第80話 水底の怪物・オニイソメちゃん

 当然、誰も俺の問いに答えてはくれない。


「――アラタ、牽制をッ!」


 チーキャンのドスの利いた声で、俺とアラタは敵の前で棒立ちしていた事実を思い知り、それぞれ行動を開始する。


「クソっ、水のせいで動きが阻害されるッ!」


 腰まである溜池の水のせいで、遊撃として盾役をサポートするのが難しい。悪態を吐く俺に、常の間延びした声に切迫感を滲ませて、アラタが問うてくる。


「マスぅっ、こいつはどんなモンスターぁ!?」


 しかし俺は、その疑問に答えを持たない。それは、生まれて初めて見るモンスターだったのだ。

 まるでムカデのような、メタリックな外殻に無数の足。縦に長いシルエットは、いまだ水中の穴からその全容を覗かせていないとはいえ、既に三メートル近くはある。頭には、うねうねと蠢く半透明の細長い五本の触手と、特徴的な左右二本ずつ横に張り出し、婉曲した四本の歯。その巨大な歯からは、真新しい血が滴っていた。

 あの歯を鋏のように閉じて、カスを両断したのだろう。

 外見だけでいえば虫系のモンスターだが、こいつはどう見ても水棲だ。だとすれば、参考にすべきはウワタンの先にあるゴルディスケィルの海中ダンジョンだが、そこでもこんな異様なモンスターがいたなんて話は聞かない。

 ひとまずは、外見からわかる注意点をチーキャンに伝える。


「頭の鋏状の歯に注意! 見た感じ、それ以外に武器はねえ! ただし、触手にも注意! なにをしてくるかわ不明!」

「ちょっとぉ、そんなの見ればわかるわよぉ!」


 文句を言いつつ、アラタは風の刃を水ムカデに向かって放つ。だが、水ムカデはその巨体からは想像もできない俊敏さで穴へと戻り、アラタの属性術は虚しく空を切った。


「速え……」


 思わず声が漏れた……。

 よくもまぁ、チーキャンはこんな奴の攻撃を防げたもんだと、改めて感心してしまう。まぁ、カスも含め、俺たちは全員、部屋の隅にある横穴を見ていた。そのせいで、部屋の中央の穴からは意識を逸らしてしまっていた。このモンスターは、その僅かな間隙を逃さず攻撃を仕掛け、見事カスの命を奪ったわけだ。クソったれ!


「とにかく、腰まで水につかった状態で、あんな素早いモンスターを相手にするのは不利だ! 巣穴にもぐっているってぇなら好都合。このままあの横穴を目指して後退するぞ!」

「りょうかぁい」


 アラタが返答した事で、チーキャンもその策を了承したと勝手に判断し、俺は退避を始める。勿論、誰一人として怪物の巣穴からは目を離さない。じりじりと後退しながらも、チーキャンの守護の範囲からは決してでないよう、俺たちは細心の注意を払っていた。

 ひりつくような緊張感に、下半身に纏わりつく水の冷たさと抵抗が、なんとも不快だった。

 アラタはなにが起こってもいいように杖を構え、いつでも【魔術】を使えるように準備をしているようだ。チーキャンもまた、盾を構えながら化け物の巣穴を凝視している。そこで俺は、水ムカデに対する警戒は二人に任せ、この落とし穴の底に他の仕掛けがないか、改めて注意深く周囲を確認する事にした。

 俺たちが移動するたびに水面は波打ち、俺が掲げる松明と、倒れたカスが持っていたマジックアイテムの明かりが照らし出す空間に、波が反射する光が妖しく揺れている。光源がゆらゆらと揺れるせいで、水中になにがあるのか、非常に確認しづらいのが厄介だった。


「ん?」


 だが、それでもなにかが水中を蠢いている。それが、新たなモンスターなのか、はたまたこの部屋特有の罠なのか、それすらもわからない現状では、判断が付かない。それでも、注意喚起はしておくべきだろう。


