第36話 小さな洞窟の救世主

 ●○●


「ダメだケーシィ! このままじゃ完全に囲まれちまう!」

「クソが! 雑魚ばかりのくせに、厄介な真似をしやがって!」

「道を変えるぞ! はぐれるなよ!?」


 俺とケーシィの二人が、このダンジョンに入って三日目。一層は一日目に抜け、階段を降りて二層目を踏破したのが今日の、恐らくは昼頃の事。

 一見すると、それまでと変わらず鬼系ばかりの洞窟のようだった。だが、明らかにモンスターどもの動向が変化した。

 少数の隊伍で、こっちを誘き寄せようとするのだ。その誘いに乗ると、分岐の側で戦闘に至り、その分岐点からこちらの横腹を突かんと、小鬼や豚鬼といった隊伍が攻撃を仕掛けてくる。

 本能に飽かせて攻撃を仕掛けてくるわけではない。間違いなく、戦術に類する中、長期的、俯瞰的視点に立脚した行動だ。個々は取るに足らない雑魚ばかりだというのに、それが数を上手く戦術で補ってくると、流石に俺たち二人ではどうしようもない。

 情報収集も十分だと判断した俺たちは、すぐさま撤退を決めた。だが、とき既に遅し。鬼たちは退路を塞ぐように布陣しており、後ろに下がれば必然的に挟撃の状況に追い込まれた。


「いいか!? 大きく迂回して、進行方向側の敵からの距離を稼ぎつつ、その猶予をもって退路に陣取る連中を二人で突破する!」

「おう!! 全力で突っ込むぞ!!」


 敵が慎重に動いているのを利用し、挟撃に至るまでの間隙をできるだけ広く取り、その間に一方の陣に全霊を注ぎ、突破を図る。現状、袋の鼠と化した俺たちにとれる策など、限られている。撤退を主眼におくならば、これが最善手であると信じる他ない。


「クッソがっ!」


 だが、運の悪い事に退路の隊伍には、二層までにはいなかった大鬼が混じっている。小鬼や豚鬼とは比べ物にもならない強敵である。

 あれに手間取るようだと、結局後ろの敵に追いつかれ、押し潰されてしまう。


「ジョン! 大鬼は俺が相手をする! 突破を優先! すべての敵を倒す必要なんてないんだ!」


 ケーシィの発破を受けて、俺も気を取り直す。そうだ。ケーシィが大鬼の気を引いている間に、小鬼と豚鬼を片付けてしまえば、突破は可能だ。良く見れば、大鬼のいる隊だからか、豚鬼は二匹しかいないし、小鬼の数も少ない。

 いける!


「しゃァあオラぁぁあァァアア!!」

「かかってこいやァァ!!」


 俺たちは武器を掲げて、鬼の群れへと飛び掛かった。


 ●○●


 俺たちは、鬼どもの包囲をなんとか抜け、二層を一気に駆け抜け、一層にまで到達していた。魔石の回収すら放棄して、撤収に全霊を挙げている。

 二層は鬼の陣取りには恣意的なものを感じなかった。俺たちが通ってきた道を遡っても、それ程敵との遭遇率は高くなかった。だが、一層は明らかにこちらの逃走を阻む配置だ。

 俺たちが探索した道は、特に敵の層が分厚く配されており、場合によっては再び包囲されかねない状況。必然、俺たちは未知の通路を使っての逃走を強いられた。


「クソッタレ! なんなんだ、この執拗な襲撃は!?」

「ダンジョンのモンスターは、場合によっちゃダンジョンの主が意のままに動かし、群として人間こっちを狩り取りに来る! 恐らくこれも、その一環だろうな! チクショウ!」


 ケーシィの悪態に、逃走を続けながら応答する。応答しつつ悪態を吐くが、それで事態が好転するわけもない。

 良く考えれば、ダンジョンの主に近付けば近付く程、相手は危機感を覚えてこちらの排除に動く。上級冒険者ともなれば、それを当然のものとして跳ね返すだけの実力が求められる。

 上級冒険者パーティの頭数が多くなるのも、そう考えれば必然だ。


「クソ、キリがねえ……ッ!」


 三日月斧クレセントアックスで小鬼を一纏めに両断しつつ、疲労の滲むケーシィの声が聞こえる。もはや俺には、そちらを振り向いて彼の疲労度を勘案してやる余裕すらない。

 倒しても倒しても、雲霞のごとく押し寄せる小鬼の群れは、一向に減りやしない。一層には豚鬼や大鬼こそいないが、その代わり小鬼の数が多すぎる。下手に群がられると、いかに雑魚の小鬼といえど身動きを封じられて、縊り殺されかねん。

