第123話 サイタンの戦い・3
●○●
「敵伏兵に動きアリ! 吶喊してきます!!」
部下からの報告に、私は即座に反応した。すぐに体勢を立て直さなくてはならぬ!
「中央と右翼は、連携して陣を旋回! 退却してくる左翼を収容しつつ、防御姿勢をとる!」
「ボーデン閣下!」
「なんだッ!?」
私の下命に、伝令の兵から悲鳴のような声がかかる。
「中央の軍は、いまだに黒騎士と骨の騎兵が暴れております! 即座に動くのは困難です!」
クソ! それもあったか。
見れば、未だに黒騎士――ショーン・ハリューは陣内を暴れ回っていた。彼が疲れ切って動けなくなるには、まだ暫くかかるだろう。それよりも問題なのは、骨の騎士たちだ。なぜ減らぬ?
「骨騎士の掃討は未だ終わらないのか?」
「討っても討っても、次々復活してきます! その度に、周囲に黒い霧を撒き散らす為、次第に視界が悪くなっております」
「クソ……」
たしかに、まるであの辺りだけ夕暮れになったかのような薄暗さだ。
視界を悪くする為の煙幕? だが、それならば端から視界だけ塞げば良いのでは……? いや、無視し得ない脅威と、視界を塞ぐ煙幕とを同時に放つのが目的か。本来、多数の追跡を撒く為の幻術なのだろう。
我が軍中央は、あの場に止まって敵の攻撃に備える事はできようが、陣内の黒騎士と骨騎士を放置して、陣を動かすのは不可能だ。無理にそれをすれば、被害と混乱は拡大し、そこから軍が瓦解しかねない。
だが、右翼だけ動いても意味がない。間に戦列中央が残っては、効果的な防御はできない。敵の数は、我が軍の半分弱だったのだ。三分の一ではこちらが劣る。まして、この混乱で数的不利を覆すのは……。
それとも、無理にでも動いて左翼と合流して敵に対応するべきか?
「ぐ……ッ!!」
う、動けない……。下手な事をすれば、この右翼とてどうなるかわからない。
敵にも騎兵はいるのだ。右翼だけで動けば、陣形に隙が生じ、そこから分断されてしまう。そうなれば我が軍は三分割され、各個撃破されかねない。
私の逡巡をせせら笑うように、鈎形陣の端と敵戦列が接触した。完全に横腹に食い付かれたわけではない。わずかな時間ではあるが、持ち堪えられるだろう。とはいえ、守り切る事までは望めまい。
その間に、自軍左翼が防御姿勢を整えてくれるのを願うしかない。そして、早急に中央が体勢を立て直す事も……。
「こちらの精兵を、中央の黒騎士に割けないか?」
無理と知りつつ伝令の兵に訊ねてしまう。
「敵伏兵にも、精鋭が含まれていると予想されます。おそらく、そちらに回されるかと」
「まぁ、そうだろうな……」
それは、きっと合理的な判断だ。このまま、あっさりと自軍左翼が突破されれば、我が軍は為す術もなく瓦解するだろう。
黒騎士は、我が軍内で幾重にも包囲されている。あのままなら、いずれ討ち取れるはずの存在だ。そちらに、敗北の危険を覚悟してまで、精鋭を差し向け、早急にショーン・ハリューを討ち取る意味は薄いというのは、道理ではあるのだ。
「だが……、だが……ッ」
握りしめた手綱がギリリと鳴き、食いしばった歯からも軋むような音が、頭蓋の内側から鼓膜を揺らした。
ここで手を打たなければ、もはや状況の打開は不可能ではないかという予感が、胸中を苛む。左翼は伯爵軍全軍の攻撃を受け、中央は混乱し、右翼は動けない。完全に、敵の術中だった。
ゲラッシ伯爵公子の力量を見誤ったのだ。なまじ、こちらに似たような立場の御曹司がいたせいで、その力量を侮ってしまった……。
――だが、件の伯爵公子――ディラッソ・フォン・ゲラッシの周到さは、こんなものではなかった。
「――なッ!?」
ズドンという、重苦しい音と悲鳴が左翼からあがる。まるで柱のように土煙が立ち昇り、振動がビリビリと鎧を揺らす。
「て、敵伏兵に、転移術師!! 上空からの攻撃に晒されています!!」
