第67話 苦い煙

 ●○●


 久しぶりに葉巻の細巻きに火を付けた。そういう気分だったのだ。

 薄暗い洞窟に、ぽぅと煙草に火が灯る。ヒカリゴケの赤黒い不気味な光の空間に、私の吐いた紫煙がくゆる。


「セイブンさん!」


 そこに、冒険者の一人が駆け込んできた。


「やはり、他の【雷神の力帯メギンギョルド】の方々との連絡は取れません! 彼らが向かった方向には、大量のモンスターが群れており、こちらとは完全に分断されているようです!」


 焦ったように言い募る冒険者に、私は感情を表に現さずに「そうですか」とだけ答えた。蜘蛛の糸のように立ちのぼる葉巻の煙を眺めつつ、暫時黙考する。

 その様子が深刻そうに見えたのか、報告を告げたあとも立ち止まっていた冒険者は、私を励ますように力強く言う。


「大丈夫です! 彼らが拠点を離れてから、たった一日。向こうもこちらを目指しているでしょうし、一〇〇人くらいの救出部隊を編成すれば、すぐに追いつけますよ!」


 たしかに、セオリーを考えるなら、敵に包囲された際には撤退を選ぶだろう。はぐれたのがフェイヴ、シッケス、ィエイトの三人だけなら、まずそうしているはずだ。

 だが、この状況で彼らと我々を分断したのは、あまりにも意図的だ。だとすれば当然、我々と彼らの合流は向こうも阻止したいはず。まず確実に、その間に配されたモンスターの密度は、かなりのものになっているだろう。その選択は、わざわざ相手の手の平のうえに飛び込むようなものだ。

 もしも、セオリー通りに彼らが動いていれば危険だし、合流まで体力は持つまい。こちらも、かなりの犠牲を覚悟しなければならないだろう。幸い、彼らには知者のダゴベルダ氏がいる。危険を察してくれているのを祈る他、いまはできる事はない。


「……別方面のモンスターの様子はどうなっています?」

「この集積拠点の近場では、モンスターの姿は完全に消えてるそうです。たぶん、そっちに回されたんでしょう」

「深部に向かう順路方面の情報はまだ集まっていませんか?」

「そっちはまだ……」


 まぁ、そうだろう。もしも調査隊が帰ってきたなら、真っ先に私に報告が届くはずだ。

 指先に微かな熱さを感じて、随分と煙草が短くなっていた事に気付く。久しぶりの細巻だったというのに、勿体ない……。惜しみつつ灰を落とし、最後に煙を吸い込んだ。

 紫煙が、スーッと肺を侵していく。その煙に蹂躙される感触が、しかしムカムカする胸のヘドロのような思いを浄化してくれているようだ。緊急事態にパンクしそうな頭を、それでもクリアにしなければならないこの状況においては、実にありがたい。

 地面に捨てた細巻を踏み消し、気を取り直した私はその冒険者に今後の方針を告げる。


「調査隊が帰還するのを待ち、進行方向の状況次第では、攻略を優先します」

「セ、セイブンさん、それはお仲間を見捨てるって事ですかい!?」

「見捨てるつもりはありません。だからこそ、迷宮の主に向かうのです」

「へ?」


 ショーンさんなら、ここまで話せばこちらの意図を察してくれるだろうが、流石にただの冒険者に同程度の理解力を求めても仕方がない。私は丁寧に、冒険者に理由を話す。


「彼らにダンジョンのモンスターの多くが差し向けられたのならば、自然とその他の場所にいるモンスターの層は薄くなっているはずです。であるならば、一気にバスガル方面に延びている通路付近まで占領してしまえば、攻略のイニシアチブを奪えます」


 このダンジョンは三層で構成された、洞窟型のダンジョンだ。モンスターはそれなりに多いものの、トラップは少なく、暗くはあるが探索そのものは容易な部類に入る。

 モンスターの数も、比較的少ないといっていい。本拠地から離れている為だろう。こちらにとっても、不意打ちの危険が減るのでありがたくはあるのだが、この隘路は防衛側にも利点は多い。

 領主の調査隊やフォーンたちが調べた限りでは、バスガルのダンジョンとこのダンジョンの間には、まっすぐと伸びる一本道の通路しかない。領主の調査隊は、アルタンの町とバスガルのダンジョンとの間で、マジックアイテムを用いて調査を行い、地下にダンジョンの存在を確認している。

 ただ、それが本当に通路なのか、バスガルのダンジョンとつながっているものなのかといった、細かいところまではわかっていない。本来、ダンジョンの発見に用いられるマジックアイテムである。詳細な情報を得るのは、機能に含まれていないのだろう。

 なので、そこは冒険者の出番である。幸い数日前、フォーンたち調査隊が、その通路を目視で確認している。ヒカリゴケがあっても、どこまで延びているのかわからない程に、延々と直進する通路だったそうだ。

 我々は、それがバスガルとこの町の地下に現れたダンジョンとをつなぐものであると確信した。

 ダゴベルダ博士やショーンさんが懸念していた【貪食仮説】が、もし仮に真実だったとしても、その通路さえ押さえてしまえば、最悪の事態は避けられる。ダンジョンの主は、ダンジョンを操る際にはその付近にいなければいけない。それは既に、多くの事例が確認されている事実だ。

【貪食仮説】がどのようなものであれ、それを行う際にはダンジョンの主がこちら側にいなければならないはずなのだ。故に、その通路を味方の勢力下におければ、この戦いは勝ったも同然なのだ。


 そう……。たとえ、はぐれた彼らが全滅したとしても、だ……。


「我々がバスガルとの間に延びる通路を押さえようとしているとわかれば、当然ダンジョンの主もそれを阻止しようとするでしょう。その為には、フェイヴたちに差し向けたモンスターのリソースを、こちらに戻さねばならない。そうすれば……」

「なるほど、向こうのモンスターの数を減らせるって事っすね!」

「はい」


 リソースの配分は、いかにダンジョンのモンスターといえど有限だろう。あの三人に加え、ダゴベルダ博士とハリュー姉弟がいるようなパーティを、片手間で相手にするなど、どれだけの手駒があったとしても難事も難事。まず上手くはいかない。

 おまけに、こちらを舐めて向こうに比重を傾け過ぎれば、本当に通路の出入り口を占拠してしまえばいい。巨大な袋小路と化したこのダンジョンから、モンスターを一掃できれば、それでも結果的に彼らを救えるだろう。

 ここで一番してはいけない行動は、後手後手に回る事だ。今回の事件では、大局的には何度も後手に回ってしまった。その結果がいまだ。

 だが、現場レベルの話であれば、本来の私の領分。ダンジョンの主をキリキリ舞いをさせてやる。


「セイブンさん! 調査隊が帰還したようです!」

「そうですか。では、行きましょう。一刻も早く情報を聞きたいですから」


 そう言ってから、一度だけショーンさんたちがいるであろう方向に顔を向ける。当然そこには、ゴツゴツとした岩肌に赤いヒカリゴケが生える壁しかない。

 その壁の向こうで、いまも戦い続けている仲間たちを思い、それでも戦局を鑑みて直接助けに行けない状況に歯噛みする。

 彼に語った話は、嘘ではない。大局的にはこれで正しい。だが、それはあくまでも、彼らが持ちこたえられるのが前提だ。そして、アルタンの町に住む人々の命と、六人の仲間を秤にかけて、後者を選ぶわけにはいかないのだ。


 数瞬で思いを断ち切った私は、気合を入れ直して歩き出した。



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