第78話 極端な姉弟
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「ハリュー弟が病?」
ウィステリア・オーカーから送られた手紙に目を通し、首を傾げる。
オーカーからの手紙では、ただの
そこまで考えて、私は軽く口元を笑みに緩めた。死神だなんだといったところで、やはり姉弟はただの人間なのだ。その事に安堵し、一抹の不安を払拭する。
昨今の教会上層部においては、『ハリュー姉弟』という存在が肥大化しすぎているきらいがあった。サイタン郊外の戦いのインパクトが強すぎたか……。
「ふむ。ともあれ、ひとまずは予定通りだな……」
彼ら作るガラス器を買い求め、その技術力をたしかめつつ、利を与える事での和解を進める。これは、ヴェルヴェルデ大公が姉弟に対してとっている策の踏襲だ。
相手が人間ならば、道理が通じる。道理が通じる相手ならば、いくらでもやりようはある。神聖教という大きな組織であるならばなおさらであり、それは我らにとってお手の物だ。
「姉の方は伯爵家の家臣となったか……。あからさまに、こちらに対する防壁だな。だが、第二王国の貴族を使うという事は、政治の面からの介入を許す、という事だぞ? 本当に、それでいいのか?」
私はここにいない、会った事もない少年に問いかけるように独り言る。
「死神術式とやらの制限も、第二王国の戦力に組み込む事で守れたと思っているようだが、逆に我々のテリトリーに飛び込んできたようなものだ。王国上層部と我ら神聖教との取り決めでも交わしてしまえば、『伯爵家家臣』である間はもはや濫用はできまい。伯爵家を傘にするならば、我らはその傘の外に出られないように雨を降らせてみせよう」
支払う対価も大きくはなろうが、おかしな宗教観が蔓延する事に比べれば、ある程度の対価であれば安いものだ。どうせなら、早急にルートヴィヒ殿下との協力関係を構築しておくか。新王即位を盛大に寿ぎ、聖ボゥルタン王の後継者としての正当性を、教会として担保しておけば即位もスムーズに行えよう。
とはいえ、現状は既にルートヴィヒ殿下が即位するのは既定路線……。ここで後押しした程度では、大きな貸しになるかどうか……。
「旧王領奪還作戦、か……」
オーカーからのものとは別の報告書に目を通す。そこには第二王国王都にて、奪還作戦の為の壮行パレードが催されたという内容である。これから春だ。実際の戦は農繁期を避けて、早くとも晩春から初夏となるだろうに、気の早い事だ。
その報告書には末尾に、主流派から外れた派閥に不満が溜まり、先鋭化しつつあるという内容が記されている。
「いっそ、マクシミリアン殿下を――いや、それはない」
最近台頭してきたマクシミリアン派だが、血筋だけならばこちらが優位なのだ。ただそれを塗り潰してなお隠せぬ欠点が、彼のでくの棒殿下にはあった。故に、選定侯の力が強い第二王国は、これまで玉座の空位を選択した。
そこにいまさら、そんな盆暗を頂こうという派閥など作ったとて、どれだけの求心力があるというのか……。むしろ、愛想を尽かす連中の方が多いのではないか?
