第129話 サイタンの戦い・7

 ●○●


「クソ、クソ、クソッ!! いまに見ていろ、伯爵家の青二才めッ!!」


 私が睨み付ける先では、守勢を堅持して伯爵軍を受け止めるボーデン子爵の軍勢がいた。数のうえでは少々不利だが、敵の足並みの乱れを上手く利用して持ち堪えている。流石の手腕といえよう。


「早く隊列を整えろ! 我らはまだ敗れたわけではない!! 否! 勝機はいままさに、我らの目の前にあるッ!! 拮抗している友軍に我らが加われば、勝利は確実なのだ!! 急げッ!! 急げ急げ急げぇ!!」


 勝利はいままさに、我が掌中に転がり込んでいるのだ。あとは、この手の平を握るのみ。だというのにッ! どうしてこうも、味方の足が遅いッ!? まるで敗軍のような有り様ではないかッ!?


「騎兵はどの程度集まったッ!?」

「七〇騎程です! その他の方々は、歩兵らをまとめ直す為にも、いましばらく時間がかかるとの事です」

「ぐ……」


 少なすぎる……。この侵攻に際して、我々の騎兵戦力は総勢五四〇騎だったのだ。右翼に残った騎兵を差し引いても、あまりにも少なすぎる。それだけ、兵らを取り纏めるのに苦慮しているのだろうが、それ以外にも臆した者が参集を渋っているに違いない。兵らと同じく、意気が挫けてしまっているのだ。

 たしかにあの奇襲は、なかなかに肝が冷えるものがあった。だがそれだけで、精強で鳴らす我がポールプル侯爵領の兵が、ここまで腰砕けになるものか……。


「ええい! 一〇〇を揃えたら、騎兵だけでも攻撃を再開するぞ! それだけでも、あの乱れた戦列であれば十分な打撃を与える事はできよう!」


 さすれば、いまは守勢を堅持している右翼軍にも余裕が生まれ、攻勢に移れるかも知れない。そして、こちらが優勢だと認識すれば、兵たちも持ち直す。十分な勝ち筋があると実際に目の当たりにすれば、単純な兵どもはコロリとその姿勢を変えるのだ。


「早くしろッ!! この機を逃すわけには――なんだ?」


 ボーデン子爵らの軍の上空へと、尾を引く緋色のなにかが飛来しているのを、私は離れた場所にいたからこそ、いち早く気付けた。それはまっすぐに戦場へと向かうと、ゆっくりと下降を始める。

 その段に至って、ようやくそれが炎の翼を生やした人影であるとわかった。それも、一人ではない。

 二人の人間が、抱き合うようにして、ゆっくりと戦場へと舞い降りようとしていたのだ。


「あれはなんだ? 例の女男爵か?」

「いえ。チェルカトーレ女男爵が、あのような独特の飛行をしたという話は聞きません。聞いた話では、ハリュー姉弟の姉の方は、炎の翼で飛翔する事から【陽炎の天使】と呼ばれているとか。恐らくですが、そちらでしょう」

「ふむ」


 なるほど。そういえば、そっちもいたな。弟ばかりに気を取られていたが、戦力としてはそちらの方がよっぽど厄介な存在だという話だ。


「それが、ここで参陣するか……。だが、ちょうどいいかも知れん……」


 私の言葉を聞いた伝令が、驚いたような顔をしていたが、いまはどうでもいい。

 今回の作戦目標は、あくまでもハリュー姉弟の殺害。姉を人質にすれば、弟を誘き寄せるのも容易だろう。彼女が運んでいるのが、その弟である可能性もかなり高い。


「いますぐ突撃を敢行する! 目標はあの炎の翼だ!!」

「お、お待ちくださいッ! この小勢では、流石に公子の身が危う――」

「黙れッ!!」


 なにが公子だ!! どいつもこいつも、私の事を侮りおってッ!!


「行くぞッ!! 吶喊ンンッ!!」


 私は馬の腹を蹴り、馬を走らせる。このまま、この戦の趨勢をひっくり返してくれるッ!!


 ●○●


 戦場に降り立った彼女の姿は、なるほど天使と呼ばれるに差し支えない荘厳な佇まいだ。

 火の粉を纏いながら、輝く炎の翼をはためかせ、ゆっくりと降臨してくる光景に、敵味方双方の視線が集中している。先程までの激しい剣戟の音は鳴りをひそめ、戦場には不自然な静寂が訪れていた。

 指揮官である私としては、この隙を上手く利用して行動を起こすべきなのだが……、しかし残念ながら私も、この光景に魅入られてしまっている一人だった。

 その天使に抱き抱えられているのは、先程までこちらの中央を脅かしていたはずのショーン・ハリューだ。

 胴と腰以外の鎧を外して、黒騎士姿ではなくなっていたものの、代わりに手には銀色に輝く鎖状のアクセサリーが取り付けられ、頭には冠のような代物まであった。

 間違いなく、なんらかのマジックアイテムだろう。つまりは、我々にとっての脅威である。


「嫌な予感がする……」


 私は思わず呟き、ゴクリと喉を鳴らした。全身から、粘つく嫌な汗が噴き出ているのを感じた。

 天使は上空十数メートルでその輝く羽をたたむと、ストンと落ちてくる。そのまま落ちれば、いかに戦士といえど、大きなダメージを負いかねない高さであるが、誰一人としてそんな心配はしなかっただろう。

 あの、神秘的ですらある光景を生み出した張本人が、そのような間抜けな末路を辿るなどあり得ない、と。案の定、今度は四本の水の尾が生み出されると、彼らはその尾を用いて、音もなく大地に降り立った。

 赤と黒を基調としたドレスのような鎧を纏う、グラ・ハリュー。青の鎧下と黒い胴鎧を纏う、ショーン・ハリュー。これが、ハリュー姉弟か……。

 なるほど。国が最優先に討たんと欲するのもわかる程に、禍々しい威圧感だ。見れば、弟と同じような銀鎖のアクセサリーを、姉の方も身につけていた。頭にも、冠の代わりにティアラが載っている。

 それらは、鎖で両手を拘束されているというよりは、踊り子のアクセサリーのようであり、実際に彼らが動く度にシャラシャラと、耳心地のいい金属音が、静寂の戦場に響いていた。動きを阻害しないよう余裕を持った長さの細い鎖は、やはり装飾としての意味が強いのだろう。

 我らの陣中、ど真ん中に降り立った姉弟は、その先に宝石がはまった杖を掲げると、同じ動作、同じ口調で唱えた。


「【死を想えメメントモリ】」


 二人から広がった、悍ましいなにかが空間を満たし、否応なく背筋に寒気が走る。まるで、子供の頃、夜に小便に行くのが怖かった、あの感覚が襲ってくるようだ。


「な、なんだ……? なにが起こっている?」


 私の問いに、答える者はいない。その事が、いまの感覚が私だけでなく、この場にいる全員が味わったのだと理解する。

 そして姉弟は、そんな我々の動揺など意に介する事なく、まるでこれからなにかのショーでも始めるかのように、互いの左手を合わせ、前後の相手にお辞儀をしてみせた。両の手を開いても、まだ弛みのある細い銀鎖が、またもシャランと楽器のような清廉な音を奏でた。

 それから手を離すと、お互いに向かい合い、再び同じ口調で唄い始める。その姿がなんとも不気味であり、まるで二人の姉弟こそが我々の死を宣告する、死神に思えた。


「「【蜿々えんえん黒鎖こくさ――」」



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