第16話 ニコイチの次はヨンコイチ?

 ●○●


 まるで手枷のように両手に嵌められた木製の指輪を、タイミング良く近付けて僕は圧縮に成功したキーワードを紡ぐ。


「【万障ばんしょうり、道理をくじく】」


 かれこれ三度の失敗を経てようやく、僕とグラはお望み通りのサイコロステーキとなれた。部屋中にバラバラと散らばった感覚のままに、快哉をあげる。


「できたっ!」

「ふむ。やはり可能でしたか。しかし、想定していた事ではありますが、励起状態の術式を近付けるタイミングを計るのが、なかなかに難しいですね」


 想定通りとでも言わんばかりの声が、部屋の片隅から聞こえてくる。いや、僕の耳もどこにあるのかわからないので、感覚からの情報がまったくもってアテにならないわけだが。


「これは……、思っていた以上に厄介な幻術かも知れませんね」

「あ、やっぱり?」


 グラが体感している【天邪鬼】の評価を上方修正する。僕もまた、この幻術の厄介さを、再評価したい。

 起こしている現象的には、【天地有用】や【逆もまた真なり】と然程変わらない。しかし、単純に上下を逆さまにするだけのそれらと違い、五感すべてがバラバラになるというのは、なかなかどうして対処が困難だ。胴体や口、鼻がどこにあるのかわからなくなる程度なら、まだいい。腕や足の場所、耳の場所、目の場所がわからないと、それから得られる情報が滅茶苦茶で、身動きすら取れなくなる。

 というか、この空間に長時間滞在すると、自我を失ってしまいそうだ。我ながら、気持ちの悪い幻術を作ったものだ。


「「【平静トランクィッリタース】」」


 二人して、さっさと幻術を解こうとしたが、これがまた難しい。なにせ、手がどこにあるのかわからないうえ、たぶんだが右手の指先がバラバラになっている。これで理を刻むのは、困難を極める。言ってしまえば、目隠ししながら絵を描くようなもので、まったく上手くいかない。

 なんとか自分の手を見付けて、その手のひらのうえを目視しつつ理を刻もうと思ったのだが……。なんというか、今度は鏡を見ながら髪を切るような感覚になり、左右や上下が判然としない感覚に四苦八苦してしまう。

 そうこうしている間に、本当に気持ち悪くなってきた……。仕方がないので、目隠し状態でも普通に理を刻み込んで、一足先に現実空間に戻っていたグラに【平静トランクィッリタース】をかけてもらう。


「――ッはぁ!」


 ようやく元の空間に戻ってきた僕は、圧倒的な精神疲労から、あのときのオーカー司祭のように、汗だくで膝をついた。いや、正直、あのときもオーカー司祭がいなければ、同じように頽れていた自信がある。だが、今回はあの空間に滞在した時間が、その比ではなかった。

 これはやはり、なかなか面倒な幻術だと再確認した。


「思考に及ぼすノイズの量が異常ですね。この領域に囚われた者は、【魔術】や体術を駆使する事が、極めて困難になります。生命力の理も、体の感覚がバラバラなせいで、かなり使いにくくなっていましたね」

「はぁ……、はぁ……。そうだね……。生命力の理で抵抗レジストされにくいってのは、いい情報だ……」


 幻術においてなにが一番厄介って、生命力の理による抵抗だ。勿論、この【天邪鬼】は、対象の精神に影響を与えて見せる幻術だけではないので、一気にすべてを消し去る事はできないが、少なくともバラバラになった体の感覚は戻ってきただろう。って、そうか。そうやって、最初に体の感覚を取り戻してから、理を刻めば良かったのか……。

 やはり焦ると、冷静な判断力が鈍るな……。


「ともあれ、ニコイチ実験は成功ですね。術式同士を近付けるタイミングの見極めは、なかなかに困難ではありますが、その辺りは感覚でどうとでもなるでしょう。私はこの結果を、属性術にも応用できないか研究してみます」


