第90話 モンスターの性事情

 ●○●


「待っ……、ちょ……、ちょっと待ってくれ……ッ!」


 ぜぇぜぇと息を吐きながら、背後からレヴンがそう声をかけてきた。見れば、汗だくのレヴンが、肩で息をしつつ中腰で両膝に手をついていた。


「はっ、はっ、はっ、はやっ……、速くね……? ……ぉぇっ」


 もはや嘔吐えずくまでに荒い息で、なんとかそう問うてきたレヴン。たしかに、あれからかなりハイペースで走っていたが、それでレヴンに負担がかかるような真似もしていない。なんとなれば、先頭に立って走っていた為に、斥候としての仕事はほぼしていないのだ。

 一度通った道であるだけに、罠に対する警戒は最小限ですむ。モンスターもそれ程厄介なものはおらず、現れてもグラが一蹴している。なお、魔石に関しては回収せず放置した。これを持っていく行為は、ルディに敵対しているも同然の行為だからだ。

 そんなわけで、レヴンはただグラの後ろをついて走っていただけである。だというのにこの体たらくは、同じダンジョンコアの眷属として、ちょっとどうかと思う。同じ思いだったようで、グラが嘆息しつつ言い返した。


「なにを言っているんですか、この程度で。あなた、それでもモンスターですか?」

「い、いや……っ、お、俺、俺は……、潜入工作、専門のモンスターですからね。もし、ダンジョンコア様を裏切っても、たいした脅威にならないよう、運動能力は制限付きなんですよ」


 途中から息も整ってきたのか、すらすらと話すようになったレヴンは、真なる一般人経験を持つ僕からすれば、やはりそれなりに運動能力は高いように思える。だが、モンスターの脅威度としては、やはりこの程度でへばるようなヤツは、防衛には使えないだろう。

 なにせ、人間の基本戦術は物量戦か持久戦だ。スタミナのないモンスターなど、中級冒険者が最低三〇人もいれば攻略できてしまう。そんなモンスターを、大量のDPを注いでまで作る意味は、防衛という観点から見ればないだろう。勿論、潜入工作員という意味では、これ程見事に人間社会に溶け込んでいるスパイは見た事がない。グラを含めてもだ。


「なるほど。必要以上に戦闘能力を持たせない事で、万が一叛逆した際にも脅威とならず、生み出す際のDPを抑えるというコンセプトですか」


 そんな、対人能力においてはモンスター以下である姉が、レヴンというモンスターの設計に舌を巻く。だが、そんなグラに対して、感心するのはまだ早いとばかりに、得意顔で首を振るレヴン。


「それだけじゃありませんよ。ホラ!」


 そう言って、レヴンは濃紫色のサングラスを外してみせる。その奥にあった瞳は、まるでトンボのような複眼だった。グラサンを外したというのに、その下にもう一つ、サングラスを付けていたようにすら見える。

 ただ、よく見ればそれが肌から直接飛び出しているものであり、人間とは到底思えない代物である事がわかる。それ以外が、完全に人間の姿であるだけに、その目の違和感は、僕には異様に思えた。


「この姿で、人間社会で生きていくなんてできませんよ。万が一ダンジョンコア様を裏切ったところで、他のモンスターのように野では生きられませんし、地上生命の間で生きていくのも支障がある。故に俺は、絶対に裏切らない、裏切れないってわけです」


 どこか誇らしそうにそう言い切るレヴンに、グラも好意的な反応を返す。


「なるほど。それは、ダンジョンコアの観点からも安心ではありますね」

「絶対に、地上生命にダンジョンの情報が漏れないよう、幾重にも予防線が張られてるんですよ。栄養補給の為に、半年に一度は絶対にダンジョンに戻らなければならないですしね」

「ふぅむ。なるほど……。外部で食物を摂取しても、栄養にならないのですか?」


 それは僕も気になった。受肉したモンスターは、外界で暮らしている。つまり、生存そのものに、ダンジョンを必要としていない。だが、レヴンのこの物言いでは、まるでダンジョンの外では生きていけないようではないか。

