第6話 最初の指導
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今日は生憎の曇り空。いつ泣き出してもおかしくない、黒に近い灰色の
グラ嬢に関しては、朝から一度もその顔を見ていない。使用人の話では、普段からあまり地下からでてこないらしい。どころか、その者は彼女と話した事がないんだとか。
その使用人が嫌われているというわけでもないようで、グラ嬢はショーン・ハリュー以外に対しては、誰に対しても素っ気ない態度らしい。どうやら、弟以外は路傍の石と同程度の扱いのようだ。
崩落から命を救われたお礼を言っておきたいという気持ちもあったのだが、これでは迷惑がられるだけだろう。ショーン・ハリューを通じて礼を述べる程度にとどめておこう。
こうしてただ町を歩いているだけだというのに、あちこちから好奇や嫌悪、恐怖や欲得にまみれた視線までもが飛んでくる。
「ラベージさんは、冒険者になってどれくらいなんですか?」
だが、そんな視線の一切を無視して、ショーン・ハリューは朗らかな顔で俺に話しかけてくる。歯牙にもかけないとは、この事か。正直、勘弁してくれ……。俺は、あんた程肝が太くないんだよ……。
「じゅ、十四の頃からですから、十九年になりますかね……。あれ? 二〇年だったかな……?」
「二〇年も冒険者の道に従事されていたのであれば、それはもうプロと呼んでなんら差し支えない経歴ですね。ギルド支部長からの推薦状にも、経験と実績には太鼓判が捺されているのも頷けます。山奥の師匠の
「いやいやいや! 俺なんてホント、ただ無駄に経歴が長いってだけで、十把一絡げの中級冒険者ですから、上級のショーン様にそこまで丁寧に扱われるようなもんじゃございませんよ!」
歩きながらの会話だったから、頭こそ下げなかったのものの、あのショーン・ハリューにここまでされると、恐縮を通り越して心底恐怖してしまう。この状況が、下手な形でウル・ロッドに伝わったりでもしたら、明日の朝日は拝めないかも知れないのだ。
だが、当のショーンは俺の言葉に納得いっていなさそうな顔で、腕を組んだ。
「うーん、指導する立場で、その謙った態度はいかがなものか……。もっと砕けた態度で、なんなら師匠という事で、命令口調にできませんか?」
「ちょ――む、無理無理無理! 無理に決まってんでしょ!? あんた、自分がどういう立場か、わかってんですか!?」
ウル・ロッドは間違いなく、ショーン・ハリューを持ちあげる形で、以前の敗北の傷を最小限に抑える腹積もりだ。ならば当然、彼を軽んじる者を決して許しはしない。
そんなショーン・ハリューに、師匠面して命令口調? 冗談でも笑えない。ウル・ロッドの耳に入る可能性を思えば、酒の席ですら憚られる類の話だ。
「そうそう、そんな感じでお願いします」
だが、そんな俺の心情を欠片も慮る事なく、ケラケラと笑いながらショーン・ハリューはそう言ってきた。俺はそんな彼に首を振ると、重々しく告げる。
それこそ、俺がショーン・ハリューに対する、最初の指導だ。
「いいですか、ショーン様。冒険者というのは、中級冒険者あたりから、ちょくちょく護衛の依頼というものも入ってくるようになります。相手は商人からお貴族様までいるでしょう。そうなれば当然、礼儀礼節は必要不可欠です。上級冒険者となったショーン様もまた、大商家やお貴族様相手なら、同じように態度に気を付けなければなりません。冒険者といえども、中級上位からはそういう技能が求められますし、できていなければ浮いてしまうでしょう」
「なるほど。それはたしかに……」
切々と語る俺の言葉に、ショーン・ハリューは考え込むようにして頷いた。道理を説明すれば、すぐにそれを理解してくれる柔軟性はある。噂から受ける印象では、もっと融通の利かない偏屈な人物だと思っていたが、どうやら違うらしい。
「六級くらいまでは、まだまだ粗忽な輩も混じっていますが、そういった者は護衛依頼を受けられません。護衛は割のいい依頼なんで、結構みんな頑張って作法は身に付けます。五級以上はみんな、お貴族様の前にだしても、最低限無礼討ちにされない程度の礼儀作法は心得ていますね」
「ははは。お恥ずかしい……」
四級だというのに、行儀作法も知らないと恥じるショーン・ハリュー。苦言を呈したとしても、嫌な顔一つせず頭を掻くばかりである。
本当にこれが、あの【白昼夢の悪魔】なのかと思ってしまうくらい、ショーン・ハリューは聞き分けが良かった。
「まぁ、ショーン様は、言葉遣いに関しては問題なさそうですね。やや気安い印象を受けますので、それを直せばすぐに及第点でしょう。あとは細かなマナーや常識に関しては、多少本腰を入れて学ばれた方が良さそうです。とはいえ、なにもお貴族様並みの行儀作法を会得しなければならない、という事ではありません。無礼にならない程度で大丈夫です」
「マナーと常識か……。たしかに自信がないなぁ。その辺も、一から教えてください」
「はい。それが仕事ですから」
「あ、でも、僕は貴族とかじゃないし、家もそこまで立派なものでもないですから、敬称に『様』はやめません? 身分的にも、微妙に間違いですよね?」
「それは、まぁ……、たしかに……」
たしかに、ショーン・ハリューの立場であれば、少々大仰にすぎる敬称だ。とはいっても、絶対に使ってはいけないという程でもないだろう。商人を相手にするときなんかは、軽んじていると思われるよりは、多少大袈裟であろうと重んじているという姿勢を示す方が無難である。
既にその実力をギルドに認められた上級冒険者であり、金だって小さな商家よりもよっぽど稼いでいる。そして個人的に、そんじょそこらの商人やお貴族様なんぞよりも、敵対したくない相手である。
慎重に、丁寧に対応するのも、当然の事だろう。
「……では、ショーンさんと」
「はい、それでおねがいします」
だがまぁ、この程度の譲歩は必要だろう。なんでもかんでも否定して、どこかで堪忍袋の緒が切れる方が恐ろしい……。
そうこうしている内に、どうやら目的地に着いたようだ。そこは、一月前の騒動で崩落した、二ヶ所の内の一つだった。
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