六章 宝箱とトンネルと戦争
第1話 帰りたい……。
〈1〉
眼前の草原には、武装した集団が犇めいている。その数、約四〇〇〇。彼らの掲げる旗は四色に分けられ、中央に描かれているのは翼を持つ獅子。それは、このゲラッシ伯爵領と隣接する、ネイデール帝国の国旗であった。
「だ、大丈夫だろうか……」
僕の隣で、心配そうに漏らしたのは、ゲラッシ伯の嫡男であるディラッソ・フォン・ゲラッシ君、三六歳だ。立派な体付きで精悍な表情、鎧姿も様になっている偉丈夫なのだが、どうにも頼りない印象が拭えない。まぁ、未だ家督も継いでいない身で総指揮官を任されたのだから、多少の挙動不審くらいは見逃してあげるのが人情だろう。
「まぁ、なんとかなりますよ」
僕は適当にそう答えつつ、跨っているリッツェの首を撫でる。クルクルと気持ちの良さそうな鳴き声をあげるリッツェの、ゴツゴツした肌がグローブ越しに感じられて、少しささくれ立っていた気持ちが落ち着く。
最近は騎乗の練習でずっと一緒にいるからか、あまり関わりのない使用人たちよりも、この下級竜に対しての方が親近感が強いまである。まぁ、モンスターはどちらかといえばダンジョン側だしね。一度野生化したヤツはほとんど敵みたいなもんで、リッツェもまた、野生化したモンスターだけど……。
ディラッソ君は不安そうに背後を振り返るが、そこには誰もいない。あるのはただ、彼が守るべきゲラッシ伯爵領の町、サイタンの壁が遠目に見えるのみである。それを見て覚悟を入れ直したのか、ディラッソ君はごくりと唾を呑み込んでから、再び前を向いた。
ちなみに、ここにいる全員は騎乗しているが、僕の騎獣であるリッツェに、他の人たちが乗っている馬が少し怯えている。様々な動物やモンスターが騎獣として使われているこの世界でも、戦争における騎獣の基本は騎馬である。その一番の理由はやはり、人間との親和性と、群れとしての行動力にあるのだろう。
そこに、僕の騎獣が異物として入り込んでいるせいで、足並みが乱れてしまっているというわけだ。
「大丈夫ですよ、兄上! 万が一我が軍が敗北しようと、私が兄上を抱えてウワタンまでお連れします!!」
ウワタンの代官であるポーラ様が、ガンと板金に守られた己の胸を叩く。ディラッソ君は、いまはウワタンに詰めているゲラッシ伯の代わりであり、ポーラさんはその補佐だ。ポーラ様が選ばれた理由は、長年ディラッソ君の従士をしていたからと、ゲラッシ伯がウワタンにいる為に、割と暇だったかららしい。
まぁ、ゲラッシ伯としても、まさか本当に事が起こるとは思っていなかっただろうし、保険ついでに久しぶりに兄妹で顔を合わせようとした気配りだったのかも知れない。
それがこんな事になろうとは……。眼前のこの状況は、決して僕らの思惑通りの展開ではない。むしろ、かなり想定外の事態だ。
それでも、原因は僕らにある。本来は国や貴族同士のいざこざになんて関わり合いになりたくないが、原因が僕らであり、放置していれば確実に僕らの日常生活に差し障りとなる為、こうして戦場に足を運んでいるのである。
はぁ……。ホント、国単位でもバカをするヤツってのは、いるもんなんだなぁ……。
僕は改めて、眼前の帝国軍を見やる。雑兵は雑多な鎧だが、ざっと見た感じでも重騎兵と軽騎兵が多い。たぶん、合わせて五、六〇〇くらいだ。中世世界における重騎兵は最終兵器であり、軽騎兵の機動力は現代戦でいえば戦闘ヘリだ。
見るからに精兵であり、戦意の高さが窺える。対するこちらは一四〇〇の歩兵が主体。騎兵は、僕らも含めて二〇に満たない。四〇〇〇の精兵対一四〇〇の雑兵という有り様だ。
改めて確認するまでもなく、圧倒的寡兵である。ホント、どうしてこんな事になったんだか……。
「よし……ッ」
僕が現状を再確認していたら、隣からディラッソ君が気合を入れる声が聞こえ、そちらを見ればシャッと剣を抜くところだった。彼は馬の腹を蹴り、兵たちの前に出ると彼らを鼓舞する言葉を発する。そんな必要はないのだが、これもまた策の一環か。
「諸君よ!」
ディラッソ君の声が朗々と響き渡る。その姿は堂々たるもので、先程までの頼りなさなど一切感じさせない、一軍の将たる姿だった。
「我らがゲラッシ伯爵領邦の同胞諸君らよ! 我らはこれより、侵略者たる帝国から、故郷を守る為の戦いに入る!」
世が世なら、きっとディラッソ君には華々しい歌手としての道があっただろう。拡声器のようなマジックアイテムを使っているのだろうが、単純な声量というよりもその響きが、人の耳と心にすとんと落ちる声音なのだ。恐らくは、対峙している帝国兵にもその声は届いているだろう。
向こうも、合わせるように兵たちを鼓舞する為の騎兵が、彼らの前でなにやらがなっていた。残念ながら、向こうの指揮官がなにを言っているのかは、まったく聞き取れなかったが。
「見ての通り、敵の数は我らに倍する! 見ての通り、父上より指揮権を預かった私は、若輩で頼りにならないだろう!!」
