第13話 美
●○●
「なにしてるんです?」
「お?」
我が家の庭にて、満月の月光が差し込む中、浮き出る筋肉がその光を反射して煌めいている。複雑な模様を描く背中の筋肉、上腕と肩もこんもりと盛り上がり、ポージングもあいまってまさに筋骨隆々。なにより、その
カモシカだって裸足で逃げ出す、健康的な美しさ。もはや全裸であっても、エロさより美しさに感嘆してしまう程の光景だ。
つーか、カモシカって別に脚が綺麗な印象ないんだよね。灰色の猪みたいな見た目だし。まだしも、普通の鹿の方が綺麗な脚してると思う。
そしてその大臀筋の中央には、梵天のような小さな尻尾。そう。我が家の庭で、マッパでボディビルのようなポーズを取っていたのは、客人であるティコティコさんだ。
いや、ホントなにしてんだよ……。
「いやぁ、風呂に入ったらあっつくってよ。ちょっと涼んでたんだ」
「人んちの庭で? 全裸で?」
「おう!」
ダメだ……。常識が違いすぎる……。
とはいえ、これは別にティコティコさんばかりがおかしいともいえない。実をいうと、この程度の貞操観念の緩さは、この世界では其処此処に散見される。公衆浴場は基本混浴だし、宿屋なんかで行水する人は、男女問わず庭でその裸身を晒していたりする。
裸を隠す習慣というのが、富貴層以外では、それが価値である娼館くらいにしかないというのは、やはり倫理的に問題だと思う。まぁ、庶民にそこまで気を使う余裕がないのかも知れないが……。
「しっかし、自宅に風呂があるとか貴族かよ。大店の商家だって、自宅に風呂付けるのなんざ、相当に余裕がなけりゃ二の足を踏むだろうに」
「そこはまぁ、最初に屋敷を貰う際に、ウル・ロッドに強く言い含めましたから。家は小さくてもいいが、風呂は必須だと」
そうでなければ、グラを公衆浴場に連れて行かねばならなかったのだから当然だろう。あと、我が家の場合は、他所が人力で行わなければならない部分を、かなりマジックアイテムで代用できるからという理由もある。
他所が家に風呂を付けたくない理由の大部分が、その為の労力が半端じゃないからだろうし。上水道もなければ、熱源の用意も大変で、それらをすべて人力でとなると、流石に僕でも我が家に風呂を付けようなどとは言えなかった。
ダンジョンコアには代謝がないうえ、病気にもならない体質なので、入浴は必ずしも必要なわけではない。だがやはり、『入浴していないのに、臭くもならず、汚れもしていない』というのは、人間としては不自然だ。
第二王国においては、入浴の習慣はそこまで徹底されているわけではない。特に、カラッとした大陸性気候である中央部や東部は、その傾向が強い。まぁ、あっちは水も貴重だしね。
だが、風呂に入らないヤツは総じて臭い。同じような生活をしていて、僕らだけ臭くならなければ、やはり目立ってしまうだろう。あと、単純に臭いのは嫌。
使用人や客人にも風呂を使わせているのは、やはり匂いが気になるからという理由もある。間違っても、体臭を香水で誤魔化すような連中で屋敷を満たしたくはない。
勿論、パンツを替えるのと同じく、単に僕が入りたかったからという理由も、ないわけではない。
ティコティコさんは、僕の言葉に興味なさげに頷いてから、変わらず月下の庭でポージングをしながら、挑発的に笑う。
「で? どうだ
明け透けで、挑発的に問うてくるティコティコさん。実にらしい質問に、つい苦笑してしまう。まぁ、ここで恥ずかしがるようなウサギではないだろう。
だから、正面を向くなよ? 流石にそれはライン越えだからな?