【天邪鬼】の厄介な点はともかく、これでニコイチ実験そのものは成功だ。まぁ、元々そこまで困難が予想される実験ではなかったが、それでもこの実験の成果は大きい。術式を分割する事で、大幅なリソースの節約が可能だ。


「そうだね。なにはともあれ、実験は成功だ。これで、リソースをバカ食いするからと諦めていた装具が作れるかな」


 幻術にも、反発し合う理というのは存在する。勿論、先程聞いた光と闇程反発するようなものは、僕の知る限りはない。


「惜しむらくは、両手にしか装備できないって点かな?」


 術式を合わせるタイミングがシビアで、確実に発動させるならば、やはり手首よりも先の装備に限られるだろう。いやまぁ、足でも上手くいくかもしれないが、発動のタイミングに必ず動けなくなるというのは、大きなデメリットだろう。


「それはたしかにそうですね……。であれば、ニコイチの名が示す通り、術式を二つ以上に分解するのは厳しいですか……」


 装具にするなら二つが定石になるだろう。もしも、グラの研究が実を結ぶなら、それ以上に分割するという事も可能かも知れないが。でも、同時に三個も四個も【魔術】を詠唱するというのは、やっぱり無理じゃない?


「属性術って、反発し合う属性がそんなに多いの?」

「ええ、まぁ。勿論、光と闇程に強く反発するものは稀ですが、細かく分類するなら、同じ系統の属性同士ですら、理が違えば反発するものはあります」


 火の属性同士でも、別の理だと反発し合うものもあると、そういう事か。まぁ、幻術の理同士でも反発するのだから当たり前か。

 肩をすくめる僕に、グラもまた嘆息する。


「あ。でもだったらさ、こういうのはどう?」


 僕は改めて【フェネストラ】を開くと、新しい装具の構想を提案する。術式そのものは【曼殊沙華】にできない程に複雑かつ膨大化した為に、放置していたものだ。そのままでは、装具にもできなければ、詠唱時間が長すぎて実用的でもない代物である。

 それを四分割して、四つの装具にする。それを、ニコイチ思想と同じくタイミングを合わせて共鳴させる事で、かなりの時間圧縮が可能になるだろう。問題は、四つに分割するそれらを、どうタイミング良く接触させるかだ。


「……これはまた……。随分と厄介な……」

「【天邪鬼】は【死を想えメメントモリ】をまったく想定していない術式だけど、こっちは完全にそれ用だからね。いかに相手の精神に、死を刻み付けるかっていうコンセプトで、壮大にし過ぎちゃったんだよ」

「ショーン。あなたの悪い癖です。せっかくキーワードの圧縮に成功したというのに、これではまた、長々とした文言が必要になりますよ?」


 できの悪い、されど面白い事を考える教え子に対するように、苦笑しつつ嘆息するグラ。

 まぁ、たしかに。キーワードを圧縮する為に術式分割のニコイチ実験を思い付いたというのに、それがまだ完全に成功していない段階から、圧縮してなおさらに長々とした詠唱を要する術式を構築しているのだ。完全にいたちごっこである。

 でもまぁ、それは仕方がない。作りたい幻が多すぎるのが悪い。


「それで? 結局はその四つの装具もまた、タイミング良く近付けねばならないのでしょう? それも、術式を見るに順番通りに。それを解消する策も考えているのですか?」


 まぁ、策という程のものでもない。僕が考えているのは実にシンプルな案だ。


「うん。だからさ、二つを僕の両腕に、二つをグラの両腕に装着して、タイミングを合わせて四つをくっ付ければ良くない?」


 そう言って、グラの右手を右手で握る。次に左手を差し出す。グラもその意図に気付いたのか、右手同士とは離れる形で左手を握ると、バツ印になるよう交叉した左右の腕を下ろす。


「なるほど……。面白い……」


 グラは興味とは別の感情も含んだ笑みでもって、僕の考えを肯定した。



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