第136話 ……踏んだり蹴ったり

「やっほーラベさん。なんか荒れてんね?」

「うん? ああ、チェルシーか」


 行きつけの食堂の看板娘の登場に、俺たちは一様に笑顔になる。俺が通っていたのだから、当然ラスタも彼女とは面識がある。そして、ショーン・ハリューを連れて行った際に、チッチとラダもあの食堂にいたのだ。馴染みなのも当たり前だ。


「それが、聞いてくれよチェルシーちゃん。ラベージのヤツさ……」


 意気揚々と俺の恥をチェルシーに話すチッチ。まったく、他人事だと思いやがって……。


「へぇ、じゃあラベさん、まだハリュー姉弟のところに厄介になっているんだ」


 席についたチェルシーが、興味深そうにそう言った。彼女の父親の食堂も、今頃は酒場として営業しているはずだが、若い娘を夜の酒場で働かせるつもりはないらしい。あの落ち着いた酒場で、給仕に手を出すような輩がどれだけいるのかという話だが、まぁ、なにが起こるかわかったもんじゃないしな。ただ、それで遠ざけた娘が、こんな酒場に入り込んでしまっているところは、本末転倒な気もする。


「そうだな」


 俺が頷くと、チェルシーは興味深そうに話を続ける。その表情は、以前ショーン・ハリューに怯えていたときとは打って変わって、好奇の色に染まっている。


「あの【死神召喚騒動】以降、町での姉弟に対する見方も変わってきたよね」

「そらそうだ。変わらなきゃ、第二第三の【扇動者】が現れかねねえ。あの騒動で、町の商人連中はかなりの痛手を被ったんだ」


 俺が吐き捨てるようにそう言うと、うんうん頷きながらチッチとラダがそれに追随する。


「ハリュー姉弟に対して、八つ当たり紛いの敵意を表明する連中を、余計な火の粉を被るのはごめんと放置してきた結果、とんでもない大火の煽りを食らったんだ。二度目はごめんなんだろうさ」

「宿場町のアルタンにとって、治安の悪化は致命傷にすらなり得るからねぇ。大店連中はともかく、小さな商店主には店じまいを余儀なくされたところもある。そんな連中からすれば、暴徒どもなんざ仇敵も同然さね」

「もっといえば、町の連中も流石に、二〇〇〇人以上の規模の暴動になるだなんて思ってなかったんだろうぜ。少数派が、単にくだを巻いて不平不満を垂れているだけなら見向きもされなかったんだろうが、よりにもよって町の外から胡乱な連中を呼び寄せて、だもんなぁ……」

「そりゃあ、潮目も変わるさね。なにより、その【死神召喚騒動】で手を下したのは【白昼夢の死神】じゃなく、町の恩人でもある【陽炎の天使】だ。いよいよもって、ハリュー姉弟に対する態度が、恩知らずの誹りを免れ得ないものだと気付いたのかも知れないねぇ」


 チッチとラダが、互いに言い合いながらヒヒヒと笑っている。男女二人のパーティであるこいつらは、時折こうしてイチャ付くのが実に厄介だ。そこは【楡と葡萄ラヴァーズ】の連中にも通じる。

 こうなると、俺たちとしては肩身が狭い。どっか別のところでやれ。少なくとも、今日フラれたヤツの前でやんな。


「まぁ、みんながどう思ったかは私にはわかんないけど、ハリュー姉弟みたいにいたいけな子供に、よってたかって八つ当たりじみた真似をするのは良くないよね。実際問題、あの姉弟に暴徒に抗えるだけの力がなかったら、今頃年端もいかない子供二人がどうなっていたかなんて、火を見るよりも明らかだもん。そんなの、気分悪いじゃん」

「そうだな。あの騒動があんな形で落ち着いたのは、あの二人の力が【扇動者】の予想を超えていたってだけの話だ。戦闘力的な意味でも、人脈的な意味でも、な。そうでなければ、起こったのはもっと身も蓋もなく、唾棄すべき事態だったろう」

「そうなってたらそうなってたで、町内の雰囲気最悪だっただろうね。あと、その場合も、【扇動者】たちが呼び寄せた連中をどうすべきかって話になってたと思う」


 チェルシー、俺、ラスタは、チッチとラダを放置する形で話し合う。ラスタの疑問はもっともだが、そもそも【扇動者】連中はその点を考えていなかった節があるからな。アルタンの町など、どうなっても構わないという底意が、行動の端々から窺える。


「それと、これは噂なんだけどさ……」


 チェルシーが俺を上目遣いで覗き込みながら、おずおずと口を開く。その仕草はあまりにもコケティッシュだったが、流石にわざとらしすぎる。恐らくは、あえてそうとわかるようにしているのだろうが、傷心の俺には、あまりに目の毒だ。


「あのショーン君が人を殺し過ぎた影響で、お肉が食べられなくなっているっていう噂が出回ってんだけど、ホント?」


 ああ……。もうそんな噂が出回ってんのか……。ハリュー邸でも、主だった使用人以外には知られないよう、気を遣って隠蔽しているってのに。いやまぁ、ただの客分の俺が知っているんだ。いま、この町でもっとも注視されている姉弟の動向であれば、気付く者がいても不思議ではない、か。