 そんな僕らの疑問に、レヴンはあっさり首を振る。


「いえ。地上での摂取した栄養も、きちんと活動の糧にはなりますよ。ただ、定期的に必要な栄養として、ニスティス大迷宮内でのみ産出される果実を摂らないと生きていけないようになっているんです。これもまた、予防線の一つです」

「ほぅ。それはなかなか、面白い枷ですね。なるほど、そうやって反抗の目を摘んでいるわけですか」

「はい。本当は、俺に繁殖能力も持たせたくなかったようなのですが、そこは受肉の際に自然と備わる機能のようで、ダンジョンコア様も断念しておられました。無理に生殖能力を削ぎ落そうとすると、今度は無性生殖の形で繁殖するようになるらしいです」


 へぇ。それは実に興味深い話だ。できれば、ニスティスのダンジョンコアから直接、どういった実験でその知見に至ったのか、話を聞きたいものだ。まぁ、無理だろうが。


「ほぉ。それは知りませんでした。やはり、アンデッド以外のモンスターは、受肉の際に勝手に繁殖能力が備わってしまうのですね」

「そのようです」


 グラもまた、興味深そうに感心しているが、話はなかなかにセンシティブな領域に突入している。いやまぁ、いい加減グラも、地上生命の性事情については知っておいた方がいい事もあるか。いまのままでは、流石に初心すぎる。


「では、あなたにも生殖能力は備わっているのですね?」

「はい。どうやら、人間や妖精族なんかの地上生命とは、普通に繁殖行動が可能のようです」

「性欲というものは、どう解消しているのです?」


 いやいやいや! 流石にそれは、センシティブラインを超過しているのでは!? というか、女の子が明け透けに聞くような内容ではない。

 だがレヴンは、気にした様子もなくあっけらかんと答える。


「基本的には我慢です。一応、ダンジョンコア様に繁殖用の眷属も用意していただき、栄養摂取に戻った際に解消するようにしています。下手に地上でして、繁殖なんかしてしまったら事ですからね」


 どうやらレヴンにとっては、恥ずかしがるような事でもないらしい。そしてグラにとっては、ハムスターや飼い猫の繁殖方法について聞いているような心持ちらしい。


「我慢という言い方を見るに、それはそれなりにつらい事なのですか?」

「ええ、まぁ。でもその後の面倒を思えば、地上生命で性欲を解消しようとは、あまり思いませんね。魅力も感じませんし。ダンジョンにいる嫁や子を思うと、なおさら地上生命なんぞ抱けませんよ」

「なるほど。ふむ、それもまた、あなたを縛る枷なのかも知れませんね……」


 なるほどね。たしかに、ニスティスのダンジョンコアがレヴンに繁殖能力を持たせたくなかった最大の理由は、外部に家族を作られて、そちらの方が大事になってしまった際のデメリットを思ってだろう。里心がついたり、人間側に人質に取られてしまう危険等だ。

 だが、繁殖能力を持たせないという事はできなかった。それ故に、次善の策としてつがいを用意したわけだ。逆に、ダンジョンに里心を植え付け、レヴンの性欲を地上生命に向けさせないよう、同族を作ってそちらと繁殖するように仕向けたわけだ。

 これはたしかに、必要な栄養である果実と同じく、レヴンにかけられた枷なのかも知れない。見方を変えれば、レヴンはダンジョンコアに人質を取られているようなものだ。

 それだけ、ニスティスのダンジョンコアはレヴンというモンスターを気にかけているという事でもある。やはり、ダンジョンにとって受肉したモンスターの扱いというのは、かなり慎重になってしまう事のようだ。

 まぁ、それはそれとして――……


「グラ、そろそろレヴンの息も整ったようだし、移動を再開しよう」

「それもそうですね」

「今度は、休憩なんて挟まなくてもいいよう、適度なペース配分を心掛けようね」


 これ以上、グラに生々しい話をさせるのは、弟として看過できない。まったく、レヴンもレヴンだ。ニスティス大迷宮には、知恵の実を産出するように苦情を入れておいた方がいいのかも知れない。



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