おいおい。別にそんな事は言わなくていいんだよ。たとえ本当の事でも。鼓舞っていうのは、お為ごかしだろうと嘘だろうと、自分たちが正義の使者で敵は悪、だから絶対に負けない、みたいな事を言っていればいいんだ。
ぶっちゃけ、集った兵たちがそういう大義名分をどこまで信じるのかは疑問だが、それでも不安になるような事を述べるのは逆効果でしかない。
「だが見よ!!」
ディラッソ君が掲げたその剣で、僕らの背後を指す。そこにあるのは、先程と変わらないサイタンの町の城郭である。この世界の町は、一定以上の大きさになると絶対に城壁が必要になる。それは、他国からの侵略や盗賊などの外敵を阻むというよりも、対モンスターという意味合いが強い。だがいまは、間違いなくあの壁は、敵を阻む為にあそこに屹立しているのだ。
「我らの背後には、守るべき民がいる!! あの壁の向こうにいる、諸君らの家族を思い出せ! 妻が、子が、親が、友があそこにいるだろう!? 我らが戦う意味を思い出せ! 故郷を、家族を、友を守る為に、我らはここにいる!!」
「旦那もいるぞ!」
隊列に加わっていた冒険者風の女性が茶々を入れるのに、ディラッソ君が苦笑し、兵らもどっと笑いをあげる。
「失礼。その通り、夫をあの町に残してきた女戦士の存在を忘れるなど、まったくもって指揮官失格である。だが諸君! 故にこそ、この頼りない私の為に、諸君らの力を貸してくれ! 隣を見よ!」
ディラッソ君が剣をサイタンの町から兵らに向ける。彼らは一様に、両隣の兵たちと顔を合わせる。
「我らは共に、故郷を守らんとする同胞だ! 侵略者の魔の手から、家族を守らんとする戦友だ! 共に背を預け、互いの命を助け合う、ゲラッシ伯爵領の戦友諸君! 敵はたしかに多く、精兵揃いだ!! されど安心せよ!! 我らには、【白昼夢の悪魔】がついている!!」
おい、そこで僕の名前を出すなよ。兵らもぎょっとした表情を浮かべちゃったじゃないか。
「彼の者が我らの味方にある限り、我らは悪魔の軍勢にも等しい!! 我らは悪魔の力を借り、今宵すべての帝国兵の悪夢となろう!! 彼奴等に一滴たりとも、我らの水を与えるな!! 一粒たりとも、我らの麦を与えるな!! これ以上、一瞬たりとも我らの土を踏ませるな!!」
ああ、そういう事。僕の名前を出したのは、要は味方の鼓舞じゃなく、敵への威圧だったと……。いやまぁ、別にいいけどさ。そんなんでビビるかね。中二臭いって笑ってんじゃないの、向こうさんもさ?
まぁ、うちの軍はそれなりに盛りあがったみたいだけどね……。怒号のような、近くではもはや完全に地響きのような大音声で、兵らが武器を掲げて鬨の声をあげている。
なんだか、遠くの森からも声が聞こえたような気がするが、気のせいという事にしておこう。別動隊が、敵に見付かるような愚かな真似などするまい。
十分に士気が高まったと見たところで、ディラッソ君がくるりと向き直り、最後に帝国兵へとその剣の切っ先を向ける。その意味を違える者など、もはやこの場にはいない。
「突撃ィィィイイイイイイ!!」
ディラッソ君の号令一下、絶叫と共にゲラッシ伯爵領軍が動き出す。その先頭を走るのは、下級竜のラプターに跨る僕だ。役割上仕方がないとはいえ、なんだって僕がこんな事を……。
ワーワーとなにやらがなり立てて、こちらを待ち受ける帝国軍の隊列に向けて、僕とリッツェはひたすらに突撃を敢行する。背後に浮かぶ武器の中から、僕の杖たる【
いよいよ敵軍は目と鼻の先に迫り、雨のような矢が降り注ぎ始める。僕はともかく、リッツェを目掛けて飛んできた矢には、それなりに気を配らなければならない。とはいえ、リッツェは下級とはいえ竜種である。雑多な矢玉など、目玉にでも当たらなければ、その肌を貫通できるわけもない。
そして接敵の直前、僕はリッツェの手綱から手を離し、両手に嵌まっているフィレトワ製の腕輪を掲げる。
「【開け、
タイミング良くその腕輪を合わせれば、周囲はぶわりと暗い霧に包まれる。それはまるで、真昼の野原にその場所だけ夜が訪れたかのような光景だった。次の瞬間、その夜闇は瞬く間に意味ある形へと変化し、骨の騎獣に乗った骸骨たちの軍勢に変わる。その姿はまさに、夜の軍勢。
まぁ、これはどちらかといえば、
リッツェが「カロロロロロロロロォ!」と、高い鳴き声を発すれば、軍勢の骨の騎獣たちもカラカラと雄叫びをあげる。いや、もしかしたら単に骨が鳴っているだけかも知れないが……。リッツェもすっかりボス気取りである。
帝国軍は目に見えて動揺していたが、流石にこれだけで隊列が乱れるという事はない。僕はリッツェの手綱を握り直すと、改めて敵軍を睨み付けながら思った。
あ゛あ゛あ゛! 早くダンジョンに帰りたいッ!!
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