「実際問題、これまでのハリュー姉弟って、町中で襲われても相手を殺すところまではやってなかったんだよね。ウチで襲われた際にも、誰一人として殺しはしなかったし。死んでたのは、ハリュー邸に攻め込んだ人ばかり。だったら別に、悪意敵意を向けなければ、そこらの不良冒険者なんかよりよっぽど安全な相手よね?」

「まぁ、そうだ。悪意敵意を向けるなら、誰に対してでも同じ事だしな」


 商人、衛兵、旅人、あるいは浮浪者や孤児相手であろうと、敵意に対する報復がないだなんて楽観する理由はない。俺はそんな当たり前の事を再確認しつつ、話を続ける。


「実際、付き合ってみれば、グラ様はともかく、ショーン様はかなり気さくな人柄だぞ。お前も知ってるとは思うが」

「たしかに。まぁ、そんな人間臭いところが噂になって、それまでのどこか本物の悪魔に対するような畏怖がなくなりつつあるのが、いまの町の雰囲気なのよ」


 どうやら、アルタンの町全体にハリュー姉弟に対する意識の改革が起こりつつあるようだ。これが、領主様のご尽力の賜物なのか、あるいは冒険者ギルドの努力の成果なのかは、俺にはわからない。だが、アルタンという町にとって絶対的なその二つの勢力が、本気で町の意識改革を行おうとしているのは事実だ。即ち、いずれ町全体の意識が変わるのは既定事項なのだ。その影響にあろうとなかろうと、結果は同じ事だ。


「そいつはいい事だ。俺も、あんな騒動に巻き込まれるのは二度とごめんだからな」

「それは、まともな町の住人は誰でも思っている事ね。それで? ラベさんはいつまでハリュー姉弟の厄介になるつもりなの?」

「うん? ああ、そうだな。まず、あの家の使用人二人を、一人前に育てる間は厄介になる」

「は? なにそれ? アンタ、何年もあのハリュー邸に住むつもりなの?」


 俺とチェルシーとの会話に割り込むように、ラスタが棘のある声をあげる。なんでこいつがこんなに不機嫌そうにしているのか意味がわからないが、それでも俺は彼女の勘違いを正す。


「いや、例の崩落跡に作られる予定の、作業員用宿舎が完成すればそちらに移る予定だ。なんでも、その建物に俺が斥候の技術を教える為の部屋を用意するつもりらしい」


 といっても、簡単な会議室のような『教室』との事で、俺が使用人に技術を伝授したあとでも、いくらでも利用法はあるだろう。ただなぁ、どうにもおかしな話になりつつあるんだよなぁ……。


「その施設で働くのは、以前のウル・ロッドとアーベンとの騒動であぶれた奴隷たちなんだが、そのなかから希望者にも斥候技術を教えてくれって話になってんだよなぁ」

「なにそれ? 何人もの奴隷に、お金をかけてまでそんな技術を付けさせて、なにがしたいの?」

「さぁなぁ……」


 ラスタの疑問に、俺も首を傾げつつ答える。

 だが、提示された給金は、命の危険がないというメリットを慮外においたうえでなお、なかなかの額だ。少なくとも一年を通して考えれば、しがない五級冒険者にとっては垂涎の的だろう。

 しかもこの件、冒険者ギルドもノリノリで資金を出している。それだけじゃない。出資者にはあの、ブルネン商会まで加わっている。

 俺以外の、引退した斥候も加えて、それなりに大きな事業にしたいらしい。冒険者としての花形はやはり戦闘職だと思うんだが、そっちはいいのだろうか……? いや、案外戦闘職も加えて大規模な教育機関を作るつもりなのかも知れん。

……それが金になるとは、とても思えないのだが……。


「なんにしたって、しばらくはそれに専念するしかない」


 そもそも、ウーフーとイミの二人を一人前に育てるのに、数年は要するだろう。それに専念できるにしたって、いまのラスタやカイルたちと同程度に育てるのだから、相応の時間を要するはずだ。

 元々引退を考えていたのだから、これを機に完全に冒険者からは足を洗う事になる。田舎に引っ込むのは、しがらみが増えすぎたいま、なかなか難しい。まぁ、畑を耕すノウハウもないのだから、ある程度生活の目途が立っているいまの方が、マシな状況だと思おう。……レタも身受けできなかったし、独り身で田舎に引っ込むと、一生結婚できなさそうだしな……。


「ちょっとぉ、ラベさん。なに暗い顔してんのよ! こぉんな可愛い娘を両脇に侍らせて!」


 酒精に赤く染めた頬で、右側から俺に絡んでくるチェルシー。まだ一杯目だろうに、もう酔っ払ってんのか……。


「ちょっと、アタシは別に、こんなおっさんに侍らされているワケじゃないわよ! むしろ、アタシがこいつを連れてんの! 憐れな中年オヤジをね! 感謝してよ!」


 左側からは、ラスタの怒り混じりの声がキンキンと響く。こいつも酔っ払ってんのかよ、面倒臭い……。

 侍らすもなにも、どっちも一回りも年下の、それこそ娘のような少女たちだ。手を出すワケにはいかんし、なによりラスタは俺の事を嫌っているのだ。こうして、一緒に酒を飲める程度には関係は改善したものの、パーティから追い出し、追い出された間柄だ。


 なにより俺は、二人のようなスレンダーな体型よりも、ケツがデカい女が好きだ。……はぁ……、……レタぁ……。



――四章 終了――

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