第22話 治癒贖罪符

【1】

「浅ましい事だ。聖教会を蔑ろにしてケダモノの治癒術士にその身を委ねるなどとは」

 王都を統括するペスカトーレ枢機卿が溜息をついて言葉を発した。


「その通りで御座います。物事の何たるかを弁えぬ愚かな平民どもの所業は目に余りまする」

 王都大聖堂の大司祭が勢い込んでその言葉に追従する。


「黙れ! この愚か者。良いか、其の方らの後先を考えぬ言動と行動がこの事態を招いたと言う事がまだわからぬのか!」

 ペスカトーレ枢機卿の怒号が飛ぶ。

「お待ちくだされ。これは全てセイラ・カンボゾーラの…」

「そうだ。そのセイラ・カンボゾーラに煽られおってバカ者どもが!」

「しかしわたくしはあの通達によって王宮でのあ奴の無法を押し留める事が出来たのであって…」

「それが愚かしいと言うのだ! 其方はまんまと奴に踊らされたのだぞ!」


「よく聞け! 初めからあ奴は自領の治癒院の権威付けを狙っておったのだ。教皇庁には治癒院が有りその権威は絶大だ。それを真似てジャンヌ・スティルトンがグレンフォードの治癒院を立ち上げて清貧派の治癒術士を養成し始めたが、セイラ・カンボゾーラもそれに肖ってジャンヌの弟子を招聘して自領に治癒院を作ったのだよ。だが所詮は真似事の真似事。講師はたかだかジャンヌの弟子。セイラ・カンボゾーラは光の属性持ちと言っても小賢しい金の亡者だ」

「それならば猶の事あの通達は奴の首を絞めたはずでは…」


「バカ者が! あの通達のせいでカンボゾーラ領の治癒院は教皇庁の治癒院と同等の権威がついてしまったのだぞ。何より教皇庁はハッスル神聖国だ。ラスカル王国内には教導派の治癒院は無い。どんな下らぬ治癒院でもラスカル王国内では一番と二番の治癒院ではないか!」

「しかしその様な詭弁が…」

「通ってしまったであろうが! 何より下賤の者まで治癒術士にしてしまったのだぞ。本来治癒院は選ばれし者が通う神聖な場所だったのだ。それがケダモノさえ通える世俗にまみれた場所に貶めたその責任は思い知るべきだぞ!」


「これは全てセイラ・カンボゾーラの…」

「その通りだ。おまけに揚げ足取りのようにケダモノたちを還俗させて王都にばら撒きおって。フィリポの治癒院では聖職者ですら無い者を治癒院に迎え入れていると聞いておる。このままでは世俗の下賤な者が治癒術士として街にあふれる事になるのだぞ!」


「ですから…、ですからわたしがセイラカンボゾーラに聖堂や礼拝堂の無い場所での治癒を禁止すると…」

「それも其の方のその場しのぎの思い付きではないか! 奴らは教導派聖教会に属しているわけでは無いのだぞ。自分たちに不都合があるならそんな事は幾らでも無視できるのだからな。それこそ自分で自分の身を縛るような事になったではないか!」

「それはそうかも知れませんが、おかげで入院治療と言う新しい治癒施術も始まりましたし」


「ならば聞くぞ。それがどれだけ成果を上げておるのだ? この先それがいつまで続けられるのだ? なにより聖職者にはともかく一般人の治癒術士を縛る事は出来んのだぞ。還俗した治癒術士が同じような事を始めればもう止め立ては出来ぬではないか。今でこそ奴らの診療所は家畜の餌を食わしてワインやコーヒーすら飲ませぬから大聖堂に来るものがおるが、いつまでこんな事を続けられるか判らぬのだぞ」


「しかしたかだか診療所の其れも大部屋の入院施設。大聖堂の入院施設に勝てるような物では…」

「だから愚かだと申しておる! 先ほど申したであろう、フィリポの治癒院は受戒すら受けぬ者を治癒術士として養成しておると。そ奴らがあと数年もすれば市井に解き放たれるのだぞ! ならばその中に金に飽かせて大聖堂並みの入院施設を作る者もあらわれるのではないのか? セイラ・カンボゾーラ然り、エマ・シュナイダー然りではないか! 南部のライトスミス商会も動き出すかもしれぬのだぞ!」


