第135話 とある五級冒険者の……

 ●○●


 髭を剃った顎を一撫でしてから、ハリュー邸には普通にある鏡に映る自分の顔を、両手で叩いて気合を入れ直す。


「よしっ!」


 パンという小気味いい音が響き、俺は一張羅に袖を通した。

 今日は一世一代の大勝負の日だ。大事な仕事は昨日、すべて終えた。最悪の結果で痛飲する事になっても、明日も丸一日空けてある。大丈夫だ。いや、よそう。このタイミングで、ダメだったときの事を考えるべきではない。

 昨日は、ハリュー家の使用人であるウーフーとイミの二人に、俺の持ちる得る技術を叩き込むべく、基礎的な訓練を行った。

 ウーフーは、一見不真面目なようであったが、やるべき事はきちんとこなす。その態度では、ハリュー邸以外では使用人としての働き口は絶望的だろうが、人好きのする性格であり、俺も嫌いではない。ショーン・ハリューが、彼の手に職を付けておきたいというのも、わからない話ではない。わざわざ、自分の利を捨ててまでやろうとするところは、やはりわからないが。

 イミは逆に、生真面目なくらい真剣なのだが、いかんせんまだまだ幼く、いろいろと拙い。とはいえ、やる気は人一倍あるし、獣人特有の身体能力の高さの片鱗は既に見え始めている。

 二人の将来を思うと、ガラにもなく心が躍る。いったい、どんな冒険者になるのだろう。


「――って、いやいや。違う違う!」


 先の事を考えまいとしたら、どういうわけか昨日の事を考えてしまった。そうじゃない。いま考えるべきは、これから行うべき自分の行為に対してだ。

 俺は、何度目かになる気合を入れ直し、根が張ったように鏡の前から動こうとしない己の足を、渾身の力を込めて引き剥がす。それから、自分に与えられている客室のドアを開けた。廊下を歩きつつ考える。

 あんな騒動があったあとも、どういうワケかハリュー姉弟は俺を客分として扱い続けた。一番の理由は、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】とハリュー姉弟との関係が、とうとうウル・ロッドに知られてしまった為だ。その為に、俺やラスタたちは、一旦ウル・ロッドファミリーの事務所にまで呼び出されて、釈明を行うハメになった。

 あのときはホント、寿命が縮む思いだった……。いい歳して、本当にチビるかと思ったぜ……。普段生意気なカイルだって、借りてきた猫どころか、狩ってきた爪猫のように大人しかった程だ。

 事情説明の為に、ショーン・ハリューがジーガを貸し出してくれたのだが、嘘偽りなく事情を説明すれば、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】はバカ丸出しだし、俺は不実でしかない。当然、なんらかの形で報復を、という流れになったのだが、ハリュー姉弟からの要請でお咎めなしとなった。

 今回の騒動で、俺とラスタは勿論、どうやらランまでもがハリュー姉弟側として動き、結果としてハリュー姉弟にもウル・ロッドにもメリットがあった為との事だ。なお、カイルとラーチはギルド側で罰の労役が課される為、それでいいという話になった。パーティメンバーと元パーティメンバー五人の内、二人の責任を取らせる為だけに動ける程、彼らも暇ではないらしい。

 まぁ、実際問題今回の一件で、ウル・ロッドにはなにも迷惑はかけていない。問題は、ハリュー姉弟の威光にケチが付きかねない真似なのだ。そのハリュー姉弟側が問題ないといえば、ウル・ロッドも強情を通すわけにはいかなかったのだろう。

 俺がいまもハリュー邸に厄介になっているのは、俺たちの関係が上辺だけではなく、いまも良好である事を示す為であり、ウーフーとイミの二人に技術を伝授する前に消えてもらっては困るからだ。


「ああ、クソ。そうじゃないそうじゃない……」


 どうしてか、こういうときに限って、別の事をに思考が逃避する。俺は籠一杯に紫紺の花を売っていた花売りから、籠ごとその花を買う。銀貨が飛んだが、まぁヴォスター銀貨だったので、そこまで惜しくはない。


「よっしっ!」


 俺はその立派な建物の前に立ち、本当に何度目かもわからない気合を入れ直してから、ドアをノックした。


「はい。当イシュマリア商会に、なにか御用でしょうか?」


 奥から出てきたゴツい男に、俺は思い切って口を開く。


「レタの身受けの件で、お話に伺いました!」


 そう、今日は一世一代の大勝負の日だ。


 ●○●


「だははははははははははははははははは!! そんで、そんで? どうなったんだ!?」

「どうなるもなにも、こうなってんだろうがよ!」


 俺は投げやりに木製のジョッキをテーブルに打ち付け、チッチに吐き捨てた。騒がしい店内では、そんな俺に注意を払う様子すらなく、酔漢たちがわいわい騒いでいる。

 あの獅子アリダンジョンを隈なく探索し、目ぼしい宝箱と、ついでに残っていたアリモンスターを根絶させて戻ってきたチッチとラダと、たまたま会って合流したラスタを相手に、俺はくだを巻いていた。


