第117話 穏便な蹂躙の仕方

『暴徒が到着したら教えなさい。私が対応します』

「わ、わかりました……」


 そう答える他ない。が、やはり不安を禁じ得ない。と、そこで、俺の耳に救いの鐘のような声が聞こえてくる。


『グラ、そっちの件に関しちゃ、僕が担当だったはずだけど?』


 旦那の声に、これだけ安堵したのはもしかしたら初めての事かも知れない。この状況で旦那が事態に介入してくれるなら、多少は穏便に事が進む。それはつまり、このハリュー家における渉外担当である俺の心痛の軽減に、ダイレクトに寄与してくれるという事実をも示唆してくれるのだから。


『ですが、あなたはもう少し休んでいた方がいいでしょう?』

『僕は別に怪我をしたわけでもなければ、病気でもない。消耗も、バスガル戦と比べればないも同然だよ。心配ない』

『いえ、フィジカル面ではたしかに消耗は軽微でしょう。ですが、明らかにメンタル面での消耗が顕著です。であれば、いま以上に精神的負荷を負わせかねない暴徒への対処など、あなたに任せるわけにはいきません。暴徒など、私が如何様にでもしてみせましょう』


 ごくりと喉が鳴る。この兄弟の決定に、俺が異見を挟む隙などない。旦那が相手であれば、俺の意見も加味した決定を下してくれる余地もあろうが、グラ様が弟以外の意見を聞くなどあり得ない。もしもここに国王や【雷神の力帯メギンギョルド】のリーダーがいたところで、それは変わらないだろう。

 つまり、グラ様の口にする『如何様にも』とは、己の中での事であり、世間や相手が認めるような形に収めるという意味では、まずないのである。


『はぁ……。わかった……。ジーガ』


 なにかを諦めるように旦那が折れ、即座に俺の名を呼んだ。


「はい」

『これから、カベラ商業ギルドのジスカルさんに連絡を取る』

「はい? ジスカル様に、ですか? どうして?」

『それに関する説明は、いまは長くなるから割愛させて』


 まるでつながりのないように思える話に、俺は首を傾げる。だがショーン・ハリューは、俺の疑問についてはひとまず棚上げし、淡々と俺にも関わってくる話を続ける。


『問題は、今回の一件は借りになってしまうという点だ。乗っ取り計画に支障が生じるのは否めない。多少なりとも、向こうに譲歩する形を模索しておいて欲しい』

「なるほど。わかりました」

『まぁ、向こうがジスカルさんを寄越した時点で、ある程度の妥協はしなければならないと思っていたんだ。君もそうだろう?』

「まぁ……、そうですね……」


 仮にも、あのカベラ商業ギルドの血縁者の顔を、完全に潰す訳にはいかない。あの御曹司が交渉に乗り出した時点で、それなりの譲歩は仕方がないものだった。

 まぁ、だからといって、どこまでも妥協するという話ではないが、それでも当初想定していた妥協点よりかは、かなり向こうに譲らねばならない。そのプランも一応用意はしてある。問題は、借りというのが、どのレベルなのか、だ。


『そういうわけだからグラ、君が対処するのは、カベラ商業ギルドが引き受けた暴徒の残りになる。それ以上の被害を出すと、僕らの立場にも悪影響を及ぼすから注意してね』

『ふむ……。まぁ、よくわかりませんが、わかりました。あの長髪男が対処した残りであれば、皆殺しにしてもいいという事ですね?』


 いや、その結論はおかしい。グラ様の突拍子もない結論に、旦那はにこやかに告げる。


『うん。違うから。明らかに殺傷目的の、例えば火の属性術を使って暴徒たちを焼き払うのような行動を取った場合、僕らと領主との関係は最悪になる惧れがある。代官や騎士に責任を負わせる際にも、こちらの落ち度として論われる可能性もある。明らかに悪手だ』

『面倒ですね……。領主を敵に回しても構わないのでは?』


 以前の話し合いでも、旦那は最悪の場合、領主をも敵に回すと宣言していた。だがそれは、やはり最悪の場合なのだ。最善でもなければ、次善でもない。


『最悪の場合はそうだけれどね、できれば現段階でそれはしたくない。というのも、敵方の目的は、言い換えれば僕らと領主との仲違いなんだ。それをすると、向こうの思う壺ってわけさ』

『……たしかに、それもまた癪ですね』


 なるほど、それはたしかに……。件の【扇動者】とやらが目的としているのは、このアルタンの町の混乱だ。それに最適な状況というのが、領主であるゲラッシ伯とハリュー姉弟との間に諍いを生じさせ、争わせる事なのだ。

 なにせ旦那やグラ様は、相手がマフィアであろうと、一級冒険者であろうと、貴族であろうと、尻込みするような性格はしていない。他所から見れば、火を付けやすい焼け木杭なのだろう。