「「あああ、あ奴らならやりかねぬ」」

「それだけでは無い! 今でこそ市井の薬師や冒険者上がりの治癒術士が治癒業務を受けておるが、そ奴らが個人で診療所を開業する事になれば大聖堂の治癒術士のもとには患者が来ぬようになるのだ!」


「それならば…ああそれならば我らも治癒術士を増やして…聖別を受けぬ者でも治癒院へ…」

「それこそ愚か者の考えだ! ハッスル神聖国に、教皇庁に準貴族を送るのか? 下賤な庶民を送るのか? ケダモノを教皇庁で修行させるつもりか? ああ? もう一度申してみよ。其の方は教皇猊下の前で神聖な教皇庁に穢れたちの者を送ると言えるのだな!」

「いえ、浅慮で御座いました。失言で御座います」


「フン、このままでは我々はジリ貧だ。この王都は清貧派のゴロツキ共に食い荒らされようとしておるのだぞ! 少しは危機感を持たぬか」

「やはり元凶はセイラ・カンボゾーラで御座いますか?」

「今頃何を申しておる。王宮で傍若無人を働いたのも彼奴なら、今王都で傍若無人な行いをしておるのも彼奴ではないか」


「ならばセイラ・カンボゾーラを排除すれば如何でしょうか?」

「フン、簡単に申しおって。それが出来れば苦労はせんわ」

「しかし一介の子爵家の小娘では御座いませんか。それを我ら上位貴族がどうにも出来ぬなど…」


「侮るな。その小娘が王太后殿下を手玉に取ったのだぞ。王太后殿下を前にして国を割ると言い放ったのだぞ。そもそも子爵家と言えゴルゴンゾーラ公爵家の縁戚に並ぶ者だ。南部育ちでロックフォール侯爵家とも太いパイプを持っておる。そしてカロリーヌ・ポワトーはあの小娘の傀儡のようだしな。何よりボードレール枢機卿の手駒でパーセルを枢機卿に押し上げた張本人だ」

「しかし清貧派と言えばジャンヌ・スティルトンで…」

「表の顔は聖女ジャンヌ、裏の汚れ仕事はセイラ・カンボゾーラの領分だ」


「まさか…そんな。王立学校でも二年でやっと特待を取った程度の一子爵家の小娘が…。商人としてもアヴァロン商事の代表代理と聞きましたが、エマ・シュナイダーの後塵を拝する程度と…」

「儂も見誤っておったのだ。再三にわたってシェブリ伯爵からは気を付けるようにと忠言は貰っておったのだがな。事ここに至っては簡単に手を出す事も叶わぬ」

「しかしいつまでもこのままでは…」

「ああ、時が至れば必ず叩く! ただ今は時期尚早なのだ」


「それまでの間座視せねばならぬのでしょうか」

「それも待てぬ。何か良い案はないか?」

「それならば…、そうそれならばこの間の王都大司祭様の言葉を逆手に通達を出しては?」


「いったいどういう通達だ?」

「ですから、聖堂や礼拝堂で無い場所での治癒施術は魂が救われないと」

「む?」


「ですからそもそも治癒施術は聖職者たる聖堂の治癒術士が創造主の身許で修行を積んで修得すべきもの。小手先の治癒施術は病や傷が癒えた様に見えても魂までは救われぬと」

「ウム、良い続けよ」

「聖教会の治癒術士は…教皇庁の治癒院出身の治癒術士のもとでなら治癒施術と共に原罪を洗い流し魂の穢れまでも取り去ってくれるのです」

「それを通達として発布すると?」

「いえ、聖教会の大司祭が祈祷し祈りを込めた札を世俗の治癒術士に掲げさせるのです」


「面白いがそう上手く行かぬのでは? 世俗の薬師や冒険者崩れがその様な札を買うであろうか。買ったとしても数が知れておるぞ」

「その通りだな。しかしその考えは良いぞ。ただ売る相手が違うのだ。市井の治癒術士のもとに通う患者に売るのだ。治癒術士のもとで僅かばかり命を長らえてもその後は地獄に落ちるのならば買うであろう。効き目は一度の診療で一枚じゃな。それが嫌なら聖教会に入院する事だ」

 枢機卿はやっと満足げに笑った。

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