「まぁ、正直に言って、あなたはすぐに石膏で型を取って、その肉体美を後世に残すべきですね」
「あん? なんの話だ?」
「恐らく、彫刻家の手が入ったと思われるでしょうが、その辺りはなんとか歴史資料も残るよう手配します。いっそ、腐食しにくい貴金属で型の方を残しましょうか」
プラチナ以外の白金族は……、流石に無理か……。ただでさえ大柄なティコティコさんの全身像ともなると、かなりの量が必要になる。非常に安定的な白金族ではあるが、その量はプラチナ同様僅少なのだ。
今後、偽銀に対する認識がどうなるかは未知数ではあるが、遅かれ早かれ技術の発展と共に白金族の価値は見直されるのは間違いない。そのとき、二メートル以上の女性の裸身像の型など、僕らの管理下から離れていたら、とっととばら売りされるのがオチだ。
だとすると銅や鉄か……? 非常に純度の高い鉄は、腐食をしないと聞いた事があるが、それがどこまで真実なのか、無知な僕には判断がつかない……。
「いや、だからなんの話だよ?」
歯の間にほうれん草でも挟まったような、もどかしく、鬱陶しそうな顔をしたティコティコさんに、僕は淡々と答える。
「あなたの肉体美は、それだけ人間という生き物の、理想的な『生』を体現しているという事です。端的に言って、非常に美しい」
「じゃあ素直にそう言え……」
「ただ美しいなどと言っても、前述の思いは伝わらないでしょう?」
「は? じゃあ、さっき言った石膏云々って本気で言ってたのかよ?」
「勿論ですが?」
生ける人間讃歌。生命にというものの躍動感を、これ以上なく表した肉体美は、まさに賛美そのもの。
なお、実際のティコティコさんの精神性について、ここでは言及しないものとする。この文言も、原点の社会風刺から意味が捻じ曲がって人口に膾炙した一文だしね。元は不健康自慢するサラリーマンの愚痴みたいな意味だから、ある意味眼前の状況には則しているかも知れない。
そういう意味では、デキムス・ユニウス・ユウェナリスさん的には、世間一般的な認識より、こっちの方が好みだろう。アシックス、アシックス。
「別にいいけどよ……。たぶんそれ、メスに対してオスが使うべき褒め言葉じゃねえよな?」
「ふむ。それはたしかに」
「そもそも、ケツ丸出しの女を前に、落ち着きすぎだろオマエ」
いやまぁ、それはたしかにそうなのだが……。しかしやはり、彼女の姿はどこか、浮世離れした、芸術としての美しさを見る者に覚えさせるのだ。力強さと女性らしさを調和させた肉体美に、月光を反射する白髪がサラサラと夜風に流れているのである。
幻想的という言葉ではあまりに陳腐。夜の女神が降臨したかのごとき、幽玄な光景なのだ。これで真っ先に下半身が反応するヤツは、逆に人間性を喪失していると言わざるを得ない。
とはいえ、たしかに先程の言いようでは、彼女の女性としてのプライドを傷付ける反応だったかも知れない。僕は紳士として、コホンと咳払いをしてから言い直す。
「あなたはまるで、三美神の一柱パーシテアーのような
「売れない吟遊詩人の歌みてぇな文言だな……。まだ、さっきの方がマシな誉め言葉だった気がするぜ」
「まぁ、あっちは本気ですしね」
いまの言葉も別に嘘ではないが、やはり歯の浮く台詞というのは、考えている内に本心からは乖離していくものだ。こういうセリフを本心から、つらつらと言えるようにならなければ、真の二枚目にはなれないのだろう。別になるつもりもないが……。
「それで? なんの用だ? わざわざ裸の吾を前に、逃げるでなく話しかけてきたんだ。なにか用があったんだろ?」
「そうでした。伯爵家から連絡がきまして、僕の出立は明後日に決まりました。あなた方、【
僕が王都に行かなければならないのと同じく、【
「ふぅん。まぁ、セイブンがどうするかは知らねえが、吾はオマエについてくぜ。ィエイトはセイブンと一緒だろ。フェイヴやフォーンも、たぶんセイブンと一緒に行くはずだ。場合によっては、フェイヴはセイブンの命令でこっちについてくるかもな。シッケスはどうすんのかね。ここで、副リーダーの命令だからって一歩退くようじゃ、アマゾネスとしちゃあお利巧が過ぎるが」
そこまで言ってティコティコさんは獰猛に笑う。敵の存在は、むしろ喜ばしいとでも言わんばかりだ。
「同行は構いませんが、道中で問題を起こさないでくださいよ……」
「……。……ぶっちゃけ、それは約束できん」
まぁ、そうだよねぇ……。ホントに風除けになるかな、この人……?
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