第47話 ディクスタンの聖杯
「ど、どういう事ですか、これは? な、なんらかのマジックアイテム……、あるいはモンスターの素材から作られた品でしょうか!?」
慌てて問うパツィンクス子爵に、宮中伯閣下が苦笑しつつ鷹揚に宥めにかかる。
「少し落ち着きたまえ、子爵。これはマジックアイテムの類でも、未知のモンスターの素材でもない。王宮魔術師に調べさせたところ、大半は普通のガラスに使われるものと同じ材料らしい。金と銀が多少添加されているようだが、色ガラスには珍しい素材ではないそうだ。それ以外の物質については、あまりに微量すぎて属性術でも同定できなんだ。もしかしたらそこに、未知の素材が含まれている可能性はあるが、量から考えれば、ただの夾雑物と考えるのが妥当と思われる」
「な、なるほど……」
「幻術の施されたマジックアイテムについてだが、そのようなものを我々が王城に持ち込むわけがなかろう。卿も、幻術対策のマジックアイテムで確認したはずだ。これは、幻影の類ではない」
「た、たしかに……。で、では誠に、これは既存の材料で作られたものであると?」
恐る恐る、確認するように当パツィンクス子爵。その姿はまるで、望外の贈り物が、欲してやまないものであった子供のような態度であった。
「うむ。少なくとも、魔力の理は一切刻まれておらぬし、魔石の類も仕込まれておらぬ。既存の魔導術においては、これは間違いなくマジックアイテムではないと判断されるとの事だ」
「おお……っ」
ラクラ宮中伯の言葉を、まるで天恵かのように聞き入ったパツィンクス子爵が、仰ぎ見るようにして聖杯を凝視する。その目には涙すら浮いていた。
「つまりこれは……、本当にポンパーニャ法国に伝わる、大帝国時代の宝物【ディクスタンの聖杯】と同じものであるのですな……」
パツィンクス子爵の言葉に、会場は一瞬、水を打ったように静かになる。すかさず、ラクラ宮中伯が問いかけた。
「ふむ。やはり、卿もそう思うか?」
「は。一度しか目にした事はありませんが、おそらくは間違いないかと」
パツィンクス子爵の肯定に、今度はざわざわといっせいに喧騒が広がった。
【ディクスタンの聖杯】は、法国の国宝とされている、その全容が謎に包まれた宝物だ。なんらかの式典の際に、使者として彼の国に赴いた者が目にする機会はあるのだが、その者らの口から聖杯について語られる事は稀である。
理由は勿論、法国がそれを望むからであり、またそれを知る者は法国のその要請を建前に口を噤む。特別である事というのは優越感につながり、また、その情報を占有している事が、政治的にも利益になるのだからそうしない理由がない。
スティヴァーレ圏で生まれ、いまや北大陸全土の王侯に知れた『聖杯の外観を問う』などという諺まである程だ。その意味は、簒奪を画する者や、王の器量を問われるといったものだが、それだけ、法国やスティヴァーレ圏において、聖杯というものは、特別な代物であったのだ。
しかし、流石に国の上層部には聖杯についての情報は上がっていたらしい。ラクラ宮中伯も、予めあの器が聖杯と同じものであると当たりを付けていようだ。
「パ、パツィンクス子爵、そ、それは誠なのか!?」
「こっ、これが本当に、彼の聖杯と同じものであると!?」
慌てて訊ねてくる他の貴族に目もくれず、一心に聖杯を眺めながらも子爵は頷く。
「私が見たそれと、意匠こそ違えど、恐らくは同じものであるのだろう。この、明かりの当たる確度で色と透明度が変わるという特徴は、間違いなく彼の聖杯と同じものだ。かつて、属性術がこれ程発展していなかった時代、人の手でガラスが作られていた頃にあった、秘伝の技術で作られたものらしい。一度ガラス作りが廃れ、その後ガラスは属性術で作るのが主流にはなったが、この技術を再現する事は未だに誰にもできぬと、私は聞き及んでいる……」
芸術家肌のパツィンクス子爵は、なんとしても【ディクスタンの聖杯】を拝みたくて、使者として彼の国に赴いた事がある。わざと聖杯が披露されるタイミングを狙って渡航した程の徹底振りだったと、王城勤めだった頃に聞き及んだ覚えがある。
そのパツィンクス子爵が太鼓判を捺した事で、喧騒は際限なく広がっていく。一人の聖職者が、パツィンクス子爵に駆け寄ると慌てたように問う。
「つ、つまりそれは、そのなんとかという姉弟は、
「わ、私に問われても困る。私はその姉弟については、なにも知らぬからな」
パツィンクス子爵の当然の返答に、その聖職者はぐるりと首を回してワシを見る。彼の姉弟が我が領の領民である以上、問うべき相手がワシになるのは、むべなるかなであった。
だが、残念ながらワシは、彼の姉弟の事ならばともかく、聖杯について訊ねられても答えを有していない。こんな事ならば、【オオグチボヤ】を受け取ったときにでも、さわり程度は話を聞いておくべきだったと悔いる。
だがそこで、思わぬところから助け舟が出された。
「ふむ。余が受注しようとした折には、グラス一つで妖精金貨一万枚、製作期間は五年との事だったの。流石に、実物を目にもせず、砦一つ分の散財をするのは憚られた為に見送ったが、少々惜しい事をしたわ……」
ヴェルヴェルデ大公。選帝侯にして、かつては第二王国の北東にヴェルヴェルデ王国の君主として君臨していた、現大公である。ワシとの関係は、ハリュー姉弟を介したものであり、決して良好な間柄とはいえない。
ヴェルヴェルデ大公の部下であった男が、我が領で犯した殺人その他の事件に関しても、口止め料という形で金品といくつかの利益を供与されて終わりである。明らかに故意に問題を起こしたというのに、投げ付けられるように金貨を与えられて、気分のいい領主などいないだろう。
そんなヴェルヴェルデ大公が、こうしてワシを庇う理由がわからぬ……。
周囲の貴族は、大貴族の間では既にそこまでの情報が流れているのかと、焦燥と憧憬の視線が、ヴェルヴェルデ大公へと注がれる。
それからしばらくは、会場は聖杯に関する話題で持ち切りであった。ハリュー姉弟に対する紹介依頼も、両手では足りぬ程に舞い込んだが……、はてさてあの気難しい姉弟に直接これを持ち込んでもいいものやら……。
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