「なんだとッ!? まさか【
言わずと知れた、第二王国でも最高峰の戦力である【
その、第二王国最精鋭戦力の登場に私は、兵の前とはいえど、流石に動揺を隠し切れなかった。
折良く――もしくは折悪しく、伝令としてゲラッシ伯爵領を訪れていたのだろうか? だとすれば、この状況で伯爵軍に、かの女男爵が加わっていてもおかしくはない。
考えている間にも、一つ、二つと土柱があがり続ける。左翼の混乱は、加速する一方だ。
「ほ、報告します!!」
そこに、新たな伝令が現れる。見るからに、急いできたという風情の兵士は、決定的な報告を口にした。
「第二王国一級冒険者パーティ、【
「なんだと……」
一瞬、そのような場合ではないというのに、私は状況の把握を放棄して呆けてしまった。あまりにも絶望的な状況に、頭が勝手に現実逃避を始めてしまったのだ。
なぜ一級冒険者が、わざわざこの戦に介入する? 王国貴族である、【超人】と【
あるいは、彼らは我々帝国に、並々ならぬ恨みを抱いていたのか? だから、このような不利な戦にも、大喜びで参戦した? いや、流石にそれはあるまい……。
だとすれば、なぜ……。
だが、そんな取り留めのない思考も、【
こちらの精鋭戦力が、瞬く間に討ち取られてしまった点は、この際無視しよう。相手があの【
回復の見込みはない……――。
「――撤退だ」
もはやこの状況で、有機的な連携を取り戻しての反撃など不可能。このままでは、一方的な蹂躙を受けかねない。御曹司を逃がしつつ、できるだけダメージのない形で、兵らを撤退させる。
伝令兵にそれを伝えたら、この状況で渋るような反応を見せた。苛立った私は、詰問するように問い質す。
「どうした?」
「お、恐らくですが、ディートリヒ様はお受け入れにはなられないかと……」
「殴ってでも退がらせろ!! この状況で、ボンボンの我儘になど付き合っていられる余裕はない!! 貴様も、死にたくなければ、その命をかけてでもあのバカ公子を説得せよ! このままでは全滅だッ!!」
「ハ、ハッ! 承りました!!」
慌てて駆けていく兵の背を見送りつつ、苦い表情を浮かべる。
こうして、兵から場違いな意見があがってくる時点で、我々はどこかで油断していたのだろう。勿論、常にあの御曹司から危うさは感じていたが、積極的にそれを諫めようとする者はいなかった。
諫言を呈すというのは、かなり勇気のいる行為であり、信頼関係が必要な真似でもある。それをしても、将来への禍根にはならない、自分や家を脅かす事にはならないと、上を信頼していなければできない行為なのだ。
相手がポールプル侯爵本人であれば、諫言できた者もいただろう。だが、あの癇癪持ちの御曹司を相手に、耳に痛い言葉を告げて不興を買う可能性を甘受してまで、忠言をするような配下は、ここにはいなかった。
結果、我々は伯爵軍に対峙していたのではなく、あの御曹司に対峙していたようなものだ。この状況は、必然であるともいえる。
私も、不安こそ抱えていたものの、それはあくまでも公子の様子にであり、敵に対してではなかった。やはりどこかで、油断していたのだろう……。
「
配下に声をかけ、敵の追撃を一手に引き受ける覚悟を決めて、手綱を握りしめる。
気になって、中央へと目をやれば、既にそこは黄昏時のような薄暗さであり、混乱はいっそう輪をかけて酷くなっていた。未だに暴れ回る、骨の騎士と、それを倒した際に表れる黒い靄。
悪循環から、混乱はとどまるところを知らず広がり続けていた。と、そこで気付く。
「ショーン・ハリューがいない……?」
戦列中央で暴れ回っていた黒騎士の姿が、夕闇の中に溶けてしまったかのように、消えていた……。
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