まぁ、斜陽の【新王国派】と箸にも棒にもかからぬ暗愚が、危機に際して手を取り合い、存続をかけているといったところか。どうにもならんな。利用価値すらない、ただの泥船だ。
我ら教会がルートヴィヒ殿下の正当性に疑義を呈し、マクシミリアン殿下をゴリ押しする、という事もできなくはない。だがそれをすれば、間違いなく第二王国内での教会の信用は失墜する。たわけ王子個人への影響力増大にはなろうが、第二王国の領袖からは、継承問題に横槍を入れられたと、評価はむしろ下落する。
こちらに槍の穂先が向かずとも、最悪の場合は内乱に発展しかねん。その場合、神聖教の東の盾であり異教徒たちへの鋭い矛たる第二王国は、見るも無残に劣化してしまうだろう。神聖教にとっても、第二王国には盤石であってもらわねば困るのだ。
「なにより、そこまでしてもまず勝ち目などあるまい。各選帝侯の意向を覆して、教会の意見を通す事など、第二王国の貴族らが許すわけがない。ふむ……。他派閥の者が蠢動せぬよう、ここは釘を刺しておくべきか」
小人は、己の頭の中で整合性が取れたと判断したものは、驚く程アクロバティックな案だろうと、良策と信じて疑わない。マクシミリアン派への協力は、利点だけ見ればたしかに良案に見えるかも知れん。
「だが、成算の低さと、それで得られるメリットがあまりにも小さい。そこまで労力を注入して、得られるのがマクシミリアン派の好感度だけというのが、なんともお粗末ではないか」
下手にマクシミリアン派に協力すれば、多くの選帝侯と、第二王国貴族の大半、そしてなにより、玉座の主となるであろうルートヴィヒ殿下に疎まれるだけだ。それでは影響力はむしろ低くなる。
まかり間違ってバカ王子の方が即位したところで、我らに傀儡にされて我慢できる程、聞き分けも頭も良くあるまい。【新王国派】の連中とて御せまい。それができるならば、これまでにも担ぎ出そうとする輩がいたはずだ。
結局は第二王国の屋台骨がガタガタになるだけで、神聖教にとっても第二王国にとっても益がない。それで喜ぶのは異教徒ばかりだろう。……あるいは、聖ボゥルタンに対する幻想と威光を、一切合切台無しにする事で新王国を構想しているのか? いや、流石にないだろう。
なんであれ、最強の矛と盾を互いにぶつけ合わず、敵に向けて構える事こそ最良の選択であるのは論を待たない。第二王国には、我らの矛と盾であってもらわねばならぬのだ。
彼の姉弟の首輪としても、な……。
「キトゥス司教座下、定例会議のお時間です」
「わかった。いま行く」
扉の向こうからかけられた、部下の言葉に返事をしてから、最後に直前で届いた報告書に軽く目を通す。だが、軽く流し読もうとした目が、思わず止まってしまう。
「ハリュー姉と【
思わず問いかけるが、当然この報告をあげた者はここにおらず、答えを持っている者もいない。わけがわからない報告書だが、できれば詳細が知りたい。
なにより、ハリュー弟の病とハリュー姉の敗北という情報がもたらす、教会への影響を考える。
「まずいな……」
これまで、無駄に肥大化した姉弟のイメージに対して、この二つの情報がもたらす影響は、あまりいいものではない。簡単に導き出せる感情は『侮り』であろう。迂闊な真似をする者がでかねない。
私ですら、ハリュー弟が普通に病に罹ると聞いて、普通の人間なのだと安堵したくらいだ。この二点を曲解して、ハリュー姉弟御し易しと捉えられては、彼らに対して良い感情を抱いていない連中が暴走しかねない。
「だがこれは……」
報告書から見るに、情報の隠蔽は不可能だ。弟の病も、姉の敗北も、隠し立てなどまったくされず、アルタンの町では周知の事実であるようだ。であらばこそ、良からぬ者の耳にも届こう。
「テラッヴォ枢機卿猊下に、強く忠告しておく他ないか……」
いやしかし、下手をすれば枢機卿猊下自身が姉弟を過小評価しかねん。そうなればもはや、歯止めなどかからぬ。
忘れてはいけない。姉弟の対応では共同歩調を取ると約したとはいえ、いまなお【深教派】と【布教派】の対立は続いているのだ。
「なぜあの姉弟は、やる事なす事そう極端なのだ……」
「司教座下?」
「すまぬ。いま行く」
いつまでも部屋を出てこない私を不審に思った部下の声に応え、未練がましく報告書を瞥見してから、私は執務室をあとにした。嫌な不安を胸に抱きながら……。
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