第15話 取り留めもない報告

 〈3〉


 鶏舎の視察を終えて、僕とジーガとディエゴ君、それと指導係のラベージさんは、家へと帰ってきていた。今日は天気が良くないので、黄昏の足も速い。茜色に染まる空のパレットには、既に紺色が混ざり、その色を暗く濁し始めている。

 夜陰の足音が聞こえてくる町からは、早々に退散するに限る。街灯などという気の利いたものは、ここアルタンの町には存在しないのだから。


「ザカリー、セイブンさんは招待できた?」

「はい、ショーン様。先方もどうやら旦那様に御用がおありのようで、是非とも訪いたいとの事でした」

「そっか。フォーンさんやフェイヴとは連絡取れた?」

「残念ながら、お二人とも町をでているとの事で……」

「そっか、それじゃあ仕方ないね」


 僕は他所行き用の服を使用人たちに脱がせてもらいつつ、すっかり部屋着扱いのダルマティカを着せられてる。ぶっちゃけ、自分一人で着た方が手っ取り早いし気楽なのだが、使用人たちに経験を積ませる必要があるからと、ザカリーに言われているのだ。

 まぁ、仕方ないよね。自分を買い戻したあとに、使用人経験者という経歴がハリボテだと、彼らも再就職に困るだろう。ウチは、僕もグラも地下の工房に籠りがちなせいで、主人に伺候しこうするスキルは磨きにくい環境にある。

 彼らの将来の為にも、少しは主人らしい振る舞いが求められるのだ。引き続きウチで働いてくれれば、そんなスキルも要らないんだろうが……。まぁ、使用人たち全員が全員、奴隷解放後もウチで働きたがるとも限らないしね。


「ショーン様、鶏舎の視察はいかがでした?」

「臭かったね。音も結構うるさかった」

「左様ですか。ではやはり、壁の外での大規模飼育は難しそうですね」

「まぁ、そうだろうね……」


 この国で畜産業があまり振興されていないのは、やはりモンスターの存在が大きい。モンスターのルーツはダンジョンであり、その目的は侵入者の排除だ。それ故に、他の生物に対する攻撃性が、本能に刻まれている。

 だから大規模な畜産業というものが、非常に難しいのだ。下手に放牧などをすれば、あちこちからモンスターが寄ってきて、牧場はたちまち彼らの餌場と化すだろう。羊飼いのようなやり方でも、モンスターにとっては石焼き芋の移動販売のようなものだ。不可能ではないが、かなり大変だろう。


「他所に輸出できる程の規模ともなると、やっぱり小さな村々じゃ厳しいだろうね。個人なんてもっての外。そりゃあ、畜産という概念からして生まれにくいよねぇ……」

「はい。せめてアルタン程度の規模と、壁が必要になるでしょう」


 僕の言葉に、ザカリーが的確に意見を述べる。アルタンの町は、目立った産業もない割には、かなり広い。そして町は、高さ三メートル程度の、石積みっぽい壁に覆われている。

 ザカリーは、それがあれば大規模な畜産業が可能だと言っているのだろうが、事はそんなに単純じゃないだろう。


「アルタン程度の広さがあっても、既存の町で行うには、畜産には様々なハードルがあって、上手くいくとは限らない。騒音、臭気、衛生問題。素人考えでも、ざっとこれだけの障害が予想できる。実際にやり始めたら、思いもよらない問題だって起こるだろう」


 あとはまぁ、単純に畜産業の為の広さが足りないという、根本的な問題もある。これは牧草等を必要とする家畜を前提とした問題ではあるが、アルタンの町の壁の内には、当然ながらアルタンの町の住人がいる。町の中に畜産業を興そうと思えば、当然彼らの生活スペースが圧迫されてしまうのだ。

 結果、アルタンの規模で牛豚の畜産をしようと思えば、いまのアルタンの住民の大半を追い出さないと、かなり厳しい。始めから、畜産の為に壁を立てるというのも、いくら食料確保の為とはいえ、初期投資がかかりすぎる。

 養鶏にだって勿論、臭気、騒音問題はつきまとう。そこら辺は、いま作っている鶏舎という名の擬似ダンジョンが上手く機能すれば、問題なくなるだろう。あとは当然衛生問題だが、そちらもダンジョンであれば問題ない。スペースの面でも、ケージ飼い予定であり、崩落個所を利用した縦式の施設を建設予定である為に省スペースだ。


