第39話 人類にとっての脅威(棒)

 なにはともあれ、【鉄幻爪】の説明で会談からフォーンさんをオミットできた僕らは、ようやく本題の話し合いに移れるようになった。ここまで、実に無駄な時間の浪費だった。


「それで、俺っちに用ってなんすか?」

「新しくできた、ダンジョンに関してです」

「ああ、やっぱりそれっすか」


 まぁ、いまこの町で、最もホットな話題だからね。


「フェイヴさんは、件のダンジョンについて、どの程度の情報をお持ちで?」

「基本的に、通り一遍の事しか知らねっす。スラムの下水道に、新たなダンジョンの扉が見付かったんすよね? で、早くもその下水道が、ダンジョンに浸食されたって程度っす」

「実際に足を踏み入れたりは?」

「そいつはまだっすね。できたての小規模ダンジョンなら、別に俺っちたちが討伐にかかる程のもんじゃねえっすしね。けど、お偉いさんはニスティスの再来を殊更恐れるっすからね。たぶん、お呼びがかかるんじゃないかとは思ってるっす」


 ふむ。どうやら本当に、一通りの事しか知らないらしい。まぁ、こんなタイミングで、裏事情まで知っている方が驚きだし、バスガルなんかよりもよっぽどこいつの方が脅威になる。


「その下水道がどこにあるかは知っていますか?」

「どこって……、ここから割と近くのスラムの中っすよね? どちらかといえば、スラムと職人街の間って感じのところっす」

「そうです。そして、その下水道はいまや、ダンジョンに呑み込まれました。僕がなにを危惧してあなたを呼んだのか、ここまで言えばわかりますよね?」

「え? いや、まだちょっとわかんないっす……」


 察しの悪いフェイヴにイラっとしつつ、僕は説明を続ける。


「いいですか? 下水道を呑み込み、その領域を拡張させているダンジョンが、すぐ近くの地下施設である、僕らの工房にまで浸食してきたら、どうなります?」

「え……」


 フェイヴの糸目が見開かれ、顔色が褪せる。ウチの魔術師の工房だと思われているダンジョンのヤバさは、実際に探索したフェイヴだからこそわかっているはずだ。あそこにモンスターが出現するようになったら、本当にシャレにならないとでも思っているのだろう。

 まぁ、実際には最初からダンジョンで、モンスターだってできるけど、身バレの懸念からやっていないだけだからね。


「わかってくれました?」

「たしかに、こいつは結構マズいかもっすね……」

「ええ。僕らの工房を守っている罠は、対人用のものばかりです。裏を返せばそれは、人間の弱点を網羅した秘伝書のようなものになっているのです。僕が一番に懸念しているのは、ダンジョンがそれをしてしまう事です」

「学習、っすか……?」


 なんだ、特級冒険者で上級一歩手前のくせに、そんな事も知らないのか。


「〝ダンジョンは一定の情報を共有する術を持っている〟というのは、ダンジョンを研究する者の間では常識ですよ? 【ダンジョン学】のケブ・ダゴベルダも【ダンジョン概論】のゾギア・グリマルキンも、古くは【ダンジョン説】で有名なイーネス・ヘルベ・アカツェリアだって、同じような事を述べています」

「は、はぁ、そうなんすか……?」

「んな事も勉強してないのかい、このバカ弟子!」


 おっと、フォーンさんが首だけこちらに向けて、会話に割り込んできた。


「でもたしか、それってまだ仮説の段階だろう? その説を支持する人も多いが、同じくらい否定するヤツもいる。それは、ダンジョンが他のダンジョンに対して、自らの優位性を隠している節があるからだ、だったっけ?」

「ええ。【迷宮仮説】のグレイ・キャッツクレイドルと、【ダンジョン概論】への反論として執筆された【ダンジョン学概論】のマクベス・ウィッチクラウドは、ダンジョンの自主独立の観点から、前述の説を否定しています」

「もうさっきから、わけわかんねー本と人の名前ばっかで、頭こんがらがりそうなんすけど……」


 たしかに、この辺の人間側の迷走っぷりは、学んだ僕からしてもうんざりする程だった。

 ダンジョン側の観点から見られる僕としては、ダンジョンは技術とは関係のない基礎知識は共有するが、各々が独自に惑星のコアに至らんとしている為に、本当に有用な技術は秘匿する傾向にある。それでも、やはり人間はダンジョンにとっての脅威であり、その脅威度を下げる為に必要だと判断すれば、その技術を基礎知識に連ねる事もある。

 ただし、せっかく情報共有の手段があるというのに、その知識が不要な情報だと多くのダンジョンコアに判断されると、基礎知識から消されてしまうという事もあるらしい。記憶容量の限界があるわけでもないのだし、些細なものでも残しておけばいいのにとは思う。

 それに、基礎知識というものは、いまだ浅い同胞に、どう生きていけばいいのか教える、謂わば自転車の補助輪のように思われているようだ。グラですら、僕とその知識を共有するという目的がなければ、そこまで熱心に調べ直すようなものでもないと言っていた。


「たしかに反論はあります。ですから僕も、絶対にそれが可能だとは思っていません。しかし、懸念であってもすべてのダンジョンに、人間の弱点を周知されるという可能性は、減らしておきたいんです」

「なるほどねえ。ま、あちしはその工房を見てないから、なんとも言えないんだけどねえ……」

「あれがダンジョンのスタンダードになったら、たぶん人海戦術はほとんど意味をなさなくなるっす……。そうなると、いまのダンジョンに対する戦術が、根本から覆りかねねえっす。最悪、上級冒険者以外はダンジョンへの侵入を制限されるって事態も……」


 深刻な表情で先々の不安を吐露するフェイヴに、フォーンさんは勘弁してくれとばかりに述べる。


「おいおい、上級冒険者だって、そんなに数いるわけじゃあないんだよ。そいつは無茶ってもんさね。なにより、中級冒険者っていうドでかい層の連中が、路頭に迷う事になる。そんな事は、いくら冒険者ギルドだって無理ってもんさ」

「でもたぶん、普通の五、六級じゃただの餌っすよ? 冒険者崩れとはいえ、俺っちと一緒に地下に足を踏み入れた連中は、ほとんど命を落としたんすから。なかには、自分から一目散に奈落の底へ飛び込んでったヤツもいたっす」

「なんだいそりゃあ……」


 げんなりとした表情でフェイヴを見たあと、薄気味悪そうな顔で僕を見ないで欲しい。


「僕がなにを懸念しているのか、わかっていただけました?」


 にこやかにそう問いかけたら、師弟揃って顔を引きつらせていた。まるでフレンドリーな死神にでも挨拶されたような顔だ。失敬な。


「やべえっすね……」

「ああ、人類の危機だな……」


 そして、二人揃ってそんな事を言い合っていた。ホントに、失礼な師弟だよ。



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