「チーキャン、アラタ、水中になにかある。絶対に触れるなよ?」

「なにかってなによぉ。ともかくりょうかぁい」


 文句を言いつつも、アラタは水中のなにかを確認すると、それの場所をチーキャンに伝える。チーキャンは水中のそれには注意を払わず、警戒はすべてアラタにまかせるようだ。

 それでいい。盾役のチーキャンが水中のなにかに気を取られるあまり、あの水ムカデの攻撃を防げなければ、俺たちは全員、ここでカスのあとを追う事になる。

 程なくして、俺たちは件の横穴の下へとたどり着いた。ここで問題になるのが、誰が先にあがるのか、だ。当然、チーキャンを先に行かせるわけにはいかない。盾を失ったら、下に残る二人にあの水ムカデの攻撃を阻む術はない。

 ではアラタはというと、それも上手くない。いまのこの状況において、俺たちのパーティでもっとも重要なのは誰かといえば、まず間違いなくこのアラタだからだ。こんな地下深くから、確実に帰還する為には、彼女の【魔術】が必要不可欠なのだ。

 であれば当然、危ない先陣など切らせるわけにはいかない。


 必然、貧乏くじはおれにお鉢が回ってくるという寸法だ。


 話し合うまでもなく決まったその選定に、俺も文句はない。なので、やはり細心の注意を払いつつ、壁面に作られている足場に、足を入れて手を掛ける。

 一段……。二段……。三段……。

 慎重にのぼったが変化はない。横穴までは手掛かりであと二段だ。そこまでのぼれば、あとは一瞬で上部に辿り着ける。俺は微かに安堵した――否――油断した。


「――マスッ!!」


 そこからの記憶は断片的だ。鋭い男の声。激しい水音。衝撃。男の広い背中と、盾の裏側。そこに食い込む、四本の歯。女の悲鳴。

 突き飛ばされるようにして、俺は再び水に落ちた。慌てて体勢を立て直す為に水中から抜け出すその瞬間、俺は見た。揺蕩う水面の奥から、こちらを覗いている目があった。

 半透明な触手の先。玉虫色の複眼が、じっと俺を覗いていたのだ。

 それを見て、ああ、なるほど。端からこちらが油断するのを待っていたんだなと、このタイミングでの襲撃を、変に納得してしまった。

 まったく、これだから俺は斥候の能力が低いと言われるんだ。もしも生き残っていたのがカスなら、こんなヘマはしなかっただろうに……。

 身を起こした俺の目に入ってきたのは、アラタだけだった。チーキャンの姿はない。だとすれば、まだ助けられる道もあるのではないか。

 そう考えた直後、化け物の巣穴から水柱が立ちのぼる。その色は――赤かった……。


「――ッ、マス! すぐに上に戻るよッ! 【アーラ】!!」


 アラタが杖を構えて唱えると、風が周囲の水を半球状に押しのける。俺とアラタは、その中にいるのだが、水の中にいたであろう半透明の触手もまた、そこに頭を突っ込んだ状態で残っていた。

 流石に、中にいる者を選別して、弾き飛ばせるような力は、この【魔術】にはないのだろう。

 俺はなにがあってもいいように、しかしあの水ムカデを刺激しないよう、短剣をそいつに構えつつ、アラタが上昇の為の【魔術】を使うのを待っていた。程なく、彼女はそれを唱えた。


「【上昇スカンデレ】」


 ゆっくりと、俺たちの体が浮かびあがる。半球状の空間から、半透明の触手がするすると抜けていき、やがてそれは風の球体から水中へと戻った。正確に表現すると、その触手の周りが風の領域から、水中へと戻ったというべきだろうが。

 俺たちは、ゆっくりとのぼっていく。

 カスとチーキャンの遺骸を回収もできず、ただただ無力感に苛まれながら……。

 二つだけ間違いないのは、ここはショートカットでも順路でもねえって事と、ハリュー姉弟っていう連中は、心底頭のイカれたクソ野郎だって事だ。

 普通、自分の家にモンスターなんぞを住まわせるか? いくら侵入者対策だっていっても! それも、あんな危ねぇヤツをッ!



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