第79話 断れない話

 ●○●


「は?」


 なにを言っているのだろう、この次期領主様は。僕はそう思い、アポも取らずに早朝から押しかけてきたディラッソ君の顔をまじまじと見る。

 いまだ、使用人たちはのままであり、午後用のお仕着せではない。一般的に使用人の服装というものは、午前中は汚れてもいい作業着であり、午後からは見栄えを意識したお仕着せとなる。

 これは彼らの業務が、基本的に午前は屋敷内の維持管理作業であり、午後はフットマンとしての役割が主になるからだ。勿論、例外も存在する。例えばザカリーは、掃除等の雑用には従事しない管理職である為、基本的に一日中執事服だ。ジーガもまた、渉外担当故に常に正装であり、午前中からあちこち出向いている。ディエゴ君は、ランプボーイとしての仕事や牧場での作業もある為に、その範疇ではないが。

 また、最近は義足で自由自在に歩けるくせに、たまに車椅子を使って町内を疾走しているキュプタス爺は、逆にずっとお仕着せではなく厨房用の白い作業服を着用している。食材の買い出し等で外に出る際に、私服や作業服などを着る。閑話休題。

 そんな、伯爵家からの来客を迎えるのに相応しくない格好の使用人たちにも、一切頓着する様子を見せずに、ディラッソ君は先の用件を繰り返した。その顔は、苦虫なら十匹は噛み潰しているような、これ以上ない渋面だった。


「王都より、君の呼び出しがかかった……」

「僕の呼び出しですか? グラじゃなく?」


 僕が問い返しても、ディラッソ君は渋面のまま無言で頷いた。おいおい、君たちのところにグラを仕官させたのは、こういうときに防波堤になってもらう為だろう? こっちに話を持ってくる前に、そっちでなんとかしてくれよ。なにをしているんだい、まったく。


「それは、応える必要がある話ですか?」

「…………」


 無言。つまり、断れない話、という事か……。


「…………。これが、ラクラ宮中伯閣下や我らも属している【王国派】からの内々の要請であったならば、いくらでも交渉は可能だった。だが、今回君を呼び出したのは……――」


 言いづらそうに言葉を濁らせたディラッソ君は、逡巡の後にその名を告げる。


「――マクシミリアン=ドラ・カゥスク・ズーデルベルン・エル・ボゥルタン殿下だ。つまり、王族だ。ご丁寧にモーラー伯爵からの添え状までついている。平民を呼び出す為のものとしては、やり過ぎな程に仰々しい正式な召喚状である」

「なるほど。それが、なんの予告もなしに届けられたと?」


 僕の問いに、変わらぬ渋面で頷くディラッソ君。なるほど、それは断れまい。

 事前の交渉がなかったとはいえ、手続きとしては一切の瑕疵なく、むしろ丁寧に召喚状を用意したのだ。これを、伯爵家が真正面から断る事も、握り潰す事も、王家に対する侮辱になりかねない。王族からの正式な命令に対して、真っ向から反抗するわけだからね。

 これが、伯爵家に対する理不尽な命令とかなら、反発しても周囲からの理解は得られるだろう。だが、平民一人を召し出す程度の内容では……。例えそれが、聖杯の製作者の片割れだったとしても、呼び出したあとで実際に危害を加えられてからならともかく、召喚状が届いたというだけではどうにもならない。


「帝国への抑えはどうするんです? 僕らがアルタンにいる事で、重石になっているという理由でお断りするのは?」

「王都での面会は今月から来月、遅くても再来月の事になる。この辺りは、君と先方とのスケジュール次第だが、先延ばしは向こうにつつかれる隙を晒す真似であり、余計な厄介事を招くだけだろう」


 まぁ、そうだろうな。普通に考えて、王族の予定に平民が合わせるのであって、こちらの都合で王族を待たせるなど、不敬罪で処刑されても文句は言えまい。急な呼び出しだからある程度融通は利かせられるだろうが、下手に先延ばしなどすれば、逆にこちらを指弾する材料にもなりかねない。

 それこそ、旧領奪還作戦への支障をこちらが生じさせた、などと指弾されて、ヴェルヴェルデ大公との離間に使われる可能性もある。ディラッソ君の言う通り、問題がより厄介な方向に進むだけだ。


「そして、正式に軍が動くのは農繁期を避けて、晩春から初夏になる。いま帝国が動けば、旧領奪還作戦の為に徴兵されている、第二王国軍全軍と真正面から戦う事になろう。まず動くまい」

「なるほど……」


 個人だからこそ、こちらはフットワークが軽く、あちらは軍だからこそ腰が重い。その性質を上手く利用された感じだ。後出しジャンケンのはずが、なぜか先手を取らされた気分だ……。


「確認しますが、そのマクシミリアン殿下って……」

「ああ。王位継承戦真っ最中の、劣勢であられる方だ……」


 ディラッソ君が言葉を選んでいるのが良くわかる。まぁね。いくら市井で『バカ王子』と呼ばれていても、次期伯爵がそれを口にするのは良くないからね。まぁ、僕は普通にそう呼ぶけど。


「非常に面倒なんですが?」


 素直に口にする僕に、ようやくディラッソ君の険しい表情が緩む。苦笑だが。


「わかっているが、流石に我々でも断れん。伯爵家からも人は付けるし、宮中伯閣下にもお願いする。なにかが起これば、相手が王族やモーラー伯爵であっても、伯爵家は君の味方に立つと約束する。書面に残してもいい」


 だが、いまこの召喚要請を断る事はできない、と。まぁ、それは流石に仕方がない。いくらなんでも、伯爵家が盾になるには、相手がデカすぎる。


「安心してくれ。これを機に、父上と僕が王都に出向き、正式にゲラッシ伯爵の爵位を継承する。此度の召喚のついで、という形でな。つまり、君の近くには父上と僕自らが侍る事になる。先方も、流石に真正面からゲラッシ伯爵家と事を構えるような真似はすまい」

「いや、平民の側に伯爵様と次期伯爵様が侍らないでくださいよ……。普通逆でしょに……」

「実態はそうなのだから、取り繕っても仕方あるまい?」


 まぁそうだけど。そこは普通に付き添いと言ってくれ。他にも、ゲラッシ伯爵家からはポーラさんが付けられるとの事だが、流石にそれは良くないのでは……? ゲラッシ伯当人、次期ゲラッシ伯のディラッソ君、その妹で個人的な武力なら伯爵家随一のポーラさんが、一度に領を空けても大丈夫なのだろうか?

 伯爵家家臣団内にも、結構なゴタゴタがあるようだし、誰もいない内にお家乗っ取り、みたいな事にはならないか? いや、まぁ、大丈夫か。ゲラッシ伯も、信頼できる人に後を任せるだろうし、その人が裏切らない限りは問題ない。

 それにしても、バカ王子と政治思想が頓挫した、斜陽の【新王国派】から呼び出しとは……。

 当然ながら、王都までダンジョンは延びていない。というか、そんな警戒の厳重そうな方面にまで巨大化させるメリットがない。だがそうなると、当然グラを連れていくわけにはいかない。

 ただでさえ、不穏な呼び出しなのだ。いざというときに、退避できるダンジョンがない場所には、できる限り彼女を赴かせたくはない。まぁ、依代なら、ワンチャン行かせてもいいのだが、本体は絶対にダメだ。


 つまり、必然的に別行動という事になる……。このあからさまにも思える分断は、誰かが意図したものか? 少し、警戒して事にあたろう。




 ——七章 終了——

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