第21話 洗練と進歩

 ●○●


「ああ、これはちょっとマズいか……」


 最初に気付いたのは、斥候のチッチさんでも、その見習いであるイミやウーフーではなく、僕とグラだった。二人で顔をあげた先にあるのは、ただの森だ。静かで薄暗いその林の奥には、まるで何事もないかのような沈黙が蟠っている。

 グラはともかく、僕までも気付いたのは、いい加減この手の連中の相手に慣れ切っているからという理由だ。


「ショーン様、どうしたん――ッ!?」


 最初は気付かずにこちらに問いかけてきたチッチさんだったが、即座にの気配を感じ取り、ラダさんに合図を出す。さらに一拍遅れて、イミとウーフーも不穏な気配に気付く。


「イミ、ウーフー、今日は君たちの戦闘技能は視察の対象外だ。グラのところまで下がっているように」


 指示を出すと、二人は素直にそれに従って、まるでグラを守るようにその両脇に待機する。そして、僕は代わりに前に出る。

 正直、対応するのは僕でもグラでも、どっちでも良かったのだが、どうせならと役割を買って出た。グラもグラで、その事に不満もないとばかりに、軽く嘆息して任せてくれた。


「コソコソ隠れてないで、出てきなよ。もう絶対、不意打ちなんてできないんだからさ」


 街道沿いの森林に向けてそう声をかけるも、反応はなし。ちょっとグラの方から、ピリピリとした空気が伝わってくる……。勿論、こんな場所で時間を取られるわけにもいかない。

 僕は嘆息して首を振ると【僕は私エインセル】を振るった。


「まったく、面倒臭い……。【黒神チェルノボーグ】」


 ●○●


 ショーン・ハリューが心底つまらなそうに詠唱すると、無数の骸骨の軍勢が現れ、我先にと森林へ突入していく。なるほど、これが噂の『夜の軍勢』か……。

 酒場でも噂になる、ショーン・ハリューの手管の一つ。幻の軍勢と、本物の死霊騎士が入り混じる、夜を呼ぶ死者の軍団……。


「ま、今回は過程は省略っと――ブギーマンがくるぞー」


 ショーン・ハリューは適当にそう言うと、夜の軍勢が突入した森に、バラバラとなにかを投げ入れる。直後、幾人もの悲鳴が森中に木霊し、立木の向こうのを、大きな影がのたうっているのがわかった。

 夜の軍勢の情報に、そのような存在などない。正直、情報屋としてはそれがなにかもたしかめておきたかったが、同じく情報屋としての勘が、深入りは禁物だと強く警鐘を鳴らしていた。これ以上足を踏み入れれば、森の奥に潜んでいた曲者どもと同じ末路を辿るのだと。

――と、そこで数人の男が、這う這うの体で森からまろび出てきた。十中八九、ハリュー姉弟を殺そうと、どこかの誰かが送り込んできた暗殺者だろう。そうでなかったところで、山賊かなにかだ。

 森林に潜むこいつらから感じた独特な害意。あんな気配を放つ連中が、ろくな者であるはずがない。ハリュー姉弟が、屋敷から出てきたのを幸いと、寝込みでも襲う算段だったのだろう。

 男たちは、逃げも隠れもできぬと、やぶれかぶれにショーン・ハリューに襲い掛かろうとする。元より、サイタンの英雄と正面切って戦えないから、先程の挑発にも応じなかった連中だ。まず間違いなく、ショーン・ハリューが勝るだろう。

 だが、死兵となった間者が四人。万が一も考えて、グラ・ハリューを見る。彼女が参戦する用意があるなら、あっしらも戦いに加わるのもやぶさかではない。だが、実の弟が襲われているというのに、グラ・ハリューは特に心配するそぶりすら見せず、泰然とその光景を眺めていた。


「【我々は塵であり、影であるプルウィスエトウンブラスムス】」


 ガラスを打ち鳴らしたような、ショーン・ハリューの厳かな声に、慌ててそちらを見る。杖を水平に構えた彼は、間者らの事など一切意に介さぬとばかりに、虚ろな表情で続けざまに唱える。


