第99話 八色雷公流剣術のエルナト

 空中交叉路で不用意にニョロニョロと蠢いていた水ムカデの胴に、俺は抜き打ちで斬りかかる。白刃の煌めきは、玉虫色のその甲殻と接触して、僅かに火花を散らした。

――硬い。なる程、こいつは五級の手には余るな。

 空中交叉路を駆け抜けつつ、俺はそう納得する。玉虫色の体表に傷を付けられ、水ムカデはようやく俺を敵と認識したようだ。鋏に咥えていた男の上半身を捨てると、こちらに向かってそれを開いて威嚇する。


「バァーカ!」


 剣を肩に担ぎつつ、そんな水ムカデに中指を立てる。これの意味は、クソ食らえ、だ。そんな程度の低い威嚇にビビるようなヤツは、上級どころか五級にだっていねぇよ。

 俺の意図が過たず伝わったのかはわからないが、挑発に反応したのか、水ムカデはあの目にも留まらぬ速さの突進をしてきた。その巨体からは想像もつかないような、矢のような突撃だ。

 空中交叉路の通路に激突するように、水ムカデは俺のいた場所に突っ込み、辺りには轟音と振動が伝播する。ビリビリと震える空気を肌で感じながら、俺はそんな水ムカデを鳥瞰する。

 その突進の弱点は、一度動き始めたら方向転換も、細かい制動も聞かない点だ。恐らくは、水ムカデ自身ですら、動きを制御できないのだろう。


「大気よ、固着せよ――【宙空立脚スキャフォールド】」


 俺は空中で身を翻すと、天地逆さまの状態で停止する。マジックアイテムによって足の裏に固まった空気を踏みしめ、上方に流れていた運動エネルギーを足の裏に集約する。見据える先は、空中交叉路に突っ込んだ化け物。その胴体の一部を目標に定める。

 把持する柄から、ギュっという慣れた感触が返ってくるのを感じ、俺は空を蹴って下方に飛ぶ。落下のエネルギーをすべて斬撃に籠める。


「【大雷オオイカヅチ】!」


 必要なのは、いつものようにやる事。力んだり、緊張したりしないよう己の心を律しつつ、鍛錬通りに俺は剣を振るう。

 肉を裂いたたしかな手応えを感じつつ、俺は剣を振り抜いた勢いで身を返し、着地を果たす。衝撃を通路に逃がし終えてから、さらに身を翻して背後の水ムカデに向きなおる。

 水ムカデは、「ギャア」とも「ギシャア」とも聞こえる、悲鳴のような鳴き声を発して仰け反っている。俺の斬った場所からは、紫色の体液が流れているのが確認できた。どうやら攻撃そのものは通ったようだ。だが、思った以上に浅傷だ。


「マジかよ……。階層ボスにも通用するような攻撃だぞ、いまのは……」


 あれが姉弟のゴーレムなのだとすれば、連中は階層ボス並みの怪物を作り出せるという事だ。それは、ダンジョンの主並みの脅威という事でもある。これが公になれば、まず間違いなく、権力者にも恐れられ、敵視される事になるだろう。

 ダンジョンの主はダンジョンの外に出てこないが、連中はそうではないのだから。ダンジョン並みに危険な存在が町中を闊歩していて、気にしない為政者なんざいるわけがない。

 あるいは、階層ボス並みのモンスターを、他所から引っ張ってきたのか。それはそれで、問題視される行為だ。

 まぁ、俺の知った事じゃねえが、そんな俺でも流石にどうかと思うぜ。あの姉弟は。


「――ぉらァ!! 【野雷ノツチ】!!」


 痛みなんぞに気を取られて呻いている、なんとも呑気な化け物に、俺は畳みかけるように攻撃を加える。何本か足を斬り飛ばしたが、足の数が多すぎてあまりダメージを与えているようには思えない。

 それでも、確実に痛みは覚えているようで、鈍色の斬線が閃くたびに水ムカデは悲鳴をあげていた。


「体表は硬い。動きは速い。力も強い。武器もある。だが、【魔法】はねえ! 【魔術】を使う頭もねえ! 攻撃されればのたうち、悲鳴をあげるだけの弱い精神! なにより、策はあれども敵の弱点を突くのに慣れ過ぎて、反撃されると脆いってのがデカすぎるぜ、化け物ォ!」