 その辺りは、下級の虫系に似た特性だ……。うんざりする……。


「ケーシィ! 探索距離的には、出口はもう間近なはずだ! 進行方向に向かって、一気に抜けよう!」

「よしきた! 形振り構わねえから、遅れんじゃねえぞ!?」


 言うが早いか、当たるを幸いに三日月斧クレセントアックスを振り回して強行突破を図るケーシィ。あとは、俺たちの体力がもつ間に、出口に辿り着けるのを願うしかない……。

 俺はケーシィの背に追い縋ろうとする小鬼どもを斬り捨てながら、天に祈るような思いでそう思った。


 ●○●


「ハァ……、ハァ……、ハァ……」

「グ……、ク……ソが……」


 俺たちは息も絶え絶えになりながら、小鬼の群れに囲まれていた。空気にはかなり緑の匂いが混じっており、出口が近い事は明白だ。

 一応は、俺の読みは当たっていたのだ。しかし――いや、だからこそというべきか、配されている小鬼どもの量が半端じゃなかった。

 その分厚い層を一気に突破するのは、流石のケーシィであろうとも不可能であった。これまで通り、力任せに突破を試みるも、次々と群がる小鬼に勢いは死に、限界を超えて消耗を続けた体力は、武器すら握れなくなりそうな程に、如実に顕在化していた。ケーシィなど、突破が不可能と見て三日月斧クレセントアックスを擲ち、腰の剣を抜いて周囲の小鬼へと対峙している。

 もはや、あの重量を把持しているのも困難なのだ……。


「ここまで……か……」


 浅い息の合間に、ケーシィの耳に届かぬよう、口の中で諦念の言葉を蟠らせる。流石にこれだけの小鬼を突破して、出口まで駆けるだけの体力は、俺にもケーシィにもない。よく、吟遊詩人たちが歌う、有名冒険者たちの最期の台詞『ここは任せて、先に行け』すら言えない。

 ここでバラければ、単に各個撃破をされるだけだ。俺たちは二人だからこそ、前後の警戒をできている。小鬼の襲撃が散発的なのも、こちらのこの状態を警戒しての事だ。


「ハァ……、ハァ……、ハァ……――あ?」


 そこで、前方を見ていたケーシィの声に困惑が混じる。肩越しに俺も前方を覗けば、小鬼たちの群れに変化が生じていた。

 具体的には、俺たちを包囲している小鬼の中に、別方向へと向かおうとしている連中が現れ出していたのだ。それも、時間が経つに連れ、その数は増え続ける。


「どう――なってんだ……、あぐっぅ!?」


 その光景に動揺し、隙を見せた俺に対して、小鬼の一匹が飛び掛かってくる。咄嗟に対処したものの、棍棒の一撃をいなし損ねて、太腿を強かに打ち据えられた。直後にその小鬼は首を半ばまで切り裂かれて倒れ、次の瞬間には霧になったものの、ダメージはしっかりと残る。ついでにいえば、棍棒だって残っている。

 別の小鬼がこれを拾えば厄介ではあるが、回収できる量にも限度がある。一応、こちらの武装を失った際の予備として、三層で小鬼の木槍をいくつか拾っている為、棍棒は放置せざるを得ない。

 こんな状態では、あとどれだけ持つ事やら……。


「お、おい、ジョン! ジョン!!」

「ハァ……、ハァ……、聞こえてらぁ。なんだい?」

「見てみろ! アレ!」

「バカ言うな。こっちゃそれどころじゃねえやい……」


 慌てるケーシィの言葉に、呆れつつもそう返す俺。斥候が足をやられちゃ、これまで通りの戦いなど望むべくもない。

 だが、そんな悲壮な覚悟など必要なかった。ケーシィがなにに困惑しているのか、すぐに俺にもわかったからだ。

――俺たちを包囲していた小鬼たち。その後ろ半分にまでもが、俺たちを無視して進行方向への移動を始めたのだ。勿論、そうしない者もいるのだが、その他大勢の波に呑まれて、強制的に移動されるか、最悪踏み潰されている。

 まるで、飢えた浮浪者どもの前で、銅貨でもバラ撒いたかのような騒動であり、俺たちは背中合わせのまま、その流れの中で踏ん張るしかない。俺の疲労を鑑みて、一時ケーシィが表裏をスイッチして対応してくれたが、進行方向からの攻撃があまりにも散漫な為、最後の方は俺も流れに抗う為に剣を振った。


 やがて、すっかり小鬼たちはその姿を消し、俺たちは暗い洞窟の中にたった二人で取り残された。なにがなんだかわからなかったが、それよりもいまは脱出が最優先だ。

 まごついていたら、またぞろ小鬼どもに包囲されかねない。ケーシィは放棄していた三日月斧クレセントアックスを拾い、俺に肩を貸して撤退を続けた。俺たちは、まるで小鬼たちの後を追うように、出口へと足を向ける。

 程なく、辿り着いたそこにいたのは――


「ああ! お二人とも、ご無事でしたか。どうやら【誘引ピラズィモス】を使うタイミングは、間違いなかったようですね」


 先程まで俺たちを囲んでいた小鬼たちは、真っ赤な魔石の山へと姿を変え、その上に漂う七色の霧の中に立つ、両手に斧を構えた少年。まるで町中で声をかけてきたような気楽さで、柔和に笑ってみせるショーン・ハリューだった。



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