『だから、領主がこちらに明確な敵意を向けてこない限りは、事を穏便に済ませる為の努力は怠るべきではないと思うんだ』

『了承しました。では、どうすれば良いでしょう? 正直、単純にねじ伏せるというのでなければ、どの程度の魔力の理でねじ伏せればいいのか、判断がつかないのですが』


 結局、ねじ伏せるという結論は変わらないらしい……。いや、まぁ、グラ様だけで判断したねじ伏せ方よりかは、幾分穏やかな結論に至りそうで安堵はしているが……。それでもやはり、一抹の不安は禁じ得ない……。


『これを使って。わかっていると思うけど、【死を想えメメントモリ】と一緒に使っちゃダメだよ?』


 微かに、伝声管の奥からシャラシャラという、金属音が聞こえる。話の内容から鑑みるに、ショーンがグラ様になにかを手渡したのだろう。アクセサリーのマジックアイテムかなにかか?


『ふむ? それではあまり効果がないのでは? 正直、こんなものはただ相手を驚かせる以上には、使えないものですよ?』

『それでいいのさ。集団というものは、その数が増えれば増える程、意思を統一しなければ、あっさりと瓦解する。戦なんかで、後背を押さえられた兵が規律を維持できずに敗走するように、意思を挫かれた集団が群体としての態を維持できるわけがないんだ』

『ふむ……。そういうものですか?』


 ショーンの言葉に、グラ様はあまりピンときていないようだが、俺としてはわからない話じゃない。軍隊も群衆も、意思がバラバラでは、まともに前進すら適わない。自陣営に不利な情報が流れただけで、あっさりと瓦解する。

 だからこそ、それらを統括できる人員というものは貴重であり、国も重宝して【貴族】などという地位を与えているのだ。


『まぁね。まして相手は訓練された軍隊じゃない。ただの暴徒――群衆だ。その心を折る事ができれば、まぁ、撃退そのものは苦ではないさ。そしてそれは、幻術の十八番おはこだ』

『つまり、群衆の精神を攻撃しろと、そういう事ですね? そしてそれには、この【曼殊沙華】が最適、と。ですがいいのですか? これもまた、手札を晒す事につながると思いますが?』

『まぁ、このくらいなら問題ないよ。今後、それに付与されている幻術を使う場合は、今回の暴動と関係のない相手に絞ればいいだけだ。それよりも、実際に多数の人間に対して、これを使ってみた実験データが欲しい』

『なるほど。委細了解しました。私も実験データには興味があります』

『だろう?』


 どうやら、二人の間で行動方針が決定されたらしい。ある程度穏便に事が進むようでなによりだが、やはり一抹の不安は禁じ得ない。なにより、最後の方は旦那の言葉も随分と不穏な色を帯びていた。


「えっと、旦那……?」


 だからだろうか。俺は迂闊にも、旦那とグラ様の会話に割り込むような愚を犯した。伝声管の先から、殺気混じりの舌打ちが聞こえてきて初めて、己の軽挙を思い知った。

 だが、一度声をかけてしまった以上、無言を貫くわけにもいかない。次善の策は、話をとっとと切り上げて、この伝声管の前から離れる事だ。


「け、結局、俺がすべき事は、カベラとの妥協点を模索しておく事だけですか? ラベージや、その後ろのギルドに対する指示とかは?」

『ギルド? ああ、ギルドね。家や暴徒に近付き過ぎて、巻き込まれないようにって注意はしておいて』

『【死を想えメメントモリ】を使わないのでしたら、巻き込むもなにもないでしょう。それ抜きでは、これはやはりただの幻影なのですから。ああ、でも、ラベージには伝言があります』

「え?」


 よもやグラ様の方が、ラベージに用があるとは思わなかった。それどころか、ラベージの名前を憶えていた事にすら、俺としては多少驚いている。


『暴徒への対処を見学させます。客観的なデータも欲しいですし。なにより……――これ以上甘い顔を見せれば、舐められますから』

「りょ、了解しました。伝えておきます……」


 なにも言えず、俺は伝声管の前から離れた。ラベージがなにかしらの不手際を働いた事くらいは、使用人連中はなんとはなしに察している。それでも、ラベージの真摯な態度と、それを聞き届けたのが旦那だったから、事は穏便に収まった。

 だがやはり、グラ様はその処遇を甘いと判断したようだ。

 彼がこれから、どのような目にあうのか、皆目見当も付かないが、それでもそれが過酷である事だけは間違いないだろう。

 俺はそんな不幸な中年男の心身を案じつつも、その有罪判決にも等しい言伝を授ける為にラベージの方へと歩く。まぁ、隣に若い娘を侍らせているようなヤツには、ちょっとだけいい気味だと思う事も、ないでもない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る