第77話 正しい殺人

「二番だ三番だつったが、結局のところ吾の言った事は、一番目の理由に帰結すんだ。すなわち『己を守る為』だ。それ以外の理由は、基本的に『正しくない殺し』だと思ってる」


 新たな酒を用意されたティコティコさんは、グラスの縁を舐めつつ落ち着いた口調で口火を切った。その後に、「まぁ、何度も言うが、正しくないから悪いと言うつもりも、悪いから絶対にやらないというつもりも、吾にはないがな」と笑う。僕もまた、軽くグラスに口をつけてから応戦する。


「それはわかります。自己防衛は、たしかに誰にも文句は言わせない殺人の理由でしょう。ですがそれは、どこまでも拡大解釈を許すようなものではないと、僕は思っています。少なくとも、単純な利害や怨恨、恋愛感情等々の末に、利己に紐付けるのは、屁理屈以外のなにものでもないかと」

「恋愛感情は正当な理由だろぉ? そこは別に、ウサギに限った話じゃねえ。只人だって、女を巡っての決闘なんて珍しい話じゃねえはずだ! 酒場に行ってみろ。毎晩一組は、女の事で殴り合ってんぜ!」


 ティコティコさんが抗議の声をあげるが、おどけているのが丸わかりの口調だ。僕はそれに嘆息してから、軽くグラスに口を付けてから肩をすくめて応える。


「僕はそれを、正当な闘争だとは認めません。たとえ、正式に法が許している決闘だったとしても、です。いっときの恋愛感情に流されて、自他の命を懸けるというのはあまりに軽率です」

「うーん。そこは相容れねぇところかもなぁ。吾は普通に、一時の恋情、あるいはただの情欲にだって命を懸けるし、邪魔するヤツの命なら奪う。吾はそれを、己を守る行為と定義して、なんらやましいところはねえ!」


 堂々と言い切られてしまうと正しいように聞こえるが、どう言い繕ったところでそれは、痴情のもつれによる刃傷沙汰でしかないと思う。正当化など、とてもできたものではないだろう。

 ただし、この件でウサギと言い合っても平行線でしかない。なにせ、ティコティコさんの部族とは決裂しているとはいえ、欲望のままに異性を貪る為だけに戦争を起こすような連中なのだ。


「話を戻しましょう。自己防衛の範疇に、どこまでを含めるべきか、です」

「先も言った通り、吾は己の雄を守る、あるいは手に入れる為のものは、自己防衛の範疇に含める。各々そこに含まれる範囲には差異はあるだろうさ。あとはまぁ、それを他者がどう思い、どう判断するかであって、己自身が納得しているなら、それがそのような理不尽な理由だろうと正当たり得る。だからこそ吾は、只人がウサギを恐れる事自体も否定はしねえ」


「ムラムラして八つ当たりはすっけどな」と付け加えるのを忘れない辺り、この人はある意味一本筋が通っているといえるのかも知れない……。


「その身勝手な理由に、自分の大事な者や、自分自身が巻き込まれてもですか?」

「――そこだ」


 僕の言葉に、ティコティコさんが鋭い口調で切り込んでくる。タンブラーを持つ右手の人差し指でこちらを指し、ルビーの瞳が僕の心の内を見透かそうとするように、揺れる光源を反射していた。


「そこ、とは?」


 身勝手な理由に、大事な人を巻き込まれたら、というところだろうか? そう考えた僕の予想は、完全に的外れだった。


「なんでオマエ、いま『大事な人』と『自分』を並べるとき、『自分』を後ろに回した?」

「え? い、いえ、特に理由はありませんよ?」

「嘘だな。というか、ずっと気になってたんだよ。そもそもオマエ、他の【雷神の力帯メギンギョルド】の連中から話を聞いたとき、この話題をそこまで掘り下げて聞いたか?」

「…………」

「聞いてねえだろ? だのに、吾にはやけに突っ込んで質問している意味を、自分自身で理解しているのか?」


 僕は……――


「そらぁ、フェイヴもセイブンもこの話題じゃアテにもならんだろうさ。アイツらは、生きる為に殺す、殺さなければ殺されるような社会で、幼少期を過ごしたんだからな。オマエの参考にはならん。フォーンに関しちゃ、アイツはいまさら一つの殺人に拘泥していられる程、生温い生き方なんぞしていない。アイツにとって、敵と判断した相手はモンスターも人間もないだろうし、それを殺す事に躊躇なんざ微塵もしない。吾ですら、アイツを敵に回すのは嫌だと思うぜ。アイツと一緒に、暗殺者集団の殲滅を依頼されたときの事は、正直思い出したくもねぇ……」


