第98話 多数決の暴力

「貴殿は……、ええっと名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「フェ、フェレンツィでございます……」


 ああ、そうそう。たしかそんな名前だった! なんかスッキリ。

 エスポジートさんの問いに、使者の男は深々と頭を下げて答える。その態度は、僕らに相対したときと違い、卑屈なまでに慇懃なものだった。

 やはりこのエスポジートさん、めちゃくちゃ身分の高い人なのだろう。誰でもいいから、彼女の肩書きを教えてくれないかな? 当人に聞いても、いまの自分はただの騎士と言い張るだろうし……。

 エスポジートさんは、真剣な表情のままに続けて問う。


「では、フェレンツィ殿。貴殿は、幻術の影響下におかれるという事の意味を、わかって言っておられるのですか?」

「も、勿論でございます。で、ですが、私はエスポジート様と違い、し、しがない使者にございますれば、げ、幻術を受けるのもこの場合、仕方のない事かと……」

「く……」


 エスポジートさんの表情に、苦いものが走る。彼女は、そのやんごとない身分から、幻術を使われるわけにはいかない。だが、フェレンツィはただの使いっ走りでしかない。


「ま、万が一私が操られ、姉弟が我らが陛下に危害を加えようと企もうとも、その牙が届く事はありません」


 フェレンツィが外連味なく評するように、彼に関与できる範囲でヴェルヴェルデ大公に妨害行為を企図しても、それで与えられる不利益など微々たるものだ。そして僕らは、交渉で嘘を吐き、幻術を悪用したとして、大幅に信用を失ってしまう。

 別に、ヴェルヴェルデ大公の信用を失うだけならば、僕らとてそれを躊躇う理由にはならない。だが、信用問題というものは、それだけにとどまらない。下手をすれば、ゲラッシ伯爵やジスカルさんとの関係にすら、悪影響を及ぼしかねない事態に陥る惧れがあるのだ。

 容易に犯罪に及ぶ可能性のある相手と、親密な付き合いをしたいという人間は、基本的には多くない。表の社会で、立場があればなおさらだ。デメリットが大きすぎる。

 対して、もしもエスポジートさんに施した幻術を悪用した場合、それが及ぼす被害は甚大だ。信用失墜のデメリットが、場合によってはメリットよりも小さくなるのである。


「……ッ!」


 同じような立ち位置でありながら、自分とフェレンツィでは駒としてのランクが違うのだと思い至ったエスポジートさんは、なにかに気付いたように、ハッとした表情を浮かべた。視線を背後の双子聖騎士に送りそうになり、しかしどうやらそれを理性で抑え付けたようだ。

 万が一僕の狙いが違った場合、こちらがそれに気付くきっかけになってしまうと考えたのだろう。だが残念。僕の狙いは、端からあなたではなく、その双子だ。


「フェレンツィさんは、こちらからの要求を呑む用意があるようですね。まぁ、安心してください。僕が求めるのは、僕ら姉弟に関する情報の秘匿と、みだりに悪評を流さない程度の事です」

「わ、わかった……。そ、その程度でいいのなら、約束する……」


 僕の提示した条件に、フェレンツィがオドオドしつつも、二つ返事で頷く。まぁ、ぶっちゃけチューバとかいう小男が死んでる現状で、大公側に僕らの情報など然して渡っていない。彼からすれば、思っていた以上に軽い条件であり、一も二もなく飛び付きたくなるだろう。

 だが、同条件で教会側が頷けるかというと……。


「…………」

「ふむ。その程度の条件であれば、たしかに常識の範疇だな。しかし、本当にそれだけでいいのか? 暗殺未遂という被害を考慮すれば、なにか形に残る謝罪の証を求めた方が、君たち姉弟にとっていいと思うのだが……」


 押し黙ったままのエスポジートさんに気付いていないように、タチさんが要求の少なさに苦言を呈してくる。

 それでは、大公側に対する制裁にならない、という意味の苦言だろう。彼はこの場では、一応は中立な立ち位置を示している。そんな立場から見ても、僕の要求はあまりにも過小に見えるという事だ。

 タチさんの表情には、謙虚であると褒めるような色は微塵も見てとれない。むしろ未熟者の愚行を止めようとする、大人らしい老婆心が窺えた。

 それもそのはず。タチさんが言いたいのは、舐められたら、相手は何度でも繰り返してくるぞ、という事だ。最低限の掣肘として、相手に多少なりとも『痛い』と思わせなければ、制裁としての意味がないのだと。

 だが、正直アルタンの僕らのダンジョンに侵入するなら、暗殺者など何度来られても構わない。既に、僕らのダンジョンは、マフィアを主要な栄養源とする、以前の状態には戻れない。故にこそ、ダンジョンの領域を広げているわけでもある。

 それでもなお、表玄関たるアルタンの町の僕らの屋敷から侵入してくれるなら、暗殺者さんたちは諸手を挙げて歓迎したい鴨葱だ。

 それに、こちらから大公側に求めるものなど、特にないのだ。強いていえば、お金はあればある程いいが、DPとどちらがいいかと聞かれれば、当然後者になる。


「まぁ、それで調子に乗って愚行を繰り返してくれるなら、今度こそその心胆に氷柱を差し込んであげますよ」

「……ッ」

「ふむ。そうか……。まぁ、君がそう言うのであれば、こちらからはこれ以上余計な口出しはしない。この場での私の役割は、仲裁であり一勢力に肩入れするわけにはいかぬからな。して、教会側はどうするのでしょうか?」


 努めて満面の笑みを湛えて放った僕の言葉に、フェレンツィが青い顔で肩を震わせる。対するタチさんは、仕方がないとばかりに肩をすくめるにとどめ、それからエスポジートさんに水を向ける。


「…………」


 だが、それでもなお彼女は、眉根に皺を寄せた難しそうな顔で、沈黙を保っていた。


「エスポジート様が幻術をお受けになれないというのは、こちらとしても理解しています。ですからどうでしょう? ここは、多くの僕らの情報を有している、そちらの二人に幻術をかけるというのは。彼女たちが話さないのであれば、情報の秘匿においては十分かと思いますが」

「はぁ……。やはりそうなりますか……」


 僕の提案に、大きく嘆息しつつそうこぼすエスポジートさん。


「エスポジート様、どうなさいますか? 大公側は、この条件で構わないとの事ですが、あなた様ではなくそこな【甘い罰】の二人でも構わないという、この譲歩案も拒否なさいますか?」


 まるで勢子のように追い立てるタチさん。一応中立である彼の立場からすれば、やや踏み込んだ問いだっただろうが、嫌だ嫌だと首を振るばかりの相手に、審判が多少辛辣になるくらいは仕方がないだろう。

 ただでさえ、僕からはなにも求めていないに等しい条件を提示しているのだから。

 やがてエスポジートさんは、なにかを諦めたかのようにため息を吐いてから口を開いた。


「仕方がありませんね。その条件を呑みましょう」



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