第56話 義は尊き造り主を動かし

「ああっ!? こんなあっさり突破されるなんてッ!!」


 っていうか、なんなのあの速さ。あの糸目のおじさん? お兄さん? の足の速さが、もう僕の知っている人類最高峰のスプリンターと比べても、明らかに隔絶してるんだけど!? いや、生命力の理とか、魔力の理とかある時点で、そういう人間を想定していなかった僕が悪いんだけどさ!

 だからって、あんな不安定な足場を、全力疾走で駆け抜けられる!? もっとバラエティみたいにユラユラグラグラして慌ててよ!! 撮れ高最悪だよ! 正面から飛んでくるボルトなんて、どうやったら減速〇で弾けるんだよ!?


「次の男は、普通に進んでいますね。矢は弾かれていますが」

「そう、これでいいんだよ! って、よくはないんだけどさ。なんで全方位から発射される矢とか弾けんの? っていうか、当たった矢まで弾かれてるんだけど?」

「身体の硬度を高める理を用いているのでしょう。十中八九生命力の理でしょうが、魔力の理でも同様の事はできます」

「むぅ……。ちょっと、冒険者というものを過小評価していたかも知れない。侵入者のIQを低く見積りすぎていたようだ」


 バカなゴロツキばかりを相手にしてきた弊害だろうか。


「まぁ、我らがダンジョンも広くなっています。わざわざ作り直すようなものでもないでしょう。序盤くらい、愚者に対する罠を構築していても良いかと」


 それもそうか。なにより、この【迷わずの厳関口エントランス&エグジット】には、侵入者を殺す以上の目的がある。まぁそれは、吊天井の廊下【強欲者の敷石パッショネイトアプローチ】も同じだ。


「まぁそうだね。じゃあこの【迷わずの厳関口エントランス&エグジット】はこのままでいいかな?」

「よろしいかと。なにより、先の【強欲者の敷石パッショネイトアプローチ】 と合わせて、人海戦術を阻む良い障壁となっています。人数制限のギミックを、ここで変えてしまうのは少々惜しいかと」

「だね。じゃあこのままでいこうか」


 僕は改めて、侵入者たちに意識を飛ばした。なお、バカはやはりバカだったとだけ追記しておこう。




 耳をつんざくような、野太い絶叫。

 それとともに、俺っちたちがゆっくりと開こうとしていた扉を、縋るようにして、勢いよく開いて男が現れた。押し開く扉で良かった。でなければ、この勢いに押されて、足場の外まで吹っ飛ばされていたかも知れない。

 扉から出てきたのは、先頭を切ってこの地下施設に踏み入った、あの迂闊な男だった。血走ったような目で、涎を撒き散らしながら叫んでいる様は、鬼気迫る様子だ。


「あ、ちょ、そっちは——」


 狂ったように叫び声をあげながら、その男はあろう事か自ら奈落へと身を投げた。なんの躊躇もなく、火に追われた者が湖に飛び込むように、男は深淵の暗闇に消えていった。


「「「…………」」」


 あまりの出来事に、三人とも声も発せなかった。

 いま、一人の男が確実に、命を落とした。それは、俺っちたちと同じ任を負った、いわば同僚の死だ。

 しかも、見るからに尋常ではない死に様だった。緊張するなという方が無理だろう。


「……気を引き締めて行くっすよ?」

「お、おう……」

「…………」


 イニグはまだ大丈夫そうだが、フバの様子はいささか以上に気がかりだ。冒険者経験がないせいか、こういう状況に慣れていないのだろう。

 とはいえ、こんな状況じゃ経験があれば一安心というわけでもない。実際、本物のダンジョンでもあんな光景は、見た事はなかった。

 俺っちも、ここからは気を引き締めて行く必要がありそうだ。


 部屋の中は真っ暗闇だった。当然ながら俺っちとイニグは、明かりを用意している。フバは言わずもがな。

 ランタンの頼りない明かりでは、視界はほとんど確保されない。相当な広さの伽藍堂なのか、あるいは別の要因か? どうやらそのようだ。なにせ、足元まで、ランタンの光が届かないのだ。普通なら、こんなのはあり得ない。