「フン。しょうもない。要は、元々そのレタって女には別にも贔屓がいて、そっちが既に身受けしていたって話でしょ」


 ラスタが身も蓋もない形に、俺がアホ面ぶら下げてイシュマリア商会の門を叩いたあとの話をまとめる。そう。簡単にいえば、それだけの話だ。レタはどうやら、一連の騒動で俺がバタバタしている間に、別の誰かに身受けされていったらしい。それだけである……。

 門番は、同じような状況に慣れていたのだろう、優しげな顔になり、ポンポンと肩を叩いてから、事情を教えられるところまで教えてくれた。

 町に暴徒が溢れて治安が悪化していた頃に、レタが町中で暴漢に絡まれる事件があったそうだ。そこに、相手の男が現れて、颯爽と彼女を守ったらしい。その男というのが、常より彼女を贔屓にしている男でもあり、お互いの合意と、なにやら最近男の方も出世したとやらで、とんとん拍子に身受け話に至ったようだ……。

 流石にそれ以上の事情は、他聞を憚るという事で、門番も口にしなかった。相手の男が誰かすらもわからない。まぁ、当然か。逆恨みするようなヤツがいないとも限らないしな。


「ああぁー……、なんでだよぉ……。……レタだって、身受け話には乗り気だったんだぞぉ……」

「そりゃアンタ、ここ最近の自分の状況を整理してみなよ?」


 レダに言われて、酒に鈍った頭で思い返してみる。


「えーと……、まず【金生みの指輪アンドヴァラナウト】を辞めた」

「ギルドからの依頼で、ハリュー姉弟の教導役になる」


 俺の言葉に、チッチが続く。こいつはどうやら、笑い話にしつつも、俺を慰めてくれる様子がある。ただし、女組二人はあまりそういう気配はない。というか、どういうわけかラスタが非常に不機嫌なのだ。


「次に、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】がハリュー姉弟と揉める。ここで、イシュマリア的にはマイナス一点。そこでハリュー姉弟と【金生みの指輪アンドヴァラナウト】に関係ができたせいで、先のパーティ脱退騒動もマイナス一点」


 レダのセリフに、その原因たるラスタが気まずそうに目を逸らした。アレは、彼女にとっても痛恨事だったのだ。反省したいまなら、己の振る舞いがいかに痛々しいものだったか、わかっているのだろう。


「次に、新たなダンジョンの発見とその討伐。これはプラスだ。評価的にも、財布的にもな。ただし、公表されてないから、まだイシュマリアも知らないんじゃないか?」


 まるでフォローするようにチッチが言うが、それに対してもラダは首を振る。


「だが、その依頼も途中で投げ出して、アタシらよりも稼ぎはイマイチ。本来プラス二点だったところを、精々プラス一ってところさ。そして、知らなきゃ結局、プラマイ〇だね」


 せっかくのチッチのフォローが水泡と帰す……。まぁ、たしかに自分でも、アレが冒険者として正しい判断だったとは思っていない。それなりの報酬にはなったが、結局のところそれなりどまりだ。その分、この二人はたんまり儲けた事だろう。


「で、極め付けがハリュー姉弟に対する不誠実な対応。これでもう、イシュマリアとしてはマイナス一〇〇点~一〇〇〇点だね」

「それまでのポイントの意味よ……」


 ラダの身も蓋もない採点に、思わず肩を落としつつそうこぼす。ただまぁ、言わんとしている事はわかる。

 なにより俺は、ハリュー姉弟とイシュマリア商会が共同で事業を手掛けており、懇意であるのを知っている。しかも、アマーリエ夫人は俺がレタの贔屓であるという事も知っていたのだ。当然、俺の身辺を調べるくらいの事はするだろう。ハリュー姉弟との関係なんて、特に念入りに調べていてもおかしくはない。


「……でも、あの騒動で俺は、完全に姉弟側に立って動いたんだぞ?」

「イシュマリアからすれば、立場もハッキリとしない、その身柄もどうなるかもわからないアンタに対して、高い評価なんてできなかったんだろうさ。実際、ウル・ロッドとも揉めかけたんだろう? 新たに現れた身受け先の話が、いまのいままで伝わっていなかったのも、その証拠さね?」

「……そうだな……」


 言い訳をするなら、事後処理に忙しく、またハリュー姉弟に対する償いで、新たに二人の教導を始めた結果、最近はずっとバタバタしていたのだ。そのせいで、女を買っている暇すらなかった。その結果が、コレだ……。

 残ったのは、それなりの報酬と、この町で一番敵に回しちゃならない姉弟との、微妙な関係……。ギルドからの評価も微妙だ……。まぁ、ハリュー姉弟とのつなぎにしたかったギルド側からすれば、この結果は満足のいくものではないだろう。


「ホント、なにやってんだろうなぁ……」


 思い返せば思い返す程、自分が下手を打ったのだと実感する。

 やり切れない思いを発散するように、俺はジョッキを呷ると、ごきゅごきゅと喉を鳴らす。


「……ごめん……」


 ある意味原因ともいえるラスタが、肩身の狭そうな様子で謝る。少しだけ意表を突かれた俺は、苦笑してからガシガシと頭を撫でる。


「や、やめなさいよ! ホント、そういうところよ、アンタ!」


 ギャーギャーと騒ぐラスタに構わず、俺は酒をお代わりした。そのタイミングで、声をかけてくる者がいた。



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