 それはそれで、ちょっと気になる話題だ。どう考えても突っ込んで質問するタイミングではないのだが……。


「シッケスは吾と同じアマゾネスであり、戦闘民族のダークエルフだ。殺人に関する心構えなんぞ、成長とともに自然と定めていただろう。言っとくが、吾らウサギは犯す為に戦うのであって、アイツらみてぇに戦う為に戦うような輩よりかは、幾分マシだと思ってる。いやまぁ、大差のねぇ木の実の背ェ比べといわれりゃ、それまでだがよ……。ィエイトのヤツも、まぁ壮絶な幼少期に加えてエルフだからな。只人とは、感覚が違ぇ。あとは誰だ? サリーか? だがアイツも、基本的にものの考え方は貴族のそれだ。人の上に立ち、人を数として捉える類の生き物であり、十の為に一を殺せる人間だ。オマエの持つ歪みに対して、役に立つような助言はできなかったろうさ」

「歪み、ですか……? ティコティコさんから見て、僕は歪んでいますか?」

「大いに歪んでるね。オマエさ――根本的には、人を殺してまで、自分が生きたいと思ってねぇだろ?」

「…………」


 それは――正直図星、だった……。


「だから、人を殺す理由に『自分』でなく『他者』を求める。だから、無意識に、この話題で『自分』を後回しにした。だからこそ、自分本位に人を殺すという吾の信条が受け容れられない。己の信念、死生観を真っ向から否定する生き方だからな。ま、いいと思うぜ。人間、自分と正反対の人間を認められねぇのは仕方がねぇ。人殺しの理由なんつー、宗教染みた話であればなおさらだ」

「ティコティコさん的に、そんな正反対の人間と子を成す事に、思うところはないんですか?」

「? 子に、親の能力は遺伝しても、思想は遺伝しねぇだろ?」


 なに言ってんだと言わんばかりの彼女の言葉に、僕は「ああ……」と納得と共に文化の違いというヤツをヒシヒシと感じる。父親と子供を、完全に分けて考えている辺り、やはり僕の役割は彼女の胎に子供を宿すまでと思っているのだろう……。

 まぁ、いまはそれはいい。正直、そこを言及して話を有耶無耶にしてやりたい思いはあるが、僕にとってもこの話はなんらかの区切りになりそうだという思いの方が強い。成長痛のような痛みが、ジクジクと胸を苛んではいるが……。


「ティコティコさんは『他者の為に人を殺す』という事自体、どう思います?」

「まぁ、いいんじゃね? さっきも言った通り、そらぁそらぁ尊い行為だろうさ。それが徹頭徹尾本心からのもので、完全に利他的で、そのが遍く平等であるならば、だがな」


 平等、ね……。


「では、僕にとっての『他者の為の殺人』とは、少し違ってきますね」

「大方、グラの為ってか?」

「…………」


 あっさりと言い当てられて答えに窮する僕に、畳みかけるように彼女は続けた。


「それは吾に言わせりゃ、十分に自分本位な理由だ。いや、より身勝手で卑怯に思えるな。すべての責任をグラに押し付けて、自分だけは聖人君子でござい、ってか? くっせぇくっせぇ!」

「そんな事は思っていません」

「さてな。少なくとも吾は、それを『他者の為の殺し』とは認めねえ。オマエがした質問である『真っ当な殺し』の範疇にもない、ただただ自分勝手な理由で、他人の命を貪っているだけだ。そのくせ、自分だけは身綺麗なままのつもりなのが、一番タチ悪ぃだろ」

「…………」


 カランという音に顔をあげる。いつの間にか、俯いていたらしい。ティコティコさんが琥珀を舐めながら、死にかけのネズミを弄ぶ猫のように嗤っていた。


「――再三再四言ってる通り、吾はそんな道理の通らねぇ殺人だから悪い、なんつーつもりはねぇぜ? どだい、人を殺す事を正当化するのが間違いだ。ただ、お前自身はそこんとこ、滅茶苦茶気にするんだろ?」

「――それは……、まぁ……」

「他人の為という免罪符を掲げているつもりで、その本質は自分本位。身綺麗なつもりでも、両手どころか全身血塗れ。人を殺してまで自分を大切にしようとは思っていないのに、それでも人を殺している。その辺の歪みが、オマエがいま、吾に突っかかってきている理由だ」

「……――なるほど」

「自分に比べて、吾は身軽に見えるかい?」

「それは、まぁ……」

「これでも結構重いんだぜ? オマエと背負ってる荷の種類が違うだけさ。それでもオマエさんは、荷の積み方もミスってれば、要らねえもんまで背負っているように見えるがね」


 そう言って彼女は、この話題を終わらせるという意思表示のように、再び杯を呷る。ただ、タンブラーをテーブルに下ろすまでのロスタイムで、少しだけ優し気な口調で諭した。


「せめて、人を殺す理由くらいは人のせいにしねぇで生きろ。もう少し、自分を大事にすれば、そんなに難しくねぇよ……」



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