度は大公領すら奪われてはたまらない、といった思いであっても、なんらおかしな事ではないのだ。
だが、ヴェルヴェルデ大公は否定を強調するように、大きく首を振って話す。
「繰り返すが、此度余が援軍に向かえぬのは、先の件とは別だ。我が領のダンジョンにて、宝箱が出現したと言えば、事情は察せられるか?」
宝箱……。はて? そういえば、ハリュー姉弟関係でそのような報告があったような気もするが、ほとんど冒険者ギルド任せで捨て置いてしまったせいで、詳細を覚えておらぬ。
他の面々も、半数くらいはなにがなにやらわからぬようで、首を傾げていた。事情を察しているようなラクラ宮中伯閣下とシカシカ大司教座下、それとヴェルヴェルデ大公陛下はこれでもかという程の渋面を浮かべている。
「簡単に説明すれば、冒険者ギルドがダンジョンに対して行なっている侵入制限が、根底から瓦解しかねぬ焦眉の急なのだ。余ら、ヴェルヴェルデの戦力は、ダンジョンの封じ込めと早期の討伐に向けて、全力を挙げねばならぬ。異教徒どもがおらずとも、しばらく我々は動けぬ」
「なるほど……。それはたしかに、緊急事態であろうな……」
ラクラ宮中伯閣下が気遣わしげにする程なのだから、事は本当に喫緊なのだろう。この二人、政治的にはかなり対立している。中央貴族と地方領主という立場の違いは勿論、表向きヴェルヴェルデ王国領奪還を先送りしているのは、ラクラ宮中伯閣下であり、それを支持しているのがドゥーラ大公閣下になるからだ。
とはいえ、お二人もヴェルヴェルデ大公領の扱いをぞんざいにしているというわけではなく、現在の第二王国が瓦解の危機であるという現状を解決してから、第二王国一丸となって、再びの王領奪還を画策しているわけだ。
問題は、そのプランに実がない事くらいだろう。王城はいまや、様々な派閥が跋扈し、王権に群がる魚群どもの巣窟と化してしまっている。
「なるほどですねー」
そこで唐突に、場違いな明るい声が響く。そちらを見れば、この室内にあっての紅一点、しかし当然ながらその方は給仕や妻などではなく、れっきとした爵位持ちの貴族である。
サリー・エレ・チェルカトーレ女男爵。
先の一件で顔を合わせた、【壁】や【突撃槍】と同じ【
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