 なんにせよ、こんな罠だらけの地下施設を、これだけ視界が悪い状況で、進みたくはない。さて、どうしようか。


「フフフ……」


 耳元で声。これは、もしかして属性術の【囁き】か? 俺っちは即座に気付いたが、フバとイニグはにわかに慌て出した。


「お、おい、なんかいるぞ!?」

「く、くそ、暗闇に乗じて襲ってくる気か!? やってやる! やってやんよ!」

「おいバカ! こんな視界の悪いところで、短剣なんぞ振り回すな!」

「うるせえ! どこから敵が襲ってくんのかわかんねえんだから、仕方ねえだろ!」


 錯乱しつつあるフバと、視界の悪さ、突然の声に、冷静さを欠いているイニグが、口論を始めた。これはまずい。


「落ち着くっす! いまのは【囁き】っす! 離れた相手に声を届ける為の、簡単な属性術っすよ!!」

「う、うるせえ! 俺は、俺はなぁ! ウル・ロッドでも、ママに目をかけられてる、か、幹部候補なんだ! ぜ、絶対に、こんな、こんな穴蔵で死んでたまるかぁ!!」


 ああ、これはマズい。視覚を閉ざされる恐怖というものは存外大きい。フバはこの暗闇に、完全にあてられてしまっている。

 俺っちとイニグが持っているランタンの明かりが、ゆっくりとフバがいた場所から離れるのを確認した。


「んなっ!?」


 だがその瞬間、室内にポツポツと別の明かりが生まれ、驚愕の声を発してしまった。明かりを持った人間と思しきシルエットが、口元までを照らして直立不動で立っている。これは幻術?


「な、んだこりゃあ!? お、おい、イニグ! フェイヴ!? ど、どこいきやがった!? ど、どの明かりがお前らなんだ!?」

「こっちだ! こっちにこい!」

「俺っちはここっす! こっちにくるっす!」

「違う!! いまのは俺の声じゃねえ!! 騙されるな!」

「本物はこっちっす! 早くくるっす!」

「違うわよぉ……。本物はぁ……、こっちぃ……」


 四方八方から俺っちやイニグの声が響き、あまつさえ明らかに女の、薄気味悪い声まで混じる始末。これはもう、完全に幻術に呑まれている状態だ。

 仕方ない。ここで出し惜しみをして殺されるなんてゴメンだ。


 俺っちは魔力を手の平に集め、その魔力を操って理を刻む。見えない術式を描き、発動の為の詠唱を行う。


「【灯台プハロス】」


 暗闇を吹き消すような、強い光が俺っちの手の平のうえ、数十センチのところを浮遊する。おかげで、これまで見通せなかった室内も、ゆうに見渡せるようになった。思ったよりも、広くはない。

 属性術における、光属性の【灯台】は周囲を強い光で照らすというだけの【魔術】だ。普通はもっと魔力の消費が少ない、【灯火】やせいぜい【照明】を使うのが一般的だろう。

 だが今回は、この術で正解だ。


「落ち着いたっすか?」

「あ、ああ……」


 明かりに照らされた室内で、短剣を持ったままへたり込んでいるフバに声をかけると、放心したような顔のまま、気の抜けたような声で応答した。見れば、イニグも剣を抜いており、こちらもギリギリだったのだと窺える。


「この部屋に入ったときから、たぶん俺っちたち、幻術の【恐怖】にかけられてたっすね。それと属性術の【囁き】に、同じく属性術の【暗転】っすかね。あとは、あの間抜けな【幻影】っすか」


 俺っちが目を向けた先では、銘々に明かりを持った幻が、ニタニタとした笑みを湛えたまま、立ち尽くしていた。暗闇でなら、恐怖を煽るには最適なギミックだろうが、こうして明かりを確保してしまえば、ただのカカシでしかない。

 とはいえ、恐ろしい罠だ。

 なにが怖いって、幻術の【恐怖】も属性術

の【囁き】と【暗転】も、非常に難易度の低い【魔術】だという点だ。魔導術でマジックアイテムを作ろうとしても、それ程難易度は高くない。

 しかし、そんなありきたりな【魔術】を三つ組み合わせただけで、これ程までの効果を発揮できるとは思わなかった。特に、【恐怖】と【暗転】の相乗効果が高すぎる。

 これまで組み合わせた者がいないのが不思議なくらいだ。作ろうと思えば、こんな罠は誰にでも作れるのだから。


「いやでも、やっぱりその二つだけではダメっすね」


 恐怖を煽れても、そこに色がない。ただ暗いだけでは、恐ろしくはあろうと、錯乱までには至らない。だからこその【囁き】か。しかも、途中からこっちの声真似までする芸達者っぷり。


「怖いっすね……」


 この罠を作ったヤツは、人間ってものをわかってる。人間がなにを感じ、なにを恐れ、どう動くのか。そのうえで、人間を殺しにきている。

 ダンジョンも人間を殺傷する目的で罠を張るが、そんなものは獣に対する罠の延長線上にあるものでしかない。

 失敗すれば勿論怪我をし、場合によっては命すら失うが、どこまでいってもそれはあくまでも獣用でしかない。単純で、ありきたりで、殺傷力はあれど、そこに罠を置いたヤツの意思などない。ただの装置だ。

 だがこれは、人間が人間に対して用意した罠。人間を殺す為の罠だ。

 俺っちを殺す為に、罠の作り主が俺っちたち侵入者を考えて作った、作り主の意思そのもの。

 そこには、ただの剣と、それを振るう技程にも違いがある。

 俺っちは恐怖ではない震えが、体に走るのを感じ、口元がニヤける。


 ゾクゾクするっすねぇ……。



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