第107話 曼殊沙華
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圧巻だった。バスガルのダンジョンの階層ボスであるズメウが、まるで赤子の手でも捻るように、あっさりと倒されてしまった。
思えばグラさんは、あの銀のズメウのあとを追っていったのだ。物資集積拠点で問題が起きていない以上、あのズメウも彼女が倒したのだろう。たった一人で二体のズメウの打倒。
それはもう、セイブンと同等の働きといっていい。とてもではないが、登録したての下級冒険者の挙げるような戦果ではないだろう。
「……無理をしなくて良くなったのは、幸いだったね」
「ええ、まぁ、そうですね……」
なんの慰めか、セイブンに師匠が話しかけた。セイブンが、自嘲するように肩をすくめて苦笑する様が、格好を付けていてちょっとムカつく。
「グラさん、ショーンさんはもう大丈夫なんすか?」
霧散するズメウを見守っていたグラさんに問うと、彼女は即座にこちらに向きなおった。
「いえ。【
「ええっ!?」
この、不気味な空間が、その【
「そんな危ないもんなんすか?」
「空間内にいる生物には、無差別に作用しますよ。だからこそ、抵抗が難しいのですが」
「ちょ、そんなん、さっさと逃げた方がいいっしょ?」
「あなたたちは逃げてもいいでしょう。ただし、ショーンはまだ動かせません。あの子の精神状態がいま、どの段階にあるのかわからない以上、無暗に離脱という選択は選べません」
「そ、そんなにヤバいもんなんすか……?」
「あの子が、絶対に敵わない相手を道連れにするために作った幻術です。ヤバくないわけがないでしょう?」
「……」
ごくりと、我知らず喉が鳴る。あのショーンさんが、保身すら度外視で作った幻術……。そう思うだけで、周囲の骸骨たちから、まるで本物の亡霊のような死の気配がしてくるから不思議だ。
「空間のイメージに捉われると、本当に死にますよ?」
「おっと! ダメダメっす! 俺っちは、まだ死ねないっす! せめて、嫁くらい貰ってからじゃないと、絶対に死にたくねぇっす!! できれば、可愛い子供も欲しいっす! んで、スラムから離れたまともな家で、家族で幸せに生きるんす!!」
「……それだけ楽天的な希望を抱けているなら、まぁ心配は無用でしょう……」
グラさんに太鼓判を押されて、俺っちは安堵の息を吐いた。だがその直後、彼女から立ちのぼったプレッシャーで、心臓が止まるかと思った。
「あのメス豚ぁ……」
見れば、横になっているショーンさんの頭を、シッケスちゃんが肉付きのいい太ももの上にのせ、その頭を撫でていた。重度どころか、重篤なブラコンであるグラさんにとって、とても許せる光景ではなかったのだろう。
消えたかと思うような速度で駆けた彼女が、すぐさまショーンさんの元に辿り着き、彼に精神安定用の幻術を施すと、そのままシッケスちゃんに食ってかかる。
「どきなさい、メス豚。そのポジションは、姉である私のものです」
「えー、いいじゃん、たまにはさ。グラちゃんも戦闘で疲れてるでしょ? しっかり休みなって。ね?」
「必要ありません。姉にとって弟の世話以上の癒しなどありません」
「いやいや、いくらなんでも、それは普通の姉じゃないっしょ? グラちゃんヘラりすぎ。この機会に、ちょっとは弟離れしようよ~」
軽い調子で言うシッケスちゃんを、割れんばかりに歯を食いしばったグラさんが睨み付ける。強引に押しのけてまで、ショーンさんを取り戻そうとしないのは、きっと彼が半死半生の危険な状態だからだろう。そうでなければ、とっくにシッケスちゃんを蹴り倒していたはずだ。
幸運にも、先程のズメウのような末路を回避したシッケスちゃんに、グラさんが堂々と言い切る。
「弟離れ、などというものが必要であるとは思えません」
俺っちは憐れむようにショーンさんを見る。こんな姉がいて、本当にショーンさんは将来、結婚なんてできるのだろうかと、他人事ながら心配になってしまう。姉弟愛というには重すぎるくせに、恋愛感情は一切感じられないという、歪な二人の関係に正直ドン引きである。
そんな事を、恐らくは師匠やセイブンさんも思っていたであろうタイミングで、空間の光景に変化があった。
モノクロだった死者の園に、色が落ち始めたのだ。どこからか降り注いでいた粒子が、一斉に朱色に染まり始める。それだけでなく、粒子は徐々にその数を減らし、やがて降り止んだ。地に落ちた赤い粒子から、インクが滲むようにして空間全体が朱色に染まっていく。
その鮮烈な侵略は、骸骨たちも及んだ。黒く蠢いていたそれらは、朱色に侵されると自らを掻き抱くような姿勢をとり、動かなくなる。そうこうしているうちに、床全体が朱色に染まった。そして、一つの骸骨が弾ける。
「うわぁ……」
誰かの呻き声があがった。あるいは、それは俺っちのものだったのかも知れない。それくらい、眼前で繰り広げられた光景には、インパクトがあった。
弾けた骸骨のあとには、一輪のリコリスが咲いていたのだ。その、なんとも荘厳で不気味な様に、圧倒されてしまう。
それに続くようにして、次々と骸骨たちが咲いていく。地面に降り注いだの朱の粒子は、その開花に合わせて、今度は舞い上がっていく。その光景が、実にスペクタクルではあるのだが、それと同時に命の散華を意味するようで、なんともいえない畏れおおさがあった。
まるで葬式のような厳かさを強烈にしたようなイメージが、無条件に頭に叩き込まれてくるようで、無条件に畏敬の念と根源的な恐怖を掻き立てられる、とでも言えばいいのだろうか。
最後に残った無数の彼岸花が、ぱちんと弾けて消えるまで、誰も言葉が紡げなかった。全てが終わったあと、どういうわけか俺っちは生に感謝して、むせび泣いてしまった。
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