「なるほど。だから肉といえば、猟師や冒険者が狩ってくるもの、という認識ができたのですね」

「そうだろうね。まぁでも、もしかしたら立地に恵まれた場所や環境があれば、畜産を振興している国もあるのかも知れない。今回の事業が上手くいけば、アルタンでも鳥肉は安定供給できるだろう」


 地球にだって、万里の長城とかあったしね。広範囲を壁で囲んで、その中でなら大規模な畜産も可能になるはずだ。あとはまぁ、ダンジョンが少なくてモンスターの数が少ないとか、人跡未踏の地が少ない平野とかなら、できるのかな。今度、それとなく調べてみるか。


「そうですね」

「できれば乳業が盛んな国があればいいな。それでチーズがあれば、もう文句はないよ」


 この世界に生まれてから、未だ見た事がないんだよね、チーズ……。


「チーズですか? たしか、貴族様たちが嗜む嗜好品ですよね? ショーン様は、チーズをご所望ですか?」

「あ、あるんだ。チーズ」


 やっぱり小規模な畜産はこの世界にもあるのだろう。チーズが高級品なのも、狭い規模で動物を飼育し、それで得られた乳から作っているのかも知れない。冷蔵庫も普及していないとなると、新鮮な牛乳なんてもっと高級な品になるんじゃないかな。


「食で贅沢をするつもりはないさ。好き嫌いはあるけど、どちらかといえば僕は、腹に溜まればそれでいいってタイプだからね」

「左様でございますか。どうやらショーン様は、魚介がお好みのようですが、これからのお食事は、それらを用意した方がよろしいかと思案しておりました。いかがいたしましょう?」

「この町の住人的には、魚介を多用するのは外聞が悪いんだろう? 僕はあまり気にしないけど、舐められて襲撃が増えるくらいなら、このままで別に構わないよ。君たち的にも、あまり魚介が増えるとモチベーションが下がるんだろう?」

「……。不心得者などは、そうであると言えるのかも知れません……」


 絞りだすような声で、ザカリーが肯定する。

 どうやら彼的には、どんなものでも美味しく食べるのが、使用人としての心得らしい。しかし残念ながら、やはり肉が食事にでると喜んでしまう者の方が多いようだ。

 正確には、この町では魚介の干物や燻製などを、貧民の食べ物として蔑む傾向にあるらしい。この町出身でない者も多いウチの使用人たちには、アルタンの気風であるそういう意識は薄いようだが、それでもやっぱり肉の方が好きなようだ。

 美味しいものは美味しいでいいだろうに……。


「かしこまりました。グラ様も、魚介の方がお好みなのでしょうか?」

「あー……、どうだろ。僕以上に、食に頓着しないからね」


 グラはグラで、高カロリーならと油を一気飲みしたり、小麦粉を粉のまま服用しそうではある。まぁ、ダンジョンコアではそんな事でエネルギーは得られないし、依代だったとしても、生物を模している分、そんな無茶な摂食では体を壊すだろうが……。


「よし。着替えはこれで終わりかな?」

「はい。このあとはいかがいたしましょう?」

「僕は一旦、下に行って研究の準備をしたい」

「お客様を招待しているのですから、あまり時間を要するものはお控えくださいね」

「大丈夫。既存の【恐怖】と【怯懦】の理をバラバラにして、解読するだけだよ。この二つを、一つの術式にしてみたくてさ」


 今日、襲撃者たちに使った二種類の幻術だ。自分で使うだけじゃなく、旅籠磯巾着と隠隈魚と名付けた一対のイヤリングの装具でも使った。共生関係にある事で有名な磯巾着と隠隈魚だから、シナジーの高い【恐怖】と【怯懦】の装具にそう名付けたのだ。

 だが、どうせなら一つにしたいと、最後に使ったときに思った。もしも二つの理を一つに統合できれば、かなり使い勝手が良くなるはずだ。

 正直、この程度の事は誰でも考えられるだろうし、開発もできているかも知れない。だが、そんな知識を簡単に得られる程、この世界における情報の価値は低くないのだ。ないなら、知識層に聞くか、自分で作るしかない。


「かしこまりました。くれぐれも、お客様のご来訪の際には、お手を止めてくださいね?」

「う、うん。わかったよ……」


 ザカリーの迫力に、頷かされる。ラベージさんが初訪問した昨日のように、研究の為に客を待たせるな、という忠告だろう。予めアポがあれば、そんな事しないって……。……たぶん。



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