 恐らくは、俺に敵わねえと察して地底へと戻ろうとしたのだろう。だが、下に体を戻そうとしたヤツは、最初に傷を付けた節を俺の前まで下ろしてしまった。玉虫色の体表に、紫色の体液がぬらぬらと光るそこに、俺は一歩踏み込んだ。


「【八色太刀ヤクサノタチ】!!」


 一息に、節の裏から八連撃を加える。【大雷】【火雷ホノイカヅチ】【土雷ツチイカヅチ】【稚雷ワカイカヅチ】【黒雷クロイカヅチ】【山雷ヤマツチ】【野雷】【裂雷サクイカヅチ】の八つの斬撃。俺の使う、八色雷公やくさらいこう流剣術の奥義を八つすべて受けては、流石に巨躯の大百足といえども耐えきれなかったようだ。初太刀で背後から傷が付いていた場所に、今度は腹からの八連撃を受けて、水ムカデは胴を切断されて、奈落の闇へと消えていった。

 先程あいつが冒険者にしたように、あるいはマスの仲間たちをそうしたように、真っ二つになった姿は、自業自得ってもんだろう。上半身に遅れて、水ムカデの半身がのたうちながら闇に消えていくのを眺めつつ、俺はそんな事を思った。


「ふぅ……」


 俺は剣を振ると、その表面に付着していた水ムカデの体液を払う。見るからに有毒そうなその体液が、ぴしゃりと弧を描いて通路の白い床に落ちる。このまま鞘に戻すと、いまだ残っている体液で刃が傷みそうだ。

 俺は通路に待機しているパーティメンバーたちに合図を出して、呼び寄せる。


「さ、流石ですね、エルナトさんっ!」


 真っ先に駆け寄ってきたマスが、キラキラとした顔で俺を見ながら開口一番そう言った。


「それより、なんか捨ててもいい布を持ってねえか? 早くあの化け物の体液を、剣から拭いてぇ」

「そ、それならあっしのこれを使ってください!」


 俺の手持ちの布は、まだ真新しい手拭いや食器拭き用のものだ。流石に、こんな得体の知れない液体を拭う為に使いたくはない。だが、マスが差し出してきた布もまた、見た感じかなり真新しい代物だった。

 いいのかと思って見れば、相変わらずキラキラとした顔で俺を見ているマスがいた。どうやら、仲間たちの仇を討った俺に、心底から好意的になっているようだ。

 まぁいい。俺のじゃねえなら、別に剣を拭うのが誰かの一張羅だって構いやしない。そんな事を思いつつ、剣からあの気持ち悪い虫けらの体液を拭い去る。


「エルナト、ロープの準備が済んだぞ」


 マスの背後から、ウチのパーティメンバーが声をかけてくる。それに頷き返して、俺はマスに布を返す。マスのヤツは、なぜかそれを大事そうに懐にしまった。仲間の墓にでも供えるのかも知れない。死体も、恐らくはあの化け物に食われてしまったのだ。せめて仇を討った証くらいは供えたいという気持ちは、まぁわからんでもない。


「よし、降りるぞ。まずは俺からだ。あの化け物がまだ生きていて、襲ってくる可能性もあるからな」


 虫系のモンスターというのは、大抵しぶとい。頭を落としてすら、しばらくは胴体と頭で動いているくらいなのだ。とはいえ、流石にあそこまで短くなったら、ラぺリング中に襲い掛かってはこないだろうが、万一の場合に備える必要はある。流石に、俺以外にあの化け物の相手は荷が重いだろう。

 出入り口付近の通路の側から垂らされたロープを伝い、俺は地下へと降りていく。ゆっくりと、周囲に気を配りながら降りる。幸いというべきか、やはりというべきか、襲撃はない。

 そして、しばらく降下を続けた俺の視界に、マスの言っていた水の張っている溜池が見えてきた。そこには、先程落とされた冒険者たちの死体がいくつも浮いていた。やはり助からなかったようだ。

 だが、それとは別にあるべきものがない。

 あの化け物の死体だ。もしや本当に、ダンジョンのモンスターのように霧消したのではないかとすら思える。だが次の瞬間、いまだ地面に降り立っていない俺に、中央の穴から水柱と共にあの水ムカデが飛び出してきた。

 なるほど。どうやらまだ懲りねぇらしい。半分どころでなく短くなった、三メートル程の水ムカデは、相も変わらず左右に開いた歯で噛み付いてくる。

 俺はニヤリと笑うと、ロープを離して矢のように飛び掛かってくる水ムカデに向かって、空中に身を躍らせて剣を抜く。

 さぁ、第二幕と行こうか!!



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