「【影塵術・深潭しんたん】」


 次の瞬間、間者とショーン・ハリューの五人が、ドーム状の黒い空間に呑み込まれる。そして、ものの数十秒でそのドームは、塵のように消え去った。残っていたのは、なにか大きなモンスターに食い千切られたような骸。未だにメラメラとあちこちが燃えている骸。大きな蛇に締め上げられたように、体のあちこちがあらぬ方向に向いている骸。そしてこれが一番惨い、体中をなにか小さな生き物についばまれたような傷だらけの男……。

 そう、こいつだけはまだ生きていた……。だが、もう長くはあるまい。


「さ……か――」


 なにかを言いかけた間者の脳天に斧が振り下ろされ、かろうじて燻ぶっていた命の灯が、その土台ごと破壊される。その斧の持ち主が誰かなど、いまさら問うまでもない。

 あっしとラダは、なにも見ていないし、聞いていないとばかりに、周囲の森へと目を向けた。

 やべぇやべぇ……。正直、以前のショーン・ハリューにはまだ子供特有の甘さが窺えたのだが、いまの彼にはそういう緩さが感じられない。その分、どこか張りつめているような印象も受けるが、戦に参加した事で一皮剥けたか、あるいは別の要因か……。間違いないのは、以前よりも確実に強く、そして容赦がなくなっている点だ。


「終わったようですね。森にいた連中には、生き残りもいるでしょうが、どうします?」


 まるで何事もなかったかのような態度で、グラ・ハリューがショーン・ハリューに歩み寄りつつ問いかける。実際、彼らからすればこの程度の襲撃など、日常茶飯事なのだろう。

 暗殺者の気配に、あまり索敵能力の高くない彼らが真っ先に気付いていたのも、彼らがその襲撃に慣れていたからだと思われる。


「問題ないさ。まず無傷じゃないだろうし、あの程度の実力の連中が、安穏としていられる程、パティパティア山中は安全な場所じゃない。再集結して、今夜にでも襲ってくるなら、今度こそ夜の【黒神チェルノボーグ】をお見舞いしてやればいい」

「次は私に譲ってください。こちらも、実験しておきたい術式があります」

「むぅ……。まぁ、仕方ないか……。幻術は人体実験でしか、まともなデータが取れないってのに……」

「最近は、我らの工房まで忍び込んでくる、無鉄砲で勇気ある暗殺者も減りましたからね。検体の確保は頭の痛い問題です……」


 恐ろしい事を言い始めた姉弟の言葉を遮るように、あっしはショーン・ハリューに疑問を訊ねる。正直、この二人が世間話がてらポロッとこぼした情報が、こっちの命に関わるような情報だったら困る。


「こ、こいつらから、情報とか取らなくて良かったんですかい? せめて、持ち物でも調べましょうか?」

「んー……。別にいいかな。たぶん、ろくな情報も持ってないだろうし、身元がわかるような物も持っていないだろう。逆に、たしからしいものを有していたら、こっちを誘導する為のフェイクだと思うね」

「な、なるほど……」


 ショーン・ハリューの言葉に、それはその通りだと頷く。それ以上に、姉弟の会話を遮られたと思ったのか、背後からビシビシと伝わる敵意が痛いが……。


「刺客を差し向けられる覚えは?」

「いやぁ……、正直ありすぎて特定できないとしか……。お恥ずかしい」


 そう言って苦笑するショーン・ハリュー。実際、彼らを排除したい連中の数は、片手の指では足りまい。

 先日の戦の件もあり、既に彼らは第二王国の有する軍事力に、大きく携わる人材だ。それはつまり、彼らを排す事ができれば、第二王国の大きな戦力ダウンを図れるわけだ。

 それだけで、どこの誰から刺客が差し向けられてもおかしくない立場である。


「さて、では行きましょうか」


 使用人の二人が、街道に残っていた骸を森に捨ててくるのを待ってから、ショーン・ハリューが言う。本当に、然してなにもなかったとでも言わんばかりの態度であり、二人の使用人すら気にする素振りを見せずに、探索に戻った。

 もしかしたら、ハリュー姉弟に関わりすぎると、認識が常識から外れていってしまうのかも知れない……。気を付けよう……。



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