第43話 密出国
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マジックアイテムの明かりが照らす、薄暗い地下室。恐らくは、普段は倉庫として利用されているそこに、私と部下の二人は囚われていた。未だ、痛みを伴うような真似こそされていないものの、先程まで行われていた幻術を使っての尋問は、なかなかに堪えた。
何度生命力の理で抵抗しようとも、重ね掛けされる幻術に、いつまでもそれを続けていられるわけもない。生命力の理と魔力の理とでは、消耗度合が桁違いなのだから、それも当然である。
結果として、私と部下はなにか会話を交わす余裕すらなく、悄然と椅子に縛られて項垂れているのみだ。我々の持っている情報は、洗いざらい――それこそ偏執的なまでに、微に入り細を穿った質問によって、持っていかれてしまった。これに関しては、幻術を行使した少年よりも、商人風の連中の方が非常に積極的だった。
それからどれくらいの時間が経った頃か……。私の耳が、部屋に近付いて来ようとする足音を拾う。顔を上げたところに、木製扉を開いて入ってきたのは、幻術師の少年と、お嬢様――ベアトリーチェ様だった。
「あら? 思っていたよりは、マシな姿ですわね。てっきり、血塗れになっているのかと」
「無駄は嫌いな性分でね。必要もないのに、拷問なんて気の滅入る真似をする趣味はないさ。勿論、必要であればやぶさかではないけど」
「ふぅん」
興味なさげにお嬢様が相槌を打ちつつ、我々の姿をまじまじと見つめる。思わず、羞恥に身を捩りたくなった。
だが、その羞恥の理由は? 騎士でありながら、虜囚の辱めを受けているから? あるいは、野盗紛いの依頼を受けていたからか? はたまた、忠誠を尽くすべき主を闇討ちされてなお、なにも考えず、時流だからと、その主犯と思しき人物に使え続けた事だろうか……。
「あなたたち――」
ベアトリーチェ様の、凛とした声が薄暗く埃臭い地下室に響く。あの頃とまるで変わらない気高さに、己の軸のなさが余計際立つようで、いっそう惨めな気分になる。
この方は、家を、国を追放され、その身分を失って、あわや娼婦に身を窶すようなところまで追いつめられてなお、その気位を失わないのか。元々誇り高い方であったのは知っていたが、それはあくまでもエウドクシアという名家の庇護下にあったればこそ。
一皮剝けば、名家も貴族も、そして騎士も――ただの人間だ。
「わたくし――ベアトリーチェ・カルロ・カルラ・フォン・エウドクシアに、いまこの場で忠誠を誓いなさい」
そこらの物乞いと我々で、そう変わるものかと、そう考えていた。だがしかし、こうして己の命運が風前の灯火となればわかる。同じ崖っぷちに立っているからこそ、彼女の気高さが本物であるのだと理解できる。
みっともなく命乞いをしたくなっている自分と、眼前に凛然と立っているお嬢様。時流に乗る事しか考えず、それが当たり前だからと不義を看過した自分の弱さ。対して、いま眼前に堂々と立っているお方は、どれだけ追い詰められようとも、その誇りだけは失わぬ、紛う事なき
「……ち、誓い、ます……」
もはやなにかを問う事も、疑問に思う事もなく、ただ頷く。ただ生にしがみついただけのようで、また己の情けなさに打ちひしがれるが、そうではないと自分に言い聞かせる。
少し前までの自分たちがそうであったように、誇りある主に仕えるのは、非常に心地良いのだ。騎士として己と、己の仕事を、誰にも恥じず誇れるというのは、非常に重要な事だ。
エンツォ様の元で働いた事を、親に、祖先に堂々と話せるかと問われれば、明言はできない。妻に、子供に、子々孫々に対して誇れるかと言われれば、絶対に肯定はできない。
ただ惰性で、エウドクシア家に仕え続けたときとは、明確に違う。この方の元でなら、たとえ泥を啜ろうと、地を這おうと、己を恥じて生きなくても良いのではないか。そう思えたからこそ、主として仰ぐのだ。
もしも、ナベニポリスに戻れたならば、エウドクシア家から去っていった騎士たちにも教えよう。
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さて、翌日の事。僕らは予定を切り上げて、早々にサイタンの町を発った。隊商の家畜の存在がある以上、あまり長居すると本当にゲラッシ伯に竜たちを買い上げられかねない。一行には、これまでの顔ぶれに加えて、馬に乗った二人の騎士がいた。
彼らはベアトリーチェの部下として、ヘレナと同じような立場になった。ただ、今現在の彼女の立ち位置はひどくあやふやであり、おまけに立場が確立したら確立したで、故郷のナベニポリスを侵奪する、帝国の一勢力となるのだから、当人たちにとっては不本意だろう。
だが、どれだけ不本意であろうと、彼らには選択肢などない。首を横に振った瞬間、その首が落ちるという事くらいわかっているだろうからね。実際、ベアトリーチェが勧誘した際にも、二つ返事というにも素早い即答だった。
なお、案の定筋肉痛だったベアトリーチェは、馬車の中で呻いているらしい。
「それでは、我々はこれで。無事、帝国でお会いできる事を祈っております」
ある程度国境に近付いたところで、ベルントさんがそう頭を下げてから、離れていった。その後ろに、ぞろぞろと馬車がついていく。ベアトリーチェの馬車も同様であり、その脇を二人の騎士が馬に跨ってついていく後ろ姿を見送った。
彼らは正式に、関所を通って第二王国から帝国へと入る予定だ。つまり、僕とグラ、シュマさん、フェイヴ、ホフマンさんは、正式な手順に則らず、国境を越えようとしているというわけだ。要は、密出国である。
「それでは皆様! ここからは手前がご案内を務めます故、どうぞどうぞ!」
ホフマンさんのにこやかな表情と、朗々とした声音に誘われて、僕らはパティパティアの山中へと足を踏み入れる。ここから先は、人間の領域ではない。原始的な野生が支配する、弱肉強食の巷である。
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