第46話 ニスティスの聖杯
いまだ四〇にも届かない、倅と同年代の男性が、布をかけられた台座の横に立つ。波打つブロンドの髪を総髪に結い上げ、立派な顎髭を垂らした壮年男性。しかし彼を若輩と侮る者など、ここにはいない。
なぜなら彼こそが、第二王国選帝侯が一人、ラクラ宮中伯その人であり、第二王国の王城をまとめ上げる、中央貴族の頂点であるのだから。
「親愛なる聖ボゥルタンの諸侯よ、新年誠に慶賀である! 今年もこうして、皆と顔を合わせられた事は、王家の方々も、勿論私も、実に喜ばしく思っている。卿らの忠節に、王家の方々の代わりに私から礼を述べさせて欲しい」
そう言って、軽くではあるが頭を下げる宮中伯。王家の代理として振る舞う彼の姿に鼻白む者もいたが、いまの第二王国は実質、彼が動かしているようなものであるのだから、むしろふさわしい振る舞いともいえるだろう。
まともに王族が立てられない現状では、むしろここで次々期公爵夫人や大司教夫人が、王族として、まるで配下にするように声をあげる方が、政治的には非常に危うい真似だ。なにより、宮中伯閣下はれっきとした【王国派】であり、積極的に聖ボゥルタンの血を残すべく、あの手この手で奮闘している人間だ。
それを認めず、第二王国の混乱を良しとしている他派閥の人間がここで文句を言うのは、明らかに筋違いである。とはいえ、そういった厚顔無恥な輩などどこにでもいる。
「新しき年を迎え、まず最初にできる報告が朗報である事を、私としては実に喜ばしいと思っている。過日、ゲラッシ伯爵より王家に対しての献上品があった!」
ラクラ宮中伯の言葉に、いっせいにこちらに視線が集中する。ある程度心構えはしていたとはいえ、その圧迫感は戦場で一〇〇〇の敵を相手にするのと変わらない。
とはいえ、戦というのならばこれも戦。ワシもまた、武人の端くれ。戦の作法は心得ている。
あまり堅苦しくならぬよう、さりとて王家を軽視しているように映らぬよう、胸に手を当てて軽く頭を下げる。社交の場における礼としては、これで十分なはずだ。
戦は気構えである。気持ちで負ければ、どれだけ兵をかき集めようと勝てるもの勝てぬ。そう言い聞かせて、できるだけ泰然と振舞う。
ワシの礼を見届けてから、宮中伯は朗々と続ける。まるで吟遊詩人か劇役者のような、男のワシからしても耳心地のいい声音が、会場中に響き渡る。自然と、ワシから注目が離れていった事で、緊張からの弛緩でため息が漏れた。
「実に素晴らしい心掛けである! ゲラッシ伯爵の王家への忠節、誠に見事! 皆もその姿、良く覚えておいて欲しい。また、その献上品の見事さには、私をして瞠目を禁じ得ぬ程であった。故に王家の皆々様も、多くの諸侯が集まるこの新年の宴にて、この逸品を披露し、その品を愛でようとご提案された!」
宮中伯は言い終えると、やおらその手で布を掴む。慎重なその手つきに、布で隠されているそれに対する気遣いを見て取れ、多くの貴族たちがその奥に隠されたものの登場を、固唾を呑んで見守っていた。
するすると布が外されていく。少しずつ見えてくるのは、台座に使われている金属製の枠だろうか? 弧を描くその枠は、飾る品の落下を防ぐにしては、随分と大枠であり用を為さぬように見受けられる。だというのに、見栄えという観点からは、お世辞にも良いとは言い難い。
やがて、ラクラ宮中伯の手によって完全に布は取り払われ、その器が完全に衆目に晒された。
「「「…………」」」
その反応を端的に表すなら、拍子抜けだろう。
煤けた緑色の、どこにでもありそうなガラスの器。ガラス器は、その透明度や薄さ、あるいはそこに施された細工で、芸術性が決まってくる。
その点、この杯はというと……。細工はまぁ問題ない。目を瞠るような表現力こそ感じられないが、精緻さと技術力は間違いなく卓越したものが織り込まれている。
だがしかし、それ以外は及第点とは到底言い難い。
透明度は言わずもがな。また、縁や
ワシの、忌憚のないこの聖杯に対する第一印象は、野暮ったく大仰な工芸品であり、器は器というものだ。それ以上でもそれ以下でもない。地方領主への献上品としては十分な品であったし、もしも王城の一角に飾られていれば、それなりに目を引いただろう。
だが、この場は新年の宴であり、ここには第二王国中の王侯が集っているのだ。誰もがあっと驚くような品でなくば、むしろ名に疵を負いかねぬ、晴れの舞台である。それは、王族や大貴族であろうとも――否、確固たる地位があればある程、疵は大きくなるといえよう。
その器を目の当たりにした貴族たちの、高まっていた期待が、急速に萎んでいくのを感じる。それとともに、ワシに蔑みと同情、そして敵意の視線が飛んでくる。
蔑みはまぁ、然もありなん。同情は、このような場で大々的にお披露目などされたせいで、余計な傷を負った事に対するものだろう。敵意は恐らく、ラクラ宮中伯と同じ【王国派】の面々から向けられたものだと思う。
お前の献上品のせいで、我々が恥をかいたではないか! という意味合いの視線だ。そんな事を、ワシに言われても困るのだが……。こんな大げさな舞台でのお披露目を決めたのは、その宮中伯閣下や王城の連中である。文句があるなら彼らに言って欲しいものだ。
「し、失礼……。ラクラ宮中伯閣下。その品は、ええと……、どういった来歴のものであるのでしょうか? もしや、大帝国時代や、はたまたもっと古い時代の宝物なのでは?」
このような品を、目の肥えた大貴族である宮中伯閣下が、自信満々に披露しているという点に違和感を覚えてか、芸術家肌のパツィンクス子爵が問う。彼もなかなかの審美眼の持ち主として有名だが、彼の弟の描く絵画には愛好家がおり、その輪は国外にまで広がるという。
パツィンクス子爵の言葉に、なるほどそれは盲点だったと、貴族たちの目が再び器に注がれる。だが、それはどう見ても新しい属性術の産物のように思えた。もしも、かつてはこれだけのガラス細工が、人の手で作られており、それが出土したというのならば、芸術的な意味よりも歴史的な意味で価値があるといえよう。だが、残念ながらそうではないと、ワシは知っている。
「いや、これはゲラッシ伯爵領で昨今名を馳せておる、ハリュー姉弟の姉の作らしい。新進気鋭の魔術師で、その腕は宮廷魔術師にもまったくひけを取らぬと聞く程だ」
「さ、左様でございますか……。た、たしかに技術力は素晴らしいものがありますな……」
いよいよもって、ラクラ宮中伯の意図が読めず、よもや本当にこの程度の品を、自慢げに披露したのかと、顔を引き攣らせるパツィンクス子爵。その姿に、ワシも、隣のドゥーラ大公も、そして当のラクラ宮中伯も同情から苦笑を浮かべる。
速やかに、彼の第一印象を払拭してあげるべきだろう。宮中伯閣下が件の枠に手を振れた途端、その枠に誂えられていた水晶球から光が発せられる。やはりあれは、光源となるマジックアイテムだったようだ。
「「「なッ――!?」」」
途端、聖杯の色が透明度の低い緑から、半透明な赤へと変わる。
貴族たちはいっせいに驚愕の表情を浮かべると、次の瞬間には己の指へと視線を落とした。当然、幻術を探知するあらゆるマジックアイテムは、これに